僕が心屋に出会ったのが2013年の23のとき

 

自分の中で24になったらビジネスを始めよう
それと、結婚24だなっと



なんか知らんけど学生の頃から思っていて



その間に色んな仕事をしてみたいから
それまでは好きなことしよって思っていた




何で心屋を選んだかと言えば

そのとき仁さんがTVに出てたときで
この人性格改善カウンセラーっとかって胡散臭いけど気になるで決めた←


ビジネスって絶対対人との関係だから
心理の分野と、ビジネスの分野は絶対だなって思い



ビジネスは本田健
心理学は心屋仁之助って感じで二本に絞って


色んな人のことを学ぶより、ガッツリ1人の人から学んで、それから合わなかったりしたらそんとき考えようと思う



結果、初めてビジネスセミナーなるものにいったとき


何百人もいるその会場で
チャラチャラした格好で、こんな若いやつがって
スゲー場違いな感じがしてずっーと胃がキリキリキリキリしてて



めっちゃめちゃ疲れたのを覚えてる


そこで出会った人の中に、インナーチャイルドを学んでる人に出会い

初めてカウンセリングを受けた
(まだオープンカウンセリングっていうものがあることも知らない頃)



インナーチャイルドって?って感じやったけど


カウンセリングを受けたいと思い初めてカウンセリングを受けて


改めて、昔の子供の頃の自分に触れて



「あぁ〜俺、こんな感じやったなぁ」
「ズゲー素直やな笑」
「あぁこんなんやったんやなぁ」って4.5回目のカウンセリングでようやく気付けた笑





最初はみんなでやるグループカウンセリングやったのよ


でもそこで全然自分出せんで


「俺は大丈夫ですから」
「もっと苦しんでるあの人助けてあげたら?」
「うわぁ〜なんか叫んでるし( ;´Д`)コエ〜」
「なんか宗教みたいやな」
「ってかこんなんしてなんか意味あんのか?」
「よーそんなん泣いてわめいてって醜いことできるわ、俺絶対無理」



って感じで、その場に居るのに我関せず
私は問題ありませんからって
全く表情崩さないようにスゲー力使って努めてた






ぜも実際、そのときは自分が楽になりたい一心で

この苦しみに何か問題があるのなら
その答えが見つかるならって


その一心で藁にもすがる思いで

カウンセリングを受け続けてた



それまでの俺はね


「悪いことを口にしてはいけない」
「自分がされて嫌なことは人にはしない」
「人を怒らせてはいけない、自分が辛くなるから」
「人と同じような、普通を目指さなけば叩かれる」
「清く正しく美しく」
「清貧」


って親の教えの前提が強くあった









ふみやの年代記

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◆保育園時代

アニメ大好き
外で遊ぶの大好き
ミニ四駆大好き
おかぁ大好き
甘えるの大好き
甘える街道真っしぐら



◆小学生時代


保育園の延長
小5のときそれまで楽しかった日常がある日一変する

その日いつも遊んでた親友のうちに遊びに行き
悪ふざけでそこの従業員のオッチャンにイタズラをしたら、本気でぶん投げられ
初めて人生でチビって
何が起きたのか分からなくなり

次の日から見えてる世界が『変わった』って思った

それからそれまで楽しく遊んでた日常も
昼休みには図書館にこもる様になり
休み時間には1人で過ごすことが多くなった

友達とも普通に接することが出来なくなり
今までどうやって遊んでたいたのか分からなくなってしまった。


それまで仲の良かった教頭先生とかにも
甘えてイタズラして遊んだりしてたのに、そんな自分を見せるのが恥ずかしくて怖くて
なんか悪い気がして申し訳なかった。



◆中学生になり

色んな学校から知らない友達や
それまでの小学生時代の友達とは違う出会いがあり少し遊べるようになった。


でもその頃特有の思春期
周りがどんどん大人のような
それまで子供のように遊んでたのに
なんかかしこまったりカッコつけたり付き合ったりとか

どんどん変わっていくのに
変われない自分は精神年齢が低いんだって思って

みんなと同じになれない自分が嫌だった

それでも、自分のクラスの奴らは好きだったのでそれなりに楽しい日常を過ごせた



◆高校生になり
工業高校ってこともあり男子の比率が格段に上がり
それまで女子とキャッキャッ遊んでバランスとっていたんだなぁって感じて

いわゆる一匹オオカミぶって
どう友達を作ればいいのか全く分からなくなった


それでも社会に出たら変わる
社会人はみんな大人だから、そんな学生時代の人間関係ともおさらばだ!っと大学に行かず
地元の小さな工場に就職



◆初めての社会人


その入社した初日に人生で初めて絶望し
俺の人生終わったって思う



って言うのも


入社したとき、同じ同期は俺を入れて2人で
それも片方は入社式だっていうのに普段着で 


その目の前の汚い食堂に居並ぶ従業員たちの格好が肌色の作業着


「刑務所?」っと思い
それまで社会人って言ったらもっとビシッとして

みんなシャキシャキ働いてるんだろぉなと思っていたイメージはガラガラと崩れ


その日一日、真っ暗な感情の中で過ごした



そして、絶望しきったら
「なんとかしないと!」っと思い
「俺がやりたかったことは?」ってそのときの頭の中を総動員して考えだし


「そうだ!俺は不動産のオーナーになりたかった!それについて勉強しよう!」

そこからすぐに帰って
そのとき流行ってたユーキャンを調べ

それに関連する宅地建物取引主任者の講座をすぐに申し込んだ



それから2.3年ここに勤めたら辞めようと思い勉強を始めた

そして、社会なんてもんを全く知らない俺は
その「資格の勉強をしてる」「2.3年で辞める」って話を従業員の人に話したら

次の日、会社の部長に呼び出され
「お前2.3年で辞めるんだってな」っと
誰かが告げ口をし、そこで初めて社会ってそうなんだって学んだ


それからは自分の話をしなくなり
黙々と仕事をし、帰ったらすぐ勉強

おかげでその年の10月の試験には合格でき
それが自信になり
2、3年の間に取れる資格はドンドン取っておこうと
大学にいっていない俺としたは
それで学歴に対するコンプレックスを隠そうともがいてた



入社したその年の11月に、それまで仲が良くなかった工場の頭に呼び出され名古屋への転勤を告げられる

いい厄介払いと
大都市では人が集まらないからというルートでの入社だったらしい


俺としても、そんなクソの下で働きたくなかったので名古屋行きを了承した


でも初めての一人暮らし
しかも全く知らない名古屋ってことで不安もあり
おかぁに相談したら

息子大好きの母親なら止めてくれるだろうと思って話してみたら

「いいんじゃない?」Σ('◉⌓◉’)Σ('◉⌓◉’)Σ('◉⌓◉’)

かなり驚いた笑

それでまぁ行くことになり初めての名古屋での
一人暮らし

おかげで俺は家事が好きなんだってことに気付いたり
知らない土地で、知らない人間たちは地方によって違うんだって学びにもなった


資格の勉強は続けていたから毎日毎日分刻みで予定を考えて

仕事終わって勉強してメシ作ってストレス発散にランニングして風呂入ってまた勉強で寝る

そんで休みの日には自転車で遠く遠くまで遠乗りして
布団引けないくらいまで疲れてばたんきゅ〜
それで次の日からまた仕事




本当に何かに追われるように
誰かと競うように頑張ってた


本当は誰も何も言っていないのに




その名古屋の生活も、入ってきた新しい後輩と一緒にら会社と揉め事起こして辞めることになり
一旦九州に帰ることになった




帰ってからも、勉強していたFPと行政書士の勉強を徹底的にやろうと
仕事もせず、初めてプー太郎になり
次は資格勉強って変な名目で
世間にバカにされないようにと頑張った




でも前のように何故か勉強も上手くいかず
胃が痛くなり、ご飯が食べられないくはいストレスを溜め続け

 試験が終わった次の週には
実家も嫌になり神奈川へと仕事で出ていった




そこで一年くらい自動車工場に勤めて
そこでも、人間関係で思い悩み
先がないこともあり辞めた



そんでそのときやりたかったことが資格の勉強なんかよりも夜の蝶

ホストにズゲー憧れがあり


やるならメッカの歌舞伎町!
しかも神奈川からなら近い!っと九州に帰るか悩んでいたけど

初めての世界へと飛び込んだ


そこで初めて安心した
そこでは俺が着たかった服を着て
酒を飲んで仕事をして
女の人と接客して話して遊んで楽しんで

それが仕事ってなんていい仕事なんだっと


最初のうちは緊張感と、周りがみんなギラギラした人たちで怖いっていうので
シドロモドロ自分なりに考えて仕事をしていたんだけど

それが良かったようで
3ヶ月目には、ある一定額以上稼いだらなれるナンバーをもらい
それなりに充実した毎日を過ごしてた



でもそんな生活にも慣れてあぐらをかいてからは売り上げはみるみる落ちていき

カケが重み、ひと月働いて給料がマイナスなんて月もあった

それでもそのときには衣食住を揃った環境が出来上がっていたので
金が無くても生活ができた


そんで最後はカケが残ってんのに飛んでお終い


回収屋から連絡が、バンバン入ってくるようになって
ビビってたけど、それもなんか知らんけどの力で無くなった

 いいタイミングで抜けれたんやと思う



そのあとは、この子だ
結婚するならこの子って思う子と出会ってたのに


自分がまだ違う、まだ遊びたい
まだ出来んって


理想の24になっても
安定しないら自分に業を煮やして
そんな良い子とも別れた



メッチャ泣いたもんね

恥ずかしい話が
「ゴメンね。ありがとう。ゴメンね。ありがとう」って
彼女が泣けないくらい喚き散らして笑



そっからとりま生活を安定させないと
っで普通の昼の仕事について
 


ここでも
まずは普通に戻さないと
って。また強迫観念で頑張って普通と言われる状態に戻して





そしてようやくそっから




心屋と、ビジネス
カウンセラーの道に入り始めた。





若かりし頃の名古屋で一人暮らしのときの写真恥


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そっからこうなった笑




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このあとのことはまた今度

長過ぎるwww





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そんなに頑張らなくていいんだよ
誰も何にも言ってないんだよー

自分の頭の中が偏ってるだけなんだよー

っていう仁さんの教えで凄く楽になった


頑張って成功する人
人に任せて、助けてもらって成功する人がいるって知った



自分の本来の輝き
自分ってもんを見つけれるようになって凄く楽になれた




だから俺は心屋のカウンセラーをやっていこうって思った




それが相当自分にとって苦しい道って分かってても
無いことにしてしまった自分への「おかえり」でもあるからね




おしまい〆





本当に長々と読んでくれてありがとう(*´ω`*)