<癒しの光 > | ハーモニープレゼント

ハーモニープレゼント

心と体を、自由で楽な状態にすることで、ハーモニーを取り戻すために、色々なことを学んできました。

それらを、実践できる時もあれば、忘れさってしまう時もあります。
そんな私の日常を、気ままに書きつづってみようと思います。

   <癒しの光 >

人は病気では死なない。寿命で死ぬのだ。
そして、誰もが、自分の死ぬ時を決めて、産まれてきている。と、私は思う。

先日、山形の老人ホームで、義父が、95才で亡くなった。
数年前から、認知症で、寝たきりで、胃ろうにより、生きているという状態だった。

何度か、危篤になりながらも、生き続ける父の姿を見ていて思ったことは、何かが終わらないうちは死ねないのかもしれない。ということだった。


私が初めて義父に会ったのは、雪の北山形駅の前だ。
嫁になる予定ということで、札幌から鮭を一匹、お土産に持って挨拶に行ったのだ。

二人で暮らす父と母に、暖かく迎えられ、炬燵に入って、ほっとくつろいだ時から、山形の家は私にとって、第二の実家となった。

 

父は仏壇彫刻師で、とても面倒見のいい人であった。
町内のこと、家の向かいにある神社のこと、仏壇組合のことなどを、リーダーとしてお世話をしていた。
お酒が好きで、ユーモアがあって、孫には自分で創作した変な話を聞かせたり、カラオケでは、歌詞を自分流に変えて歌っていたりした。
いつも、ラジオを聞きながら、こつこつと仕事をしていた父は、山形仏壇が伝統工芸として認められるために尽力し、勲章をもらったりもしていた。

 

父は戦争の時の話を語ることがあった。
血を流す戦友を背負って移動した時の話、戦地から帰って、亡くなった戦友の家に報告に行った時の話など、何度も何度も聞かされた。

 

そんな父も高齢になり、少しずつ認知症になっていった。
ある時、突然大声でわめきながら、家から出て行こうとしたことがあった。
戦争の時のことを思い出しているような気がして、父の肩を抱いて「大丈夫だ。敵はもういない。戻ろう。」と声をかけたりした。

 

介護をしている母の負担が大きくなって、父は特別養護老人ホームに入所した。
心も身体も少しずつ衰えていき、何度も熱を出しては入退院を繰り返し、二年前から胃ろうによって、生かされている状態になった。

 

たとえ寝たきりで何の反応もなくても、目には見えないレベルで、命がある限りさまざまな体験を続けているに違いない父に、自分が出来ることは何かと問い続けた。

そして、父に会いに行くたびに、感謝の気持ちと、素晴らしい人生だったね。と伝え続けた。

 

父が亡くなる数週間前に、私は体調をくずし、遠隔ヒーリングを受けた。
その時、ヒーラーさんが、私を通して父のヒーリングをしてくださった。
彼が感じたのは、戦争のシーン。そして、「怖い、助けて。」とすがっている少年時代の父の姿だった。

 

ここに、癒しの光を届けることが必要だったのだ。と私は思った。
私は、声に出し父に語りかけ、ヒーラーさんと二人で、光を送り続けてヒーリングは終わった。

 

それから二週間程して、父が危篤という知らせがあった。

 

私は、祈り続けることで、癒しの光を送り、父を見送った。


戦争は終わっていない。
その影響は、父の世代から私達の世代へと、心の深い所で引き継がれている。
残酷で悲しい事件が起きるのもそのせいだ。と、私は思う。

 

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命がまっとうされますように

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さんざん学んで知識はあっても、現実が変わらないという方へ。

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「ああ、そうだったのか。」と腑に落ちる体験を、一度おためしください。

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