この記事で「真実を伝える」と言う元日本兵、大川愛郎さん(82)は、2011年現在82歳と言うことは、1929年(昭和4年)生まれです。
日本の台湾統治は11945年(昭和20年)までだから、台湾に派遣されていたとしたら、当時16歳ということになります。

 ところが、当時の日本の徴兵制度の対象年齢は20歳~27歳です。

 学徒出陣という言葉はありますが、これは当初20~26歳の「学生は兵役免除」されたいたのが、兵隊が足りなくなって免除されなくなったという意味です。なので、日本兵は全員20歳以上だったということです。

 中学生や高校生の年齢でも志願すれば「少年兵」になれましたが、少年兵の仕事は「大人のお手伝い」です。軍需工場で働いたり、消化訓練することです。同じ記事にある市原正子さん(95)も「戦闘機の部品を作るために生徒を工場に送り込んだ。」と証言しています。
 つまり本土防衛と後方支援でお国のために役に立ってはいましたが、それ以上の任務はありませんし、ましてや外国に駐屯して命を落とすような仕事をすることはありません。

 つまり、当時16歳の大川さんが、日本兵として台湾に派遣されて慰安婦のお世話になった、という話は嘘です。この人は最初から真実を語っていません。ちょっと調べれば分かる嘘を、何故平気で書くんだろう。日本人なのに日本を貶めるような嘘の記事を書くのは何故だろう?もしかして日本人じゃないのかな?

 また、記事の中で大川さんは「現在(慰安婦の存在が)あったなかったと議論されるが」と語っていますが、これもトンチンカンな発言です。誰も「慰安婦がなかった」なんて主張してません。そうではなくて「朝鮮人を無理やり拉致して兵隊の慰み物にした。奴隷のように扱った。」と主張している人たちに対して、「それは嘘だ。」と議論されているのです。

ちなみに従軍慰安婦については、以下のような当時の新聞広告があります。

慰安婦大募集

売春婦の斡旋業者が出した求人広告です。この求人に応募した人は兵隊相手に売春行為をしていたのでしょう。
左側の記事に書いてある「月収300圓以上」というのが安いのか高いのかは分かりませんが、労働の対価として報酬は得ていたようです。勤務時間が午前8時~午後10時とあります。
右側の記事では「行き先○○部隊」「出発日11月10日」とあるので、海外の兵隊の駐屯地に行くということだと思われます。

当時の日本には朝鮮人もたくさん居ましたから、この求人に応募した朝鮮人も居たかもしれません。

中には悪徳業者も居たかもしれません。また、親が娘を売るとか、あるいは借金のカタに無理やり連れて行かれたとかいうことも考えられます。
だけど、日本の軍隊が主導して、民間人を拉致して無理やり働かせていたというのは、ちょっと考えにくいです。

-<以下引用>---

終戦記念日:戦争と平和を語る座談会 真実、伝える使命--高知 /高知

 66回目の終戦の日を迎えた15日、県内各地で戦没者を悼む行事が行われた。高知市の市立自由民権記念館では「戦争と平和を語る座談会」があり、戦争経験者も参加して平和の尊さについて訴えたほか、後世に戦争を語り継ぐ必要性についても意見が交わされた。

 23年前から行われている座談会には約20人が出席。戦争当時、教員をしていたという市原正子さん(95)は「(学徒動員で)昼間は、戦闘機の先端を作る軍の工場に生徒を連れて行った。お国のために良いことをしていると思っていたが、その戦闘機で多くの人の命が失われたかもしれないと考えると、今さらながら申し訳なく思う」と語った。

 また、従軍していたという同市比島町3の大川愛郎さん(82)は「今はものすごく後悔し、申し訳ない気持ちでいっぱいだが」と口を開くと、自身が台湾に派遣されていた当時、慰安所を利用したことを告白した。

 沖縄戦が始まる直前に、上官から「いつ死ぬか分からない。死ぬ前に(慰安所に)行ってこい」と命令されたのを鮮明に覚えているという大川さんは「現在(慰安婦の存在が)あったなかったと議論されるが、当時を知るものとして(慰安婦がいたという)真実を後世まで残すことが私の役目だと思う」と話した。http://mainichi.jp/area/kochi/news/20110816ddlk39040530000c.html