人は誰でも、自分が一番カワイイ。

できるだけ有利な立場になりたかったり、褒められたいと思ったり、誰かにジェラシーを感じたり、、、そういう思いは異常なことではありません。

ですがそんな自己愛が強くなりすぎると、人の気持ちが考えられなくなり、

無意識のうちに自分の満足感や優越感の為に人を犠牲にするような酷い態度をとってしまうようになります。それがモラルハラスメントやいじめの加害者なのです。



『私は決して加害者ではない』という人も、

加害者の心理について考えてみてください。

あなたご自身の感覚と比較して、どこが違うのか考えると何かが見えてくるかもしれません。

加害者の典型的な特徴をつかむことで、かわいそうな被害者を救うことができるかもしれません。





~思い浮かべてみてください~


あなたの身近に

ウザイと思う人いませんか?

なんとなくイラっとしたり、ムカつく存在の人いませんか?


そういう人に対してどんな態度をとっているのか

客観的に思い出すことはできるでしょうか?


嫌いだけど、絶対に態度には出していない?

それとも、あえて態度に出して、この苛立ちを分からせてやろうと思っていますか?

『だってあいつが悪いから~』という理由で無視しちゃったりしますか?

できるだけ我慢しているつもりだが、思わず一言二言、嫌味や憎まれ口を叩かずにはいられなくなったりしますか?


もしかしたら意識をしてこなかったかもしれませんね。


自分の好きな人なら気にならないことでも、

嫌いな人が同じことをやると、不愉快になったり、死ぬほど腹が立ったりしませんか?

やたらと、嫌いな奴が発する言葉が悪意に取れてしまったりしないでしょうか?

嫌いな人間の欠点、失敗、落ち度が、やたら目に付いて、批判したくなったりしていませんか?

究極は、

嫌いな人が嬉しそうに笑顔を見せているだけで、『クズのくせに、なに浮かれちゃってるの?』と冷ややかな目で見たくなったりしませんか?

どうしてそういう気持ちになってしまうのでしょうかね。



~その理由は~

自分が『正しい人間』であるならば、自分の嫌いな人間が『悪』でなければ辻褄が合わないからです。


嫌いな人間との比較の中で、相手を駄目人間として蔑むことができれば、自分は常に正しく・常識的で・優れているという気分でいられるのです。

悪い部分が無い人間を嫌ったり、批判したり、攻撃したりしたら、それはおかしい、、、もしもそんなことをしたら、八つ当たりや、妬み嫉みに見えてしまうことを、頭のどこかで理解しているのです。

相手を嫌い・攻撃をすることを正当化できる理由が必要なのです。

だから、相手の小さな欠点をも積極的に見つけたくなってしまう。欠点を見つけて自分のほうが『まともな人間である』ことを心の中で確認し、理由を付けて見下し攻撃し罪悪感を持たせ、優越感を得ているのです。


『自分は善で嫌いな人間は悪』

これが自分の心にとって都合が良い状態なのです。

『あいつが悪だ、そう思いたい』という無意識が、いつの間にか、『あいつは悪だ、そうに違いない』に変化していることに全く本人は気づけないのです。


そもそも、何故、その人を嫌い始めたのでしょうか?

本人が聞いて納得できるような理由を胸を張って説明できるのでしょうか?

その都度その都度、ムカつく理由を後付して攻撃して罪悪感を持たせていたら、

それはハラスメントでしょうね。


嫌いな人間の悪いところを常に探しているのです。
悪いところがなかなか見つからない時はもう必死です。

何か言葉を発したら、善意の言葉も悪意に受け止めてしまう。

何か善意の行動をしても、悪いように受け止めようとする。どの角度から見ても悪いように受け止められない時は偽善者だと思うしかない。
そこまでして、相手を蔑まないと、気がすまないのです。


性格や言動を攻撃するだけでなく、身体的欠点等を馬鹿にする方法もよくありますね。

指摘して見下すことで、優越感が得られるのです。

そして、決して自分があからさまな悪者にならないように

『ほんの冗談だよ』『君なら怒らないと思ったから』『本当のことだから仕方ないでしょ』といったように、いざとなった時の逃げ道や、言い返しの言葉は必ず用意してあるのです。


全てそれは無意識。無意識なうちに自分の心地よい状態にしようとしているのです。


自分にもそういう気持ちがあるかもしれない。。。と思った人は、

正直な人、今後、気をつけることができる人です。

残念ながら、ハラスメントやイジメの加害者ほど、『自分の場合は違う、悪い奴は悪い』と言って自分の感覚を疑わないことでしょう。