i-color×心屋流で“大丈夫”を伝える みっきーです^^

自分再発見ツールi-colorと心屋流カウンセリングを使って
“あなたの暮らしをちょっと楽に、もっと楽しく”を
モットーに新潟市で活動しています。

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◇はぴきゃりHPのi-colorコラム:最新記事はコチラから

  • 24 Mar
    • ホッとしちゃいました(≧∇≦)

      娘が小学校を卒業しました。卒業式、私、泣くんだろうなぁと思っていたけど、そんなに泣かなかった^^;うちは一人っ子なので、赤ちゃんから保育園、小学校、これまですべての行事が一回きり。小学校の卒業式は最初で最後だし、この小学校に二度と来ることもないんだなぁと思うと、寂しい気持ちもある。けれど、肩の荷がおりた感があって、ホッとしちゃいました(≧∇≦)私、かなり頑張った。前者なのに前者アプリ搭載で頑張った(笑)時間や気持ちの面でやりくりしたよ。仕事との帳尻合わせしながら参観や行事にできるだけ出席したし、そこに自分の気持ちがあろうかなかろうがとにかく後悔しないようにと勝手に強制参加^^;うん、頑張った(T_T)思い返すと楽しいことも怖いことも新鮮なことも苦しいことも喜びもドキドキなことも悲しいことも驚きも心配なことも嬉しいことも緊張も傷つくことも感動も苦しいことも感激もたくさんのことがあった。子どもの小学校なのに、私も初めて小学生のお母さんをやらせてもらって学習したりもがいたり諦めたり成長したりした。今一番思うのは、終わってよかったということ。卒業式の最中、私はいつも思い当たるところにぶち当たった。私はやっぱり変な人だから、ちゃんとしなきゃダメで「小学生のお母さんとして娘に迷惑をかけないよう、責任を果たさなければならない」というとても窮屈な縛りを自分に課していたらしい。それなりに手を抜いたり楽しんでいたようで、寝坊しないようにとか当たり前のことを当たり前にできない常識のない自分が子どもに迷惑かけないように見張ってた^^;中学生がいきなり大人になるわけではないけれど、私の肩の荷が少し減るのは確か。私、よく頑張った。よく頑張った。もう、頑張らなくていいよ。たぶんまた頑張っちゃうんだろうけど、それでもいいよ。頑張ってきた私も、頑張っちゃうだろう私も、どっちも私で、私が選んで決めている。私が私の願いを叶えている。うん、私は小学生の娘のお母さんとして、できる限りのことをしたかった。Maxやりたかったから、今満足している。できなかったこともあるけれど、それでも頑張って私の願いを叶えてあげた。ありがとう、私。ここまで頑張ってくれてありがとう、私。娘のおかげで小学生のお母さんを経験させてもらいました。私のおかげで小学生のお母さんを頑張ることができました。私、すごく頑張った❗️よくやった‼️ありがとう

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    • 【実録☆心屋流社会人vol.57】まだまだいい人してました

      昨日、会社で凹むことがあった。色々重なる時は重なるもので、上司からの注意やクレーム電話やちょっとしたミスなどが引き金となり、「なんで私ばっかり?」「こんなに頑張ってるのに…」という、長年慣れ親しんだいつものヤツをまた感じた。「周りは敵だらけ」と思っていないつもりだったけど、「誰も助けてくれない」=自分で何とかするしかない「どうせ私は助けてもらえない人」という前提がしぶとく居座っていたようだ。何が起こったかはまた別記事で書くとして、私は、相変わらず"いい人"してたことに愕然とした。自分のためにやってるつもりで、いつの間にか相手のペースに巻き込まれ、空気読んで合わせることがやるべきことになっていた。昨日私の中から出てきた感情は、子どもみたいなものだった嫌いみんな嫌いくっだらねぇつまんない誰にも会いたくない…割り切って仕事だけしているつもりが、やはり一緒にいる人の影響を受けている。そんな環境に身を置く自分、周りに合わせていい人してる自分が嫌で、最終的に自己責任なんだからと自分を責めるのが本当にアホみたいだと思う。そんなことばかりやってきたなぁ。いっぱい我慢してそれがたまって爆発して、逃げ出す。我慢することしか知らないから、小出しにするやり方がわからない。逃げ出すことしかできない。だけどそれに気づいているなら、それをやめてもいいんだよね。どうせ辞めるならまだ試せることがある。逃げたり、心の中で立ち向かったり、気持ちを強く持ったり、やってみようと思えることがまだある。自分がどうしたいのか?1つ1つ確かめながら試してみるチャンス。嫌な私も出してみる。本当は調子を合わせることも媚びるみたいで嫌いなくせに、これくらいどうってことない大人の対応と思ってやってきた。嫌われたら業務に支障が出て困るから、と相手の機嫌を損ねないようにしてきたけど、そこ、わけて考えるところだよね。相手は機嫌や人の好き嫌いが業務に影響する人かもしれないけど、私が相手のスタンスに合わせる必要はない。だって私は誰が相手でもどんな状況でも自分の責任を果たすべく仕事はきちんとやる。だったら相手に合わせなくても、嫌われても仕事すればいいし、支障があったら上司に言えばいいだけ←ここが頼りにならないから自力でなんとかしなきゃいけないって追い込まれるんだけどね^^;結局は"損したくない"んだよね。嫌われて業務に支障が出たとして、困るのは私。嫌われて居心地悪くて、嫌な思いをするのは私。嫌われること、揉めることを避けようとするから、断れず言いなりになり無理して我慢する"都合のいい人"になってしまう。ああ、怖い誰かに嫌われるのは怖いいないところで何か言われるのは怖い面と向かって何か言われたら立ち直れないかも…妄想が膨らむ^^;それ、本当にそうなるのかな?「そうなりそう」にずっと怯えてきたんだよね。自分に我慢させることで「そうならない」ようにしてきたんだよね。それがもう嫌なら、違う方をやってみるしかない。怖いままやってみる、もっと本気の"嫌われてもいい"

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  • 23 Mar
    • 濁るから引きこもる、そして解放される

      人の言葉や情報を鵜呑みにして振り回されて疲れてしまう、そんなことありませんか? あの人にこう言われたから…ぢんさんはこう書いてるし…夫にこう言われるけど…友達からこう…お母さんは…  私は超のつく真面目で、言われたことをそのまんま額面通りに受け取ってしまう方です。 とはいえ、実家は空気読むべきなところで、言葉の奥に思惑がひそんでいるので、私はよく混乱していました。 どれが正解かわからない… 言葉の裏を読み、顔色を伺って正解を探すのに必死だった時期もあります。 それが人付き合いの原点だとしたら、当然「人の言葉には裏があり、言葉にされない意図や思惑を読み取って正しく対応しなくてはならない」という”べきねば”を握り締めます。 自信が持てないまま、頑張って正解を探してなんとか対応してきた部分もあるけれど、いつも不安だった。 これでいいのかな…これで合ってるのかな…私、おかしくないかな…みんな、本当はどう思っているのだろう… そんなことばかり考えていたら疲れるし、楽しめないよね^^;  だけどその頃の私は、それがお付き合いだと思い込んでいたのです。 人間関係とはそのように気を遣うものだと思っていたのです。 今も癖が出ちゃうしね^^;  と同時に私は真正面から受け取ってしまう部分も多々あり(たぶん実家で鍛えられただけで基本的に人の言うことを真に受けたり鵜呑みにしたり疑わないタイプだったのだろう) 裏が読めなくて苦しむことも、あれこれ全部受け止めてしんどくなることも、真に受けてわけわかんなくなることもあります。 そりゃ、そうだ、みんな自分が正しいと思っているのだもの。 正しい正しくないとわけなくてもいいけど、それぞれの主義主張、好み、表現の仕方があって当たり前。 好きなものを選べばいいのに、正しそうなことを言っている人や成功しているように見える人、楽しそうな人達を見ると、「どれが正解?私もそのようにしなくちゃ?」と影響されてみたり、怖くなってみたり、不安になってしまったりする。 たくさんの情報を受け取ったり流したり眺めたりしている内に、翻弄されている自分を感じた。 自分がにごる感覚がした。 読むと気づきにつながったり、学べたり、新しい視点が得られたり、確かに有益な情報もある。 だけど私の心は弱い。 "これが私"と常にしっかりと立っていられない。 人に影響され、流され、お付き合いなんかも考えて、好き嫌いより損得で選ぶ。 疲れているのにその場から立ち去れない。 そしてそんな意志の弱い自分を責める。  いろんな情報も、お付き合いも、活躍してキラキラしてる人も 目に毒で 私はいちいち心がぐらぐらしてしまう 反応して振り回されてしまう 意志が弱いからついつい見てしまう 時間をとられてしまう  意志が弱いなら上がってこないようにしよう、と、フェイスブックのフォローを全部外しました。 その人の投稿は見たいけど、その人がいいねした違う人のやつもあがってきてしまうんだもの。 それは見たくない。 今の私には必要ない。 だからいっそ全やめしてみた。 タイムリーに記事を読めなくても、リアルタイムのやりとりができなくても、つながりが薄れたとしても、今はそういうのが疲れるから、やらない。 シンプルにそれだけでいい。  そうして、手放してしまったら楽になった。 それでも連絡のやりとりに使ったり、どうしても読んでいるものもある。 それは自分で選んでそうしているのだからそれでいい。  自分の感覚が少ずつ戻ってくる感じがしている。 この春休み、それをもっとやってみたいと思っている。     そして、また一つ楽になったこと。 娘が小学校を卒業した。 私、「ちゃんとしたお母さんでいなければならない」って自分にすごく圧をかけていたみたい^^; 「お前はおかしいのだから、人より頑張らないとちゃんとできないんだよ、わかってるね?」そんな鬼視点で、肩に力入れて乗り切ってきたらしい。 とても窮屈だったんだろうな。 「小学生のお母さん」は楽しいこともたくさんあった。 それでも私には荷が重い部分があったのかもしれない。 集団の中で常に正解を探し続けて、おかしい人だとばれないように、常識のない母親だと思われて子どもに何か影響がないように、必死で正しい振る舞いをし続けようとするのは、ものすごいエネルギーを使っていたのだろう。 それも無意識の内に^^; 6年間、終わってよかった。 私を小学生のお母さんにさせてくれてありがとう、子ども。 よく頑張ったね、私。 さあ、中学生のお母さんはもっと気を抜いてやってみよう♪  ◆【みっきーオリジナルセッションのご案内】はコチラ ◆イベント先行案内【えこひいきへの扉】登録はコチラ 

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  • 22 Mar
    • 私が子どもの幸せを心から願うように、私も母に思われてきたのだろう

      私は小さい頃、甘えられない子どもでした。   口うるさいご近所に囲まれた田舎で、 当時週休1日のフルタイム勤務をしながら、 鬼姑と鬼小姑と昭和な夫に囲まれて、 母はいつも働いていました。   とても忙しそうで、私は”母に迷惑をかけてはいけない”と思っていました。   小さい頃から手のかからない、おとなしい、一人遊びの上手な子どもでした。   弟が産まれてなおさら、母は遠くなりました。   病気がちで手のかかる弟に母をとられたような気になりながら、歳の離れた私は「お姉ちゃん」として振る舞い始めるのでした(鬱屈したものは弟に向けられるという罪のない弟にとっては災難つき)       あの頃、私が欲しかった言葉、だっこ、眼ざし、ぬくもり…   今、思い切り子どもにさせてもらっています。   THE 自己満足にして親バカ街道まっしぐら☆イェーイ(〃∇〃)後悔はしないぜっ   最初は、”あんな母親にはならない”(母への反抗心)やら、”私みたいな寂しい思いはさせない”など、自分で自分を縛りながら始めた窮屈な部分もあったのですが…   単純に”わが子が好き”という気持ちでやっている部分も大きかった。   だって伝えたくなるんだもん。   だってかわいいんだもん。   だって好きなんだもん。   宝物さんなんだもん。     入れ込み過ぎではないかと悩んだ時期があり、 私が母を嫌ったようにいつか子どもに嫌われてもしょうがないという傷つかないための先回り覚悟をしてみたり、 子どもにのめり込んで重たい母親にならないよう、私自身のコミュニティを作らなきゃ友達を見つけなくちゃ他にの夢中になれるものを探さなきゃという保険をかける行動なんかもしていました^^;     そういうのを引き算してもやっぱり子どもが大好き。   うちの子だけ大好き。   私にとっての特別。     この先彼女が何を思っても何を選んでも 例え私を嫌って離れたとしても 私は一生彼女の母であり、彼女の味方であり、心から幸せを願い、応援し続けることでしょう。   具体的な何かができなくても、遠く離れたとしても、思っている。   祈っている。       きっと、うちの母も。   同じようなことを思ってくれているんだろうな、と勝手に想像した。           宝物さん   大好きだよ   一緒にいてくれてありがとう   ◯◯ちゃんがうちに来てくれて本当に嬉しい   なんてかわいい子だろう   なんて素敵に成長しているの   そのまんまでいいんだよ~   いつも味方だから   信じているよ   大丈夫   あなたは大丈夫   愛してる   どうか幸せでいてね(心の声)   あなたらしく   あなたのまんま   楽しんでいってね       笑顔で真顔で冗談で、私の気が済むまで伝え続けてきた上記の言葉たち   娘にとって「かわいい」は言われすぎてもはや何の意味も持たないらしい(「おはよう」と同じくらいの頻度で「かわいい」を連呼してきた我が家の日常)     時にうっとおしく思われながら、めげずに好きなだけ愛を伝えていこう   我が家はどうかしてると思っている冷静な娘を見守り続けていこう             いつも胸にあるのは「親がしてやれることなんて、ほんの少し」   という山本ふみこさんのエッセイのタイトル(中身は忘れたけどタイトルだけ残ってる^^;)     本当にそうだと思う。   家やお金や環境を与えたら、あとは勝手に育つのを信じて見守るだけ。   彼女の生きる力を信じて、求められた時に全力で応えるだけ。   台所で本気飯を作り、娘を信じながらも時々心配したりドキドキしたり、右往左往していつか離れるその時まで、一緒に生きていく。     大人になりきれていない私は、娘に「子ども心をわかってくれるところが好き」と言われた。   いつまでも子どもの頃のことを根に持っていた(自分がされて嫌だったことを忘れなかった)執念深さが思わぬ評価を受けて喜びに打ち震えたこともある(笑)     親として何かを示すとか、教えるとかよりも、私の生き様を勝手に見るなら見たらいいし、見なくてもいいと思っている。   あなたと私は別々の人間だけど、一緒に生きる同志の気分で過ごしている。   あなたでよかった。   わたしでよかった。        

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      テーマ:
  • 21 Mar
    • 不安を解消しようと頑張る時、不安が強化されるのかも?

      私はひとりぼっちになるのが嫌でした。   ひとりぼっちの寂しい人と思われるのが嫌でした。   人との距離感がつかめない、おかしい人だとバレるのが怖かった。     だから、ばれないように、お友達作り、お付き合い作りに頑張っていた時期があった。   たくさんの人に会い、積極的に話しかけ、つながりを絶やさないように連絡を取り、会い…それはまるでいいことのように思える。   苦手な人付き合いを克服しようと前向きに頑張っているような、建設的なことのように思える。   けれど私の出発は、ひとりぼっちになりたくない、寂しい思いをしたくない、寂しい人だと思われたくないという、人の目を気にしつつの自分の不安からだった。     だから、本当に仲の良い友達を作りたいとかじゃなく、一人にならないための、おかしい人だと思われないための、不安を解消するための行動だった。     行動自体は建設的なように見えても、根底にあるのが不安だと、その行動をしている間中、その不安を意識していることになるのではないかと思った。     不安から逃れたくて行動しているのに、行動している間中、不安を意識し、不安に向き合い(突きつけられ)、不安が強化されてしまうのだとしたら、なんとも本末転倒な話だなぁと思った。     不安や不快、恐怖、後悔…できれば味わいたくないから、先回りして回避しようとしたり、それを感じる状況になるとすぐなんとかしようとしてしまったり。   向き合うことも考えることも動くことも大切なこと。   だけどそれと同じくらい、ただ感じること、なんとかしようとしないこと、過ぎ去るのを待つこと、見守ること、なんかも大切なことだったのかなと思った。   いつも頑張ることでなんとか乗り切りろうとしてきたけど、そうじゃない世界もあったのだろうなと思う。     それが、私の"損してもいい"の1つかもしれない。   見守ること、手放すこと、不安や恐怖を感じたままでいること…その先に何があるのか、見てみるのもいいのかもしれない。     たぶん、そんなに怖いことはないのだろう。   やったことがないこと、未知の世界は誰だって怖いもの。     寂しいとか、悲しいとか、不安とかをあまりにも恐れすぎて、遠ざけよう遠ざけようともがいていきたなぁ。   そんなに悪者にしないでよって追っかけてきたのかもしれないな。   寂しさから逃れようとすればするほど、寂しさを見張り、常に意識していたようなものだもの。     感情にいいも悪いもないと言う。   私がどんな風に受け止めるかがあるだけ。     今、物理的に寂しくなりつつある身の回り(気を遣うお付き合いから離れつつあるから)   誘われなくなることで、これまでわずらわしいと思っていたお誘いもありがたいことだったなと思える。   それを維持するために頑張ってきたな、と思う。   一度離れてみて、やっぱり頑張りたくなったらまた頑張ればいい。     今は寂しいの向こう側を見てみたい。            

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    • ”お待たせしました! 新潟のみっきーと一緒のお話会、詳細と募集開始のお知らせ!!”

      ひろみさんがとっても素敵に書いてくれました♪4/10に群馬県は高崎にお邪魔します(*^^*)興味のある方、ピンと来た方、ご縁のある方、この機会によかったらぜひ(≧∇≦)高崎でひろみさんに出会ったのは、マスターコースに通っている最中の2014年12月でした。アッコさんのランチ会に参加しに行ったのです。もう丸2年以上経ったのかぁと思います。あの時、とてもいい時間を過ごすことができました。ご一緒したみなさん、どうされているのでしょうか?その後マスターコースに通われた方もいらっしゃいました。ひろみさんの有機的なつながり力、いつも素敵だなって思っています(*^^*)

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  • 20 Mar
    • ”変わりたい”の根っこにあるのはどっち? 変わるというより受け入れること

      変わろうと思うことは今の自分を否定している、というようなことを聞いたことがあります。   確かに”変わりたい”と思うことはその奥に”今の自分ではダメ”という気持ちがあるのかもしれません。   不足感やマイナスを埋めるために”変わりたい=今の自分とは別のものになりたい”と頑張っていた時期もありました。   だけど、単純に”変わりたい=今より前に進みたい”そう思う気持ちもありました。       ”変わりたい”と思うことは何もいけないことなんかじゃない。     その上で思うのは、変わるというより、受け入れる、なのかもしれないということ。     変わりたいって思いのスタートが、今の自分を否定していることからなのだとしたら、変わる前に”今の自分を受け入れることが先”かな。     今の自分を受け入れた上で、変わりたいって思うこともあるだろう。   変わりたいって、今の自分や現実を否定して、不安から逃げたくて、なんとかしたくて藁をもすがる思いなこともあれば、   普通にあ、もっとこうなりたい、今よりこうでありたいって、今の自分を受け入れ理解した上で、目指していきたい姿がある   変わりたい、には異なる意味が含まれていることがある。     前に進みたい、現状に満足した上で、さらにやってみたいって思うこともある。     今を否定していると、脱出するための方法として、変わらなきゃって思うのかも。       あなたの変わりたいはどっち?   どこから来ている?       今がどん底で、今よりマシになりたくて自分が変わるしかない、変わりさえすればなんとかなると思うせっぱつまった"変わりたい"なのか   現実を変えるための目標としての”変わりたい”     今も楽しいけど、もう少しこうだったらいいな、あれやってみたいな、これ挑戦してみようかな、結果として変わるかもしれないし変わらないかもしれないけどいっか、と思える   ”結果として変わっちゃう”なのか     変わること自体が目標であるのと、やりたいことやっている内に結果として変わっちゃうのには、ずいぶんと違いがあるように感じるのです。     今のままでいっか 変わらなくていい、と思えた瞬間、あなたはぐぅんと変わってしまうのかもね。               ◆【みっきーオリジナルセッションのご案内】はコチラ  ◆イベント先行案内【えこひいきへの扉】登録はコチラ  

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  • 19 Mar
    • 確実に変わっていっているから、安心していい

      自分のこと全然変わらない、と思いますか? 私たちは、できるようになると、途端にそれを評価しなくなる。 できなくて苦しかったのに、忘れてしまう勢いで、次のできていないことに目を向け始める。  私ね、出産で働けなくなって自分のためにお金を使えなくなって、やっすい格好をしていた時期がある。 それなりにおかしくないようにしていたつもりだけど、好きなブランドで服を買っていた独身の頃とは違う。 何万円もする靴やカバンは買えなくなった。 好きだったメーカーの化粧品も数を減らしていった。  セールで、この値段なら買える、という範囲で一生懸命服を探して頑張っていた。 それはそれで楽しかったけれど、本当は値段を気にせず自分の好きな服を買いたかった。 お金を使うことに対する罪悪感がすごかった。 家族のためならいいけど、自分のためはダメ。 自分のもの、自分の楽しみのためのもの、娯楽なんてもってのほか。   マスターコースに行って、洋服の金額はそんなに変わらなかったけど好きな服を着るようになった。 お金の縛りはあるけれど、少しずつリハビリして、好きなのに着ていなかった色や柄にも挑戦するようになって、思い出していった。 そうそう、こういう格好が好きだったんだ、こういう格好していたっけな、いつの間に抑え込んでいたんだろう? もう若くないとか、お金をかけられないとか、母親なんだからとか、たくさんの理由を持ち出して、いったい私は何を正当化して、何を守りたかったのだろう?   マスターコースに通っている間に、黄色いワンピースやふわふわのコートも着れるようになったし、オレンジのストールやアクセサリーも身に着けられるようになった。 何食わぬ顔していたけど、本当はドキドキしていた。 似合わないんじゃないか?オカシイんじゃないか?そんな気持ちが沸き起こるのを感じながら、自分の好きなものを選ぶ、着る、大丈夫だった、の繰り返し。 マスターコースの時だけでなく、日常でもそれに慣れていき、以前より自分の好きな恰好をすることに抵抗がなくなった。  それって自分にとってはすごい変化だったはずなのに、日常になじんだ今、忘れていたりする。 そうだった、私、自分の好きな格好ができなかったんだった。 少しずつ練習して元に戻って(変わって)いったんだった。  まるでそんな努力なんてしていなかったかのように、変わった自分を忘れていた。 そして、まだできていないところばかり見て、原因探ししたり、変わらなきゃと克服しようと頑張ってみたり、次から次へと繰り返していた。 できるようになったところはすぐ気にならなくなるくせに、できないところはすごく目につく^^;  だから、自分が変わっていないと思う人は、できるようになったことに目を向けずに、できていない方にフォーカスするのが強いのかもしれない。 自分が変わったことをいつの間にか忘れていたり、これぐらいで変わったなんて言えないと厳しく考えているだけのかもしれない。 人と比べて求めるレベルがあると、「できている」「変わった」とカウントできないかもしれないね。  比べるのなら、昔の自分と比べること。 あの頃の自分に比べて、ずいぶんと変わったなと思えることが多かれ少なかれあると思うのです。  もっと、自分に甘くしていい。 変わっているから、安心していいんだよ。         ◆【みっきーオリジナルセッションのご案内】はコチラ ◆イベント先行案内【えこひいきへの扉】登録はコチラ 

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      テーマ:
  • 17 Mar
    • 何を"損"と考えるか

      まだ寒い新潟市内を自転車こいでいた時にふと思ったこと。私、これまで、たくさん"損"してきたなぁ。知らないうちに"損"してたこともあれば、"損"だと思っていたけど、結果として損しなかったり、逆に"損したくない"と頑張ったにもかかわらず損してしまったこともあった。遠回りもたくさんしたと思う。最短距離、最短時間で行くことがいいことだとしたら、遠回りや時間がかかることは"損"になるだろう。だけど、遠回りが"損"にならないこともたくさんあった。要は、何を"損"と考えるかなんだろうな、と思った。知らないうちにたくさん"損"していたとしたら、心屋的にはいい感じだなぁ、なんてちょっとニヤッとしながら自転車こいだ。どんなに"損"したくないと思っていてもいつの間にか"損"してしまうなら、本当、"損"してもいいで好きなように生きていけばいいんだろうなぁ。そして、いつの間にかうんと得をしていたりするのだろう。存在給云々と難しく考えなくても、なんか知らんけどいい感じになるのだろう。そんな風に思えた自分が嬉しい昼下がり^^

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  • 16 Mar
    • 【実録☆心屋流社会人vol.56】「仕事、行きたくねぇ~」と言える醍醐味

      お久しぶりの心屋流社会人 みっきーです。3月は年度末や異動の季節な会社が多いでしょうか? 年末と3月4月はなぜこんなにも慌ただしいのかといつも思う^^;私、週3日勤務という時間セレブな勤め方の話をすると、必ずと言っていいほどうらやましがられます。なので、火水休んで今日の出勤…フツーに行きたくない(´Д` )「行きたくない〜」 と言えるのは、行かなきゃいけない場所があるから。拘束されて窮屈なようで、それを選んでいるのは私。行きたくないと言いながら行っちゃうのも私。妊娠出産の後、社会復帰するまで、私には行かねばならないところがなかった。子育て支援センターとかママ友との約束とかはあったけど、どうしても行かなきゃいけない、という場所はなかった。パート勤務を始めた時、私は行く場所のあることが嬉しかった。子供のママでなく、子供のための用事でなく、単なる私個人が必要とされる喜び。行くべき場所がなくても、私の価値に変わりはなく、私は堂々とここにいていいのだけれど、社会から取り残されていくような、私という存在が薄まっていくような焦りや孤独を感じていたのも確か。だから、行ける場所があるのは単純に嬉しいことでもある。行きたくないってぶつくさ言える豊かさ。    ◆【みっきーオリジナルセッションのご案内】はコチラ ◆イベント先行案内【えこひいきへの扉】登録はコチラ 

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      テーマ:
  • 15 Mar
    • 心に種をまこう ”人はいるだけで人に影響を及ぼしている”

      今日はとても嬉しいことがありました。   最近、エモーションフリーの体験で、お久しぶりな方とお話する機会があり、とてもいいお話を聴けました。   その方、以前一緒に行った私のお気に入りのお店に、お一人で行ったとのこと。   たまたま店長さんとお話することができ、とてもいい時間を過ごせたとのことでした。     私の好きな人と好きなお店(店長さん込み)がつながって、何かが芽吹く感覚。   私が、何かのタネになれたのかな、と思う瞬間です。     私は、自分がいいと思ったお店、人、モノ、コト、学びを人に伝えるのが好きです。   ただ自分が好きだからやっている。     今度新潟に行くからおすすめのお店教えて~という気軽なものから(いつもMAXで応えてしまうので、かなりの量の情報を渡してしまう^^;)   「こういうこと学んできたんだけど、すごく面白かったよ!」というただ言いたいだけの単純なものや、   この人、興味ありそう、これがあいそう、と思ってピンポイントで紹介することや、   映画の上映場所を探している人に、以前上映した経験のある人を仲介するという具体的な意図を持ってのことまで、   私という存在を通じて、私の好きな人・モノ同士がつながったり、何かを媒介させられることが嬉しいのだ。       例えば、最近学んだエモーションフリーやマインドマップのご紹介などすると、主催の方にお礼を言われたりするのだけど、私が好きでやっているだけ。   もしそれで私の友人が学びに行ったら、”友人も楽しい&主催者さんも嬉しい”でwinwin、そこに私がきっかけとして入れていることがなんか嬉しいのです。   すべてを何かにつなげたいわけでもなく、ただ単にこの感動をわかちあいたい!と思って身近な人に興奮しながら話しているだけの方が多いけれど^^;     今日の方みたいに、私のオススメするカフェに行ってくれたり、私が受けた手相カウンセリングに興味を持って受けてくれた友人がいたり、受けたセミナーの話をしたらその連続講座に申し込んだ友人がいたり、私が引き合わせた人同士が一緒にイベントしたり仲良くなっていたり…   なんか、そういうのとっても嬉しい♡     意図的にそれをやってないのに結果としてそうなることが面白い。   そうやって、人は生きてるだけで誰かのタネになっている。   あの人から聞いた何かが私の心に影響を及ぼしたり、ふと目にとまった記事から人生が変わるきっかけを得たり、そんな経験は誰にでもあるのではないだろうか。     その奥には、あなたや私の知らない誰かが介在していることが多い。   この世にあるものはほぼ誰かが関わって存在している。   影響を及ぼそうとか、誰かのきっけかになろうとか、媒介してやろうなんて思わなくても、人は勝手につながり勝手に影響を受けていく。     自分の中にあるたくさんの種を自分で育てたり、大切な人に伝えて渡してみたり、   そんな意識さえなくとも、人は勝手に受け取り勝手に花開かせてくれることがある。       ただ生きてるだけで、あなたも種になっている。   あなたの存在が種になっている。       この記事の先輩のように、時々思い出す人は今も増え続けています。   勝手にたくさんの種を受け取っています^^   この世は楽しい♪           ◆【みっきーオリジナルセッションのご案内】はコチラ  ◆イベント先行案内【えこひいきへの扉】登録はコチラ  

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      テーマ:
  • 14 Mar
    • 自分勝手な寂しい気持ち

      ※最下部に【後日談】あるのでよかったら最後までおつきあいください※   ◆【みっきーオリジナルセッションのご案内】はコチラ  ◆イベント先行案内【えこひいきへの扉】登録はコチラ     年賀状を書くのをやめ、来た人に返事を出すスタイルにしてから2、3年経過。   そもそも年賀状を書かないから、返事を書くのも億劫になる。   年賀状もらったけど、疎遠になってしまった人や、今後もうお付き合いしないかなぁと思う人や、なんとなく気乗りしない人に返事を出さなかった。     義理を欠いたわけでふ。       すると何が起こるか?     共通の友達から「またみんなでランチ行きたいけどみっきーと年賀状のやりとりがなかった…」と気にしていた、と連絡が来た。   くれたのに私が返事をしなかったのだろう。   気まずいである。       「転勤していったママ友から新潟に来るというハガキが来たから会おう」という一斉メールが娘の昔のクラスのママ友から当時のグループに配信される。   ご丁寧に「みんなのところにもハガキ来たと思うけど、知らせてくれるなんて嬉しいよね」   あのぅ…   私にはハガキ来てないである。     年賀状出さなかったからかな…   いや、出したか出してないか定かでないけれど、来てないってことは出してないんだろう^^;   出してないくせに勝手なもので寂しいである。   きっとグループ内でもらってないのは私だけ→他3人いる   みんな、ちゃんとしてるんだなぁ、私ってちゃんとできないよなぁ、という気持ちもちょっと出る。   ちゃんとしてない、大人になりきれてない自分を感じて勝手に恥ずかしくなる。     会いに行ったところで向こうも気まずいだろうなぁとか思う→自分がそうだから相手もそうだろうという自動変換妄想^^;   娘のつながり的に行った方がいいのかなぁ、とか考える→人目や今後を気にする損したくないからくる他人軸^^;       自分の気持ちを大切にする=自分の思う通り行動する=義理を欠いた感じになる=気まずいやら寂しいやら恥ずかしいやらで、うっかり自分責めや後悔しそうになる   すると、やっぱりやめておけばよかったとか、逆戻りしそうになる。       戻ってもいいし、踏ん張ってもいいし、やめてもいいし、続けてもいい。   統一する必要もないし、使い分けてもいいし、ましてや自分を責める必要はない。     だって、たまたまだもの。   たまたま連絡が来ただけで、私が知らされなければ知らないままだった。   知ってしまったので、ああ、私が返事を出さなかったことで、相手に寂しい思いや気まずい思いをさせたのかなって想像してしまっただけで。   相手は気にもとめていないかもしれないし(それはそれでやっぱり勝手に寂しいのだけど)、せいせいしたかもしれないし(書いてて悲しくなるな^^;)、どうかしたのかな?って思うかもしれないし、来年から出さないでおこうって淡々としてるかもしれないし、失礼しちゃうわねってプンプンしたかもしれない。     思い入れは人それぞれ。   今の私に年賀状は必要なく、年老いてまた出したくなったら出せばいいと思っている。   そもそも心から年賀状を出したいと思う人がいない、という寂しい結論であったりするのだから^^;   私は長い間、自分を殺して人に合わせるお付き合いをしてきたので、素の自分を出せる友達が少ない。   それは相手のせいではなく、私のスタンスの問題。   今は、私が付き合いたい人にだけエネルギーを使う。   苦手な人や義理お付き合いな人や気を遣ってしまう人にこそ膨大なエネルギーを使ってしまうからだ。     寂しいと思うこともあるけれど、今は自分がしんどくなるお付き合いに距離を置いている。   そうはいっても、これが最後と思って参加することもあるし、やっぱり欠けない義理もあるし、自分が同じようなことをされたら勝手に寂しく思うのはこれからも変わらないだろう。   それでいい。       にしても、本当に勝手なもので。   出していないくせに、うちには来てないのかなぁって郵便ポストを確認し続けているここ2、3日^^;   寂しい気持ち、自分勝手なまま、しばらく感じていようと思う。         【ここから現在時刻の後日談】 上記の記事を書いたのが月曜の朝でした。 はがきが来てないか見ていたのは金曜、土曜あたりです。 そして、月曜の夕方には、もうポストも気にならなくなっていました。 なんか知らんけど、気にならなくなった。 慣れた?時間が経って平気になった? よくわからないけど、まあ、いっかという気持ちになりました。 この集まりに行くのかどうかはこれから考えようと思います^^;    

      18
      テーマ:
  • 12 Mar
    • それ、相手の問題かもしれないね

      自分の問題と相手の問題が絡まっちゃうことがある。 ぢんさんがいう知らんがなって、それは相手の問題ってことなのかなって思う。  あなたの機嫌が悪いのはあなたの都合。 今朝旦那さんとケンカしたのか、さっき上司に注意されたのか、来る途中の電車が遅れてイラっとしたのか、私にはうかがい知れない理由で、機嫌が悪くて、私にあたってくるのかもしれない。  けど、こっちにはね〜 私は責められる人間って前提があるんだからねっ 私、何か悪いことしたかな?って、自分の問題として考えちゃうんだよっ  フラットな人なら、ああ、なんか知らんけど機嫌悪いんだなって相手の問題として考えられるところ、 拗ねのある偏った私なんかは、すぐに自分を振り返っちゃう。 もう無意識のうちに超高速自動変換思考が働くよね。  そうやって、何でもかんでも自分の問題にしてきたな、と思う。 自分でそれを選んでた。 自分が悪い方が楽でもある。 苦しいけど、謝ったり自分を責めたりできるもの。  本当に自分の問題なのか? ちょっとひいて、わけて考えてみるといいかもね。  相手は、目の前の小さな問題に、気分や八つ当たりや他の人に言いたいことなんかを乗っけてあなたにぶつけてきているだけかもしれない。 自分の問題にしすぎなくていい。 あなたが対応できることをやるだけやったら、あとは相手の問題と ドキドキしながらちょっとほっといてみていいのかも。  必要以上に自分を責めなくていい。    そんな練習中のわたしです^^;     ◆【みっきーオリジナルセッションのご案内】はコチラ ◆イベント先行案内【えこひいきへの扉】登録はコチラ 

      21
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  • 10 Mar
    • 終わったことにしなくていい、終わらせようとしなくていい

      あなたには「もう終わったこと」と思っている嫌なことがありますか? あれはもう済んだこと、にしてきた 終わったこと、と言い聞かせてきた もしかしたらなかったことにしてしまいたいくらいの つらく苦しい過去  考えるたびに傷がじゅくじゅくと痛む真っ最中から、少し時間が経って思い出すたびにしくしくと心が痛む頃を過ぎ、普段生活している中で感じることもなくなった今、あれはもう終わった、過去のことだった、と言える?  そうしてしまっているのではないだろうか?  あんな小さなことにいつまでもこだわるなんて情けない くよくよといつまでも引きずっている私はダメな人間だ もういい加減忘れて前に進まなきゃ  そんな風に思ったことありますか?     あのね、 きっと、 終わってないよ、ソレ。      終わらせようと思えば思うほど、追いかけてきていつまでも居座るかもしれないね。 終わらせなくてもいいんじゃないかなぁ。 あんなに終わらせたかった(解決したかった)私だけど、そんな風に思うようになった。 きっと終わらせたくないんだよ。 まだまだ恨みつらみ、怒り苦しみ、悔しさ情けなさ、悲しさ痛み…そんなものが、終わらせてたまるかって暴れてるんだよ。 それを抑えつけて何でもないフリしたって、何度もぶり返して苦しくなるって自分が一番わかってるよね。   無理に終わらせようとしなくていい。 気が済むまで一緒に生きてやるって思ったら、案外すんなり忘れられるかもしれない。 気が済むまでぐだぐだしていいんだよ。 誰でもないあなたの気が済むまで。      はぴきゃりの修了生インタビューに掲載されました。 よかったらご覧ください♡ 修了生インタビュー11   ◆【みっきーオリジナルセッションのご案内】はコチラ ◆イベント先行案内【えこひいきへの扉】登録はコチラ 

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  • 09 Mar
    • 真面目な自分を愛す

      また寒くなっちゃいましたね。   私は3月に降る雪が好きです。     昨日書いた記事で、自分の雑談力のなさを嘆きましたが、実生活でそこそこできてはいるんです。   子どもの頃、ほんっとうに話せない内気で引っ込み思案だったので、途中からものすごい努力をしました。   周りを見てこういう時はこんな風に言えばいいんだとか、こういう場合はこういう対応が望ましいんだとか、学習して実践して経験を積んで検証してブラッシュアップして、不自然に思われないように頑張ってきました。   結果、それっぽいことができるようになった。   適当に相槌を打ち、話を合わせることもできるようになった。     常に判断基準が他人軸になった。   こういう場合、みんなはどうするんだろう?   どうすることが正解なんだろう?   人のやり方を見てから、自分の身の振り方を決めたり、自分の意見は言わずに大多数の意見に合わせたり…   そんなことを頑張ってきました。   人としておかしくないようにって←でました、いつものやつ     思ったことをそのまま言わず頭の中でおかしくないか検討してから話すことで自分を殺しているから楽しくなんてないし、   おかしなことを言わないか?人にどう思われるか?常に気を張って自分を見張っているから人といると疲れる。   そんなことにさえ気づかず、私は頑張っていました。   自分を殺してまで人に合わせて、自分の意見どころか、好き嫌いさえ人に委ねて。   自分をなくしていることに気づかないくらい頑張っていた時期が長かった。     あの頃は、それがいいと思っていたからそうしていた。   それしかないと思って必死だった。   今もやる時はあるけど、それ以外の方法もあって、どれにするかは自分で選んでいいとわかったから気の持ちようが随分違う。   人と付き合うには、集団からはみ出さないためにはこれしかないと思い込み、必死でやっているのと、   これをやってもいいしやらなくてもいいし、嫌われてもいいしそこから離れてもいいし一緒にいてもいいし、自分で選んでいいとわかった上でそうするのとでは、   自分の心の中が全然違う。       私は本当に真面目で(笑)   一生懸命取り組んできたと思う。   だからこその失敗も傷つきも後悔もあるけど、それをネタにすることができたり、私みたいな真面目な人と気持ちを分かち合って笑えたりする。     なんだかんだ言っても、私は真面目な自分がつまらない人間で不器用で要領が悪くて重たくて、嫌だなぁって×してたんだと思う。   明るくて軽やかで要領がよくてスマートで楽しげな人がうらやましかった。   そんな風に生きられたらって思って頑張ってた頃、それっぽいふりはできても、心の中では違和感満載で、この私は作られたものですよ!と嘘ついているような気分になっていた←真面目   私がそんなことを考えてそんな風に振舞っているなんて誰も気にしていないのにね。   その場が楽しければそれで終わりで、私だけがあと引いてるだけだったりするのにね。   真面目な部分で守られ得してきたこともたくさんあるのにね。   自分にとって嫌な側面しか見てこなかった^^;           今、エモーションフリーのモニターをさせてもらっていて、私みたいな真面目な方でなんだかよく似た体験をされた方に私のぐちゃぐちゃ話をしたら、なんだか心がスッキリとした。   真面目っていいよねって思えた。   真面目だけじゃない私もいるから、決めつけて縛る必要もない。     真面目な自分を許す   真面目な私を愛す         はぴきゃりの修了生インタビューに掲載されました。   よかったらご覧ください♡ 修了生インタビュー11        ◆【みっきーオリジナルセッションのご案内】はコチラ  ◆イベント先行案内【えこひいきへの扉】登録はコチラ  

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  • 08 Mar
    • バカにされているような気がして身構えてしまう

      私は自分のことを、変な人だと思っている。   すごくぶっ飛んでいるわけじゃないけど、ちょっとズレてるというか、頑張って気を張っていないと普通からはみ出してしまうという怖れを抱いている。   だから、ずーっと頑張ってきた。   頑張るのを減らしてから、ママ友に会うのだけでなく、子供の友達に会うのが怖い。     ごく普通に挨拶してくれる子供の友達にどんな顔していいかわからない。   何話していいかわからない。   前の私って、こんな時どうしてたっけ?という違和感がどんどん大きくなって挙動不審になる。   ますます、変な人だって思われていそう、という妄想が膨らむ。     ママ友や職場の同僚との会話も、以前はすごく頑張って当たり障りなく、だけどネタ披露して笑わせたり、謎のサービス精神を発揮してやり過ぎる時もあった。   今はもう、ものすごく頑張らないとしゃべれないので、ちょっと頑張って話したら後は黙って聞いてる。   そんな時も頭の中は、   変な人って思われてるんじゃないか⁉️   何か挙動不審なんじゃないか⁉️   あらぬ妄想がぐるぐるして、疲れ果てる。   疲れるのが嫌だから、人に会うような場所に行きたくなくなる。   お家で一人、よくあること。   それが好きでもあり、時々寂しくもなることもあり、幸せに思う時もあり、焦る時もあり…   どれを選んでもいいし、どんな気持ちになってもいい。   どれも私なんだもの。     仕事から帰宅した時に、玄関先で子どもの友達に会った時、ふと思ったのでした。   挨拶以上、深い話未満の雑談・日常会話がとっても苦手^^;   当たり障りのない会話ができる人を本当に尊敬する。   自分にはできないと思っているから頑張る。頑張っても自信ないから挙動不審^^;       それでもここまで生きてこられたもん。   そんな私でもいっか。   そんな私でしかないしね。                    

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  • 06 Mar
    • 大好きな人を喜ばせたい

      私の大好きな人の筆頭は娘   ついで夫←怒られそう^^;       大好きな人に喜んでもらいたい   大好きな人を喜ばせたい   きっと、誰にでもある気持ち     人間の原初にある気持ちなんじゃないかと思う。     喜ばれたら私が嬉しい。   喜ばせることができたら私が幸せ。   そう、自分のために始めたことなのに、   頑張りすぎると偏り始める。     なんで私ばっかり   誰もわかってくれない   喜ばせたいの中にある、役に立ちたいが叶わないと、役に立たない自分はダメだと責め始める。     原初の想いは、   あなたが大好き   あなたが大切   あなたが喜んでくれると私が嬉しい   きっとそんなスタート。       小さな私の一番大切な人はお母さんだった。   お母さんの役に立ちたかった。   お母さんを喜ばせたかった。   お母さんに笑顔でいてほしかった。     どれも叶わなかった時、私は自分の無力さから、自分には価値がないと決めたんだ。   喜ばせることができないなら、せめて迷惑かけないようにいい子でいなくっちゃ、そんな風に頑張り始めたんだ。   いつの間にか、お母さんだけじゃなくて、周りの人の役に立たなきゃいけない、迷惑かけちゃいけない、にすり替わってしまったんだ。   無意識のうちの自分責めループにずっとはまっていたな。       大好きな人を喜ばせたいと頑張る私たちは、なんてけなげなんだろう   喜ばせたいくらい大好きな人がいるなんて、なんて豊かなんだろう     そこにしっかり自分も入れよう                    

      23
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  • 03 Mar
    • 矛盾していてもいい

      今朝通勤中にふと降りてきた言葉     "矛盾のない人間なんていない"     清廉潔白な私も、ブラックな私も   優しい私も、冷たい私も   働きマンの私も、自堕落主婦の私も   社交的な私も、人見知りの私も   人とつながりたい私も、独りが好きな私も   人付き合いが苦手な私も、寂しがりの私も   何かやりたくて動き回る私も、何もしたくなくて引きこもる私も   人当りよく微笑む私も、素で無表情な私も     どれも私   だから楽しい   だから苦しい   だから輝く   なんて豊か       矛盾が苦しくて、統一感のある、一定のものに憧れてきた   刹那的な生き方しかできない私を許す       人は、矛盾があるから生きていける   矛盾があるから美しい   矛盾しているのが人間なのかもしれない              ◆【みっきーオリジナルセッションのご案内】はコチラ  ◆イベント先行案内【えこひいきへの扉】登録はコチラ  

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  • 01 Mar
    • 正攻法にこだわっていた真面目な私が新たなツールに出合いました

      真面目で真に受けやすい私は、その時々学んでいること・教えに忠実に取り組むことがいいことだと思いがちでした。   まっすぐに取り組もうと頑張りすぎた挙句、ちゃんとできない自分を責める、なんてことをやってきました。     楽になりたくて始めたのに、その方法に縛られて逆に窮屈になってしまったり、うまくできないと自分を責めたり、なんとも本末転倒なことをしていました^^;       正攻法がいいことだと思っていました。   ズルしちゃダメ   飛ばさずに、一つ一つコツコツとやっていくことがいいこと   そんな前提を持っていたのだと思います。   一見いいことのように見えるからタチが悪い^^;       だけど、もういいかなぁと思えるくらい色々やってきました。   ぢんさんのいう"底"を見たのかもしれない。   飽きたのか気が済んだのか、悩みや問題が全てなくなったわけじゃないけど、そのまんまでもいい気がしてきた。   (そもそも問題なんてなくて自分で問題だと思っているだけなんだけどね。だから問題視さえしなければ問題はすぐなくなる。私は問題視して問題を生み出し続けてきた&それが好きだった)       まだまだ問題が山積みで、一生かけて取り組んで解決していくんだ、くらいに思っていたけど、そうじゃない世界を見てみたくなった。       これまでね、ずるいような気がして避けてきた方に飛び込んでみた。   理論とか根拠とか技術、のような確かなものをいいこととしてきた私が、メソッドとはいえなんだか不思議なツールを選んでみた。     なんか知らんけど   楽になってしまう   不思議なんだけど   軽くなってしまう     そんなツールに出合いました。   その名はエモーションフリー       大抵の学びに飛び込む時、私は超楽観的で、できなかったらどうしよう、なんて意識にも上らない。   考えもせず、興味関心のみで飛び込む。   そして学んでいる時に、だいたいできる、という自分の感触も感じながら獲得していく。     これまで、できるかな?と不安になることなく飛び込んでいたけれど、今回は少し勝手が違った。   私にできるのかな?   そんな意識がよぎったことに自分でも驚いた。   感覚派ではないと思ってきたから、そういう方面に自信がなく、確信を持てない不確かさに不安になっていたのかもしれない。   それだけ思い入れが強かったのかもしれない。   理論や根拠を信じきれていない部分もあった。       ワークをしている最中も半信半疑感が半端なくて^^;   できているという実感や手応えがないまま、目の前の人が変化していく。   正解ばかり求めてきたから、根拠がないようななんとも頼りない感じがしつつ。   でも相手も自分も確かに変化を感じていて。   頭が邪魔をするくらい、思考では抵抗していても、体と心が勝手に反応してしまう。       ああ、理屈じゃない世界に入ってもいいと許可したのかなぁと思う。   理論や根拠や確かなものが好きで、きちんと説明してもらって自分が納得したものを取り入れてきた私が、   感覚派の人の話に「?」となってきた私が、   委ねてもいい   扉を開いた瞬間かもしれない。       もう頭で考えすぎなくてもいいと   お許しが出たのかもしれない   何かから   自分から       この不思議なツールを使って、手放したい感情を解放するお手伝いをしていきたいと思います。     まずはえこひいきの扉ご登録の方にモニターを募るので、よかったらご登録ください。   スカイプや電話でできるので遠方の方、私と面識のない方でも大丈夫です。     ◆【みっきーオリジナルセッションのご案内】はコチラ  ◆イベント先行案内【えこひいきへの扉】登録はコチラ             はぴきゃりコラム最新記事、ご覧ください♡ 役割を意識する時、あなたのi-colorは…    

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  • 28 Feb
    • 悩むのが好きなのだと思っていたけれど

      これまで散々悩んできて、   私は悩むのが好きなんだと思っていたけれど     私は考えるのが好きだったのだとハッとしました。       先日UPした記事は、暗くて考えすぎで真面目で向き合いすぎで重たくて繰り返していて、わたしらしい記事だなぁと思う^^;     ほんの少し前に受けた講座で、私は自分に"ない"と思っていたものを思い出しました。   私には"あった"   そして今も"ある"     それは何かというと"問い"です。   私は"問い"を持って産まれ、"問い"を持って生きてきた。   その"問い"を考えることが大好きだったのだと思い出した。     その"問い"がいつの間にか"悩み"にすり替わっていたのだと気付いたのです。   考えるのが好き=悩むのが好き、にすり替わっていた。   考える=悩み、じゃなくても全然いいのに、   苦しいこと、何とかしたいこと、何ともならないこと、そんなことばかり考えるループにはまっていたのかも、と気づきました。   とはいえあれだけやってきたのだから、悩むのも好きなことであるのは確か。   ただ、悩む以前に考えることが好きで、空想や学びで自分の世界を広げていた自分を思い出したのです。   あの頃私は自由に闊歩していた、自分の世界を。       もしも、悩みがなかったら、私は何を考えるだろう?   どんな"問い"を追求するのだろう?       マイナスや欠けを埋めるための行動をとる必要がなく、縛りやしがらみのない自由な状態だったら、私は何を考えていただろう?   そんな風に思いました。     そして、そんな世界を見たくなりました。   思い煩うことから解放されたら、   怖れがなくなったら、   私は何を想うのだろう。       そんな世界を見にいきます。                 はぴきゃりコラム最新記事、ご覧ください♡   役割を意識する時、あなたのi-colorは…     ◆【みっきーオリジナルセッションのご案内】はコチラ  ◆イベント先行案内【えこひいきへの扉】登録はコチラ      

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プロフィール

i-color×心屋流 みっきー

性別:
女性
血液型:
O型
お住まいの地域:
新潟県
自己紹介:
2014年3月:はぴきゃりアカデミー7期修了       【i-colorカウンセラー】 2...

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