昭和34(1959)年7月13日の朝日新聞の記事に関して。

 昭和14年に国民徴用令という法律が成立し、日本政府が日本国民を強制的に労働力として使用してもよいことになりました。ちなみに徴兵とは別物で、戦争に行くわけではありません。徴兵が赤紙なのに対して、徴用は白紙だったそうです。
 強制的ですが給料は出ました。とは言うものの、かなりの低賃金だったので、半分は国に奉仕するための臨時職員だったようです。

 施行当時徴用の対象は日本人だけだったのが、戦争が忙しくなった昭和19年8月、当時朝鮮半島は日本の一部だったこともあり、朝鮮人も徴用の対象に加えられました。これにより、日本に居た朝鮮人はもちろん、朝鮮半島に居た朝鮮人にも白紙が来るようになりました。
 朝鮮半島に居る朝鮮人に白紙が来た場合、船で海を渡って日本に来なければなりません。この徴用を朝鮮人は「強制連行」と言っています。
昭和20年3月に下関-釜山間の連絡線の運航が止まるまでの約7ヵ月間、日本政府による朝鮮人の「強制連行」が続きました。

 戦前~戦時中、日本には大勢の朝鮮人がいましたが、全て日本政府の徴用で日本に来たわけではなく、出稼ぎなどのため自分の意志で日本に来ていた朝鮮人も大勢居ました。当時朝鮮半島と日本は同じ国でしたから、朝鮮半島から日本に出稼ぎに来るのは普通のことでした。

 そして戦後、朝鮮半島が日本と違う国になったということで、日本政府は日本に居る朝鮮人を朝鮮半島に帰すことにしました。昭和20年8月から翌年3月の日本政府の帰還事業で、約140万人の在日朝鮮人が朝鮮半島に帰りました。
 この帰還事業は、徴用で日本に来た朝鮮人はもちろん、自分の意志で日本に来た朝鮮人も対象に行われました。朝鮮半島への帰国を希望する全ての朝鮮人は、日本政府の機関事業で朝鮮半島に引揚げました。
 帰還事業を行った結果、日本には約61万人の朝鮮人が残ったそうです。彼らは自分の意志で日本に残ることを選択しました。

 そして、下記の新聞記事によると、日本に残る選択をした約61万人の朝鮮人を対象に、彼らが日本に来た理由を調査したところ、日本政府の徴用で日本に来た人は245人だったそうです。

 この245人に関しては「日本政府の都合で日本に来させられて、その後祖国に帰るチャンスは与えられたものの、何らかの事情で祖国に帰ることが困難で、仕方なく日本に残った人たち。」かもしれません。もしそうであれば、日本政府は何らかの補償は必要だと思います。

 でもそれ以外の60万9700人は、自分の意志で日本に来て、自分の意志で日本に残った人たちです。朝鮮半島で仕事がなくて日本に出稼ぎに来た人たち、中には密入国者もいたでしょう。完全な自己責任ですから、特別扱いする必要は全くありません。

 今の在日朝鮮人に対する日本政府の待遇を僕はよく知りませんが、本来この245人に対してだけ必要な補償が、61万人に対して行われているってこと、ないでしょうか。大丈夫?

-<以下引用>-----

朝日新聞1959年7月13日

在日朝鮮人の北朝鮮帰還をめぐって韓国側などで「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせるためにつれてきたもので、いまでは不要になったため送還するのだ」との趣旨の中傷を行っているのに対し、外務省はこのほど「在日朝鮮人の引揚に関するいきさつ」について発表した。
これによれば在日朝鮮人の総数は約61万人だが、このうち戦時中に徴用労務者として日本に来た者は245人にすぎないとされている。
主な内容は次の通り。
一、戦前(昭和14年に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前(昭和20年)には約200万人となった。
増加した100万人のうち、70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。
残りの30万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じてきたもので、戦時中の国民徴用令による徴用労務者はごく少数である。
また、国民徴用令は日本内地では昭和14年7月に実施されたが、朝鮮への適用はさしひかえ、昭和19年9月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年3月の下関-釜山間の運航が止るまでのわずか7ヶ月間だった。
一、終戦後、昭和20年8月から翌年3月まで、希望者が政府の配給、個別引揚げで合計140万人が帰還したほか、北朝鮮へは昭和21年3月、連合国の指令に基づく北朝鮮引揚計画で350人が帰還するなど、終戦時までに在日していたもののうち75%が帰還している。
戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地になじみが薄いため終戦後、残留した者はごく少数である。
現在、登録されている在日朝鮮人は総計約61万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、 戦時中に徴用労務者としてきた者は245人にすぎず、現在、日本に居住している者は犯罪者を除き、自由意思によって在留したものである。
(1959年7月13日 朝日新聞)