★「昭和の日」記念特集☆後篇★最終回★私の深川
早いですね、あの夜からもう1年。
あまりのショックに一晩中、YouTubeのVTRを聴いてたのを思い返します。
合掌そして合唱。
「昭和の日」記念特集の最終回にふさわしい?BGMで・・・。
長く引きずってきました「昭和の日」記念特集、
若い読者にはナンノコッチャ?でしょう。
ランキング参加はしてませんが、
昨日も高アクセスを記録、有難うございます。
自己満で勝手に、昔の思い出を綴ってるだけなのですが、
共感していただける仲間がいる事は有難い事です。
前回までは神田・神保町の古書巡り・・・。
古い少年誌に掲載されていた広告から懐かしいグッズを紹介しました。
この頃の通信販売、「小岩郵便局留め」とか江東の下町発が何故か多く。
・・・・私たちの年代なら誰しも1度は遊んだコインのマジック。
実際はただの「エビ・みじんこ」のシーモンキーなどなど。
お目当ての本もいくつか買い込み・・・。
そんな思い出詰まった古書店を後に。
再び地下鉄に乗り家路へ。古書の街・神保町からは1本、住吉の駅に。
ここは下町・深川の東の外れ。
住吉の駅からほどなく見えてくるのは隅田川の支流、小名木川。
徳川家康が直々に命じて掘られた運河で、小名木は掘削者の名。
深川に住んだ芭蕉も奥の細道の旅の後、、この川の風景に吟じます。
川が掘削されたのは本能寺の変のおよそ10年後の1590年頃。
昔は風光明媚な場所として知られていたようで今も古碑が残ります。
水運が交通の主要手段だった昔、ちょっとしたお休み処になっていたようです。
五百羅漢のお堂も近くにありましたが、時代の流れとともに消えました。
昔、川のたもとには、五本の大きな松があって、五本松と呼ばれていました。
当時の五本松は既に亡く、その名残は、記録を刻んだ石碑と。
新しく植えられた後代の松に留めています。
当時は、渡し船で越えた川も今は立派な橋が架かりました。
橋の中ほどまで行くと、当時の面影を留めたレリーフ↓が飾られています。
川の古名「小奈木川」と「五本松」の名札に挟まれたこのレリーフ。
原画はこちら↓浮世絵にも江戸の名所としてここは描かれています。
高度成長期には生活排水でドブ状態だった川もその後少しは浄化されました。
橋が繋ぐ通りは四つ目通り、錦糸町方面を後ろに東陽町(洲崎)に向かいます。
そんな四つ目通り沿いで今まで素通りしていた場所に目が留まり・・・。
飛行機の模型が気になったお店は、その名も駄菓子屋。
雑居ビルの階段をあがると小さなスペースが開けました。
早くも昭和の香り・・・。コンピューター時代とは言え・・・。
店を開いて30年程、オバチャンに言わせれば子供達は良く来るそうです。
ヨーヨーのスペアひもや無造作に置かれたコマとカエル・・・。
少年誌の広告のモデルガンは高嶺の花だったけど・・・・・。
これくらいの値段なら少年時代の私にも買えたかも。
勿論、この店では、今のは高い方、駄菓子屋の本筋は安い駄菓子。
パッケージは多少変化したものの中味は似たようなものが今もありますネ。
メガネ型とか数字型のチョコは、なぜかとっても懐かしい・・・。
↓指が挟まれちゃうガムね。昔はクールミントのガムの包装だったかな。
↓風船、よくふくらましたっけ。
↓ブーメランもよく遊びました。今やったら危ないかな。
↓手動の「ヘリコプター」、あまり強く引いて壊しちゃったナ。
↓カエル、実は小さい頃は一度も買った事はありません、ツマンナイモン。
でもこの時は懐かしくて買ったのは先日、ブログで紹介しましたね。
↓カエルとくれば蛇、これはなぜか昔、家にあったなぁ。誰?買ったの?。
そしてやはり今の子はAKB↓。仮面ライダーカードはありません。
駄菓子屋を出てまもなく・・・対面に現れるモダンなビル。
看板には「テンヨー」とある・・・。
実はここがあの少年誌の広告で良く見た品々の製造元のひとつ「テンヨー」。
あのコインゲームはテンヨーの開発したヒット商品。
続いて発売したダイスゲームも。タネは誰もが知っているのに今も発売中。
そしてシーモンキーの発売元もこのテンヨーでした。
自社ビルでは今もたゆまぬ手品グッズなどの製品開発が行われています。
さて、此処まで来ると、家まではあと半分くらい。
四つ目通りは交通量の比較的多い通りですが、喧騒とは逆に・・・。
昭和時代の遺物も少なくありません。空家のアパートもそんなひとつ。
そのアパート横には「昭和イマスビル」。ネーミングの由来は不明ですが・・。
アパートを指して「昭和がいます」とまるで訴えている様とは、考え過ぎ?。
そこから100mちょっとも歩くと芭蕉が奥の細道へ旅立った川に繋がる。
↓江戸時代はこんな感じ。川は隅田川に通じていて芭蕉の草庵跡が今もあります。
その横十間川の横にあるのが、都内では少なくなった釣り堀。
この日は休み。小さい頃東京に遊び行くと近くの釣り堀で遊んだものでした。
釣り堀を背に、四つ目通りを更に進んで行くと・・・。
深川方面と千葉の浦安方面を繋ぐ通りと交差・・・。事故?。
久々の豪雨でしたから、この日は。
でも大した事ないみたいで良かった・・・デス。
その交差点の角にあるのが、界隈では随一の複合施設。
ホテル、モール、オフィス、スーパーとあり、昼時は結構賑わいます。
モール内、飲食店も多いのですが、最近は安い弁当に押されています。
弁当派が多くなって、飲食店の幾つかもメニューより安い弁当を売り出す始末。
食後、モール内のコンビニは立ち読みの場所と化し・・・。
ここまで露骨だと店員も注意しないし、不況の際の痛み分けでしょうか。
モールを出て道を折れもうひとつ運河沿いに行くのが家への道筋。
この日は連休前の大雨でしたが都内で水たまりに出会えるのは珍しいですし。
最近出来た親水公園なんですが・・・雨に濡れたこのふくよかなライン↓?。
カバさん。雨でなんか生き生きしてます。
そしてゴリラと・・。
お休み中のコアラちゃん。
でも首を捻るオブジェも↓。税金ってこういう所に使われる・・・。
カバ、ゴリラ、コアラと続けば・・・・・次は?。
パンダは外せないトコロなんでしょうナ。
「定番」ですが、子供にはいいのかな。って・・遊んでいる子を見た事無いけど。
動物オブジェの他にはこんなのもあります。
今の子たちはこんなの知ってますか?
いや、お母さんたちがもう知らないかも・・・カナ。
桃太郎のお供がアンパンマンだ、なんて答える子供のいる時代ですからね。
↓この公園で遊んでいるのは、スズメくらい・・・。
やがて家に着く頃、近くにあるのが先程のテンヨーの配送倉庫。
ここの倉庫は古いそうで、私が小さい頃買ったシーモンキーは多分ここからかも。
海外駐在から帰国して住みついた深川・木場でした。
初めて見たテンヨーの倉庫に、
私とシーモンキーの因縁を感じたりもしましたが、
それまで住んだ品川や世田谷に比べて、
本で読んでいた時代モノの史跡がここかしこに溢れていて
それはそれは、下町歩きを堪能できる生活が送れました。
引っ越し魔の私が意外にも長く住んだ街でした。
家の隣には食堂代わりにしていたお気に入りの
イタリアン・レストランがあったのも嬉しかった・・・。
普段、ブログでは下町B級グルメばかりを紹介してきて、
一番通っているここは、実はナイショにして来ました。
食堂代わりだったので写真も遠慮してました。
そんなワケで、今回、以下の写真は借り物です。
↓店の入り口。実はこの写真からは私の部屋の窓が見えてます。
長くイタリア修業されてたマスターが始めたお店は内装も悪く無い。
木場の大きな公園を見渡せるテラス席もあって黄昏時の一杯はナカナカ。
料理は、概ね外れはありません。
盛り付けも上品ですから、デートにもイイのでしょう。
住宅街にありながら、結構、カップルが来たりしています。
マダム連中にも評判は宜しいようでご近所の常連も少なくありません。
種類の多いスパは、お勧めの逸品。
ランチは通常予約営業ですが、コースで頂けます。
某グルメサイトでは評価も高いようで、雑誌での紹介も度々。
深川遊覧の折には一度お試しを。
いえ、私はお店の関係者ではアリマセンが。
と、そんな親しんだ街でしたが、この程、引っ越しました。
先日、ブログで腰を痛めた事を書いたのは、
その準備で、ベランダのサボテン箱詰めをやっていた際に。
次はまたどんな新しい出会いのある街か、
楽しみにしている風来坊です。
あまりのショックに一晩中、YouTubeのVTRを聴いてたのを思い返します。
合掌そして合唱。
「昭和の日」記念特集の最終回にふさわしい?BGMで・・・。
長く引きずってきました「昭和の日」記念特集、
若い読者にはナンノコッチャ?でしょう。
ランキング参加はしてませんが、
昨日も高アクセスを記録、有難うございます。
自己満で勝手に、昔の思い出を綴ってるだけなのですが、
共感していただける仲間がいる事は有難い事です。
前回までは神田・神保町の古書巡り・・・。
古い少年誌に掲載されていた広告から懐かしいグッズを紹介しました。
この頃の通信販売、「小岩郵便局留め」とか江東の下町発が何故か多く。
・・・・私たちの年代なら誰しも1度は遊んだコインのマジック。
実際はただの「エビ・みじんこ」のシーモンキーなどなど。
お目当ての本もいくつか買い込み・・・。
そんな思い出詰まった古書店を後に。
再び地下鉄に乗り家路へ。古書の街・神保町からは1本、住吉の駅に。
ここは下町・深川の東の外れ。
住吉の駅からほどなく見えてくるのは隅田川の支流、小名木川。
徳川家康が直々に命じて掘られた運河で、小名木は掘削者の名。
深川に住んだ芭蕉も奥の細道の旅の後、、この川の風景に吟じます。
川が掘削されたのは本能寺の変のおよそ10年後の1590年頃。
昔は風光明媚な場所として知られていたようで今も古碑が残ります。
水運が交通の主要手段だった昔、ちょっとしたお休み処になっていたようです。
五百羅漢のお堂も近くにありましたが、時代の流れとともに消えました。
昔、川のたもとには、五本の大きな松があって、五本松と呼ばれていました。
当時の五本松は既に亡く、その名残は、記録を刻んだ石碑と。
新しく植えられた後代の松に留めています。
当時は、渡し船で越えた川も今は立派な橋が架かりました。
橋の中ほどまで行くと、当時の面影を留めたレリーフ↓が飾られています。
川の古名「小奈木川」と「五本松」の名札に挟まれたこのレリーフ。
原画はこちら↓浮世絵にも江戸の名所としてここは描かれています。
高度成長期には生活排水でドブ状態だった川もその後少しは浄化されました。
橋が繋ぐ通りは四つ目通り、錦糸町方面を後ろに東陽町(洲崎)に向かいます。
そんな四つ目通り沿いで今まで素通りしていた場所に目が留まり・・・。
飛行機の模型が気になったお店は、その名も駄菓子屋。
雑居ビルの階段をあがると小さなスペースが開けました。
早くも昭和の香り・・・。コンピューター時代とは言え・・・。
店を開いて30年程、オバチャンに言わせれば子供達は良く来るそうです。
ヨーヨーのスペアひもや無造作に置かれたコマとカエル・・・。
少年誌の広告のモデルガンは高嶺の花だったけど・・・・・。
これくらいの値段なら少年時代の私にも買えたかも。
勿論、この店では、今のは高い方、駄菓子屋の本筋は安い駄菓子。
パッケージは多少変化したものの中味は似たようなものが今もありますネ。
メガネ型とか数字型のチョコは、なぜかとっても懐かしい・・・。
↓指が挟まれちゃうガムね。昔はクールミントのガムの包装だったかな。
↓風船、よくふくらましたっけ。
↓ブーメランもよく遊びました。今やったら危ないかな。
↓手動の「ヘリコプター」、あまり強く引いて壊しちゃったナ。
↓カエル、実は小さい頃は一度も買った事はありません、ツマンナイモン。
でもこの時は懐かしくて買ったのは先日、ブログで紹介しましたね。
↓カエルとくれば蛇、これはなぜか昔、家にあったなぁ。誰?買ったの?。
そしてやはり今の子はAKB↓。仮面ライダーカードはありません。
駄菓子屋を出てまもなく・・・対面に現れるモダンなビル。
看板には「テンヨー」とある・・・。
実はここがあの少年誌の広告で良く見た品々の製造元のひとつ「テンヨー」。
あのコインゲームはテンヨーの開発したヒット商品。
続いて発売したダイスゲームも。タネは誰もが知っているのに今も発売中。
そしてシーモンキーの発売元もこのテンヨーでした。
自社ビルでは今もたゆまぬ手品グッズなどの製品開発が行われています。
さて、此処まで来ると、家まではあと半分くらい。
四つ目通りは交通量の比較的多い通りですが、喧騒とは逆に・・・。
昭和時代の遺物も少なくありません。空家のアパートもそんなひとつ。
そのアパート横には「昭和イマスビル」。ネーミングの由来は不明ですが・・。
アパートを指して「昭和がいます」とまるで訴えている様とは、考え過ぎ?。
そこから100mちょっとも歩くと芭蕉が奥の細道へ旅立った川に繋がる。
↓江戸時代はこんな感じ。川は隅田川に通じていて芭蕉の草庵跡が今もあります。
その横十間川の横にあるのが、都内では少なくなった釣り堀。
この日は休み。小さい頃東京に遊び行くと近くの釣り堀で遊んだものでした。
釣り堀を背に、四つ目通りを更に進んで行くと・・・。
深川方面と千葉の浦安方面を繋ぐ通りと交差・・・。事故?。
久々の豪雨でしたから、この日は。
でも大した事ないみたいで良かった・・・デス。
その交差点の角にあるのが、界隈では随一の複合施設。
ホテル、モール、オフィス、スーパーとあり、昼時は結構賑わいます。
モール内、飲食店も多いのですが、最近は安い弁当に押されています。
弁当派が多くなって、飲食店の幾つかもメニューより安い弁当を売り出す始末。
食後、モール内のコンビニは立ち読みの場所と化し・・・。
ここまで露骨だと店員も注意しないし、不況の際の痛み分けでしょうか。
モールを出て道を折れもうひとつ運河沿いに行くのが家への道筋。
この日は連休前の大雨でしたが都内で水たまりに出会えるのは珍しいですし。
最近出来た親水公園なんですが・・・雨に濡れたこのふくよかなライン↓?。
カバさん。雨でなんか生き生きしてます。
そしてゴリラと・・。
お休み中のコアラちゃん。
でも首を捻るオブジェも↓。税金ってこういう所に使われる・・・。
カバ、ゴリラ、コアラと続けば・・・・・次は?。
パンダは外せないトコロなんでしょうナ。
「定番」ですが、子供にはいいのかな。って・・遊んでいる子を見た事無いけど。
動物オブジェの他にはこんなのもあります。
今の子たちはこんなの知ってますか?
いや、お母さんたちがもう知らないかも・・・カナ。
桃太郎のお供がアンパンマンだ、なんて答える子供のいる時代ですからね。
↓この公園で遊んでいるのは、スズメくらい・・・。
やがて家に着く頃、近くにあるのが先程のテンヨーの配送倉庫。
ここの倉庫は古いそうで、私が小さい頃買ったシーモンキーは多分ここからかも。
海外駐在から帰国して住みついた深川・木場でした。
初めて見たテンヨーの倉庫に、
私とシーモンキーの因縁を感じたりもしましたが、
それまで住んだ品川や世田谷に比べて、
本で読んでいた時代モノの史跡がここかしこに溢れていて
それはそれは、下町歩きを堪能できる生活が送れました。
引っ越し魔の私が意外にも長く住んだ街でした。
家の隣には食堂代わりにしていたお気に入りの
イタリアン・レストランがあったのも嬉しかった・・・。
普段、ブログでは下町B級グルメばかりを紹介してきて、
一番通っているここは、実はナイショにして来ました。
食堂代わりだったので写真も遠慮してました。
そんなワケで、今回、以下の写真は借り物です。
↓店の入り口。実はこの写真からは私の部屋の窓が見えてます。
長くイタリア修業されてたマスターが始めたお店は内装も悪く無い。
木場の大きな公園を見渡せるテラス席もあって黄昏時の一杯はナカナカ。
料理は、概ね外れはありません。
盛り付けも上品ですから、デートにもイイのでしょう。
住宅街にありながら、結構、カップルが来たりしています。
マダム連中にも評判は宜しいようでご近所の常連も少なくありません。
種類の多いスパは、お勧めの逸品。
ランチは通常予約営業ですが、コースで頂けます。
某グルメサイトでは評価も高いようで、雑誌での紹介も度々。
深川遊覧の折には一度お試しを。
いえ、私はお店の関係者ではアリマセンが。
と、そんな親しんだ街でしたが、この程、引っ越しました。
先日、ブログで腰を痛めた事を書いたのは、
その準備で、ベランダのサボテン箱詰めをやっていた際に。
次はまたどんな新しい出会いのある街か、
楽しみにしている風来坊です。