バブル崩壊についてのまとめ | 明日へのミチシルベ

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経済とか映画とか書いてます。メモとしても使ってる。

ブログのタイトルを「日本の道しるべ」に変更しました。

ということで新タイトル変更ということで本日2度目の書き込み。


以下は知識を溜めるためのメモです。


費用便益率>1(そのほかの多基準考慮する必要、代替案などの考慮)を充たす防災、防衛にお金を使っても、おそらくマクロ経済全体では、いまの自民と立ち上がれ日本の政策思想では、日本のデフレ停滞はさらに加速する。直接に財政状況の悪化に帰結する恐れが強い。それだけ旧来政党の考え方に僕は悲観




費用便益率>1を満たす個々の公共事業を行うことはこれは「ミクロ」。あるいは費用便益率>1をみたしてなくても人殺しを避けるために必要なものがある。だが、その「マクロ」的な効果を判断することは、まったく別の次元。それをちゃんと理解しないとダメ。




有益だとか社会的に必要だとか、効率的だとかの個々の公共事業と、日本経済へのマクロ的な影響はともかく別箇の問題。この点をおさえられている人が少なくともネットの一般の人にはほとんどいない。そこが残念。これだけ20年間経験を積んでいるのに、いつのまにか竹下ふるさと創生レベルに戻ってる




旧来の財政政策中心主義が単に復活するだけなら、それは確実に日本の衰退にダイレクトに貢献する。日本銀行の失敗に誰もいままで責任をとるものがいないように、旧来の財政政策中心主義の中長期の停滞貢献の責任もおそらく誰もとらない。そのことが日本の停滞をさらに加速化させる。もちろん増税は論外




ちなみに1990年代を通じて(正確には7年ちょうど)で自民党中心の政権は財政政策を120兆円の規模で行った(この中には有益なもの非効率的なものさまさまざまあっただろう)。その帰結はデフレの継続、円高トレンドの加速、財政赤字の累積。この発想の延長として現在の国土強靭化計画はある。




財政政策は9798年のような危機的な状況で使わなければいけません。ただし金融政策と併用していないために中長期的には円高を加速することにかえって貢献します。




これも違います。バブル崩壊で発生した不良債権の多くは96年までにほぼ処理を終わっています。97年以降に景気後退により新たに不良債権が発生し、そしてそれがゼロ年代まで増加します。




また乗数効果の低下というのは、主にマンデルフレミング効果によるものです。簡単にいうと金融政策の支持のない財政政策中心のつけを日本が払っただけです。




本当に財政政策の効果を期待したいならば、金融政策を積極的に援用しないかぎり、額だけが爆走している自民党案や立ち上がれ日本案で本当にそれを実行してしまえば、経済の一時的な回復があってもやがて円高・デフレが継続し、財政赤字はさらに深刻化しているだけでしょう。



まず乗数効果がある、というのはどう言う意味かです。GDPが増加するかどうかですね。乗数効果がある財政政策はどんなふうに設計すればいいか? ここでも何度も書いたし、ブログで著作でも書いてますが、恒久的な財政政策が効果があります




恒久的な財政政策(恒久的な減税)に焦点を合わせたものとしては、ブログでも著作(『ベン・バーナンキ』など)で書きましたが、金融政策と財政政策を一体化させたものが有効です。日本銀行が長期国債を購入しそれをもとに政府が現在するケースです。



ちなみに恒久的財政政策として、バーナンキやクルーグマンのような中央銀行と政府との協調の枠組み以外に、いま僕の書いた省庁設置は、なにもオリジナルな案ではなく、ウィリアムソンの『マクロ経済学』にも書いてありますので参照してください。



今日はバブル崩壊前後の状況についてちょっとまとめとく。


バブル崩壊前


プラザ合意後の円高不況に対処するために日銀は金融緩和を実施。それにより1980年代後半にバブルが発生した。

日銀は1989年5月に公定歩合を2.5%から3.25%に引き上げた。公式の理由はインフレ防止であったが、インフレ率は1%程度の低い水準であった。

その後、1989年12月に三重野康氏が日銀総裁に就任すると、それまで3.75%であった公定歩合を4.25%に引き上げ、1990年3月に5.25%、同年8月に6%に引き上げに応じた。


これらの連続的な金利の引き上げは、明らかにバブル潰しのためのものであった。資産価格や土地価格は日本経済のファンダメンタルズから乖離したものであり、それらの価格を維持するためにインフレ率の上昇が必要であった。


しかし、バブル潰しを日銀がやるべきだったかについては疑問だ。日銀の使命は「物価の安定」であり、インフレ率を上昇させる可能性がバブルにあったとしても、日銀がそのために金融政策を用いるべきえではなかった。


なぜなら株価や土地価格が上昇していたとはいえ、インフレ率は低かったからだ。

土地価格の高騰は労働者にとっては、住宅を買うための大きな障害となっていた。土地価格の高騰は明らかに社会問題化していたわけだ。

地価の高騰が問題だった場合は地価の高騰を抑えるための政策を打てばよかったわけで、資産価格だけでなく、所得や投資などの経済全体に影響を与える金融引き締めを行うべきではなかった。地価の高騰を抑えるためには地価に対して高い課税を行い、インフレ率が低いので所得・法人税に対しては減税を行えばよかったのだ。そうすれば、地価の下落、消費者・法人の可処分所得の上昇を通じて、実質的に消費者・法人は土地を割安に購入することができた。

だが、実際に行われたストックとフローを考慮しない金融引き締めによってバブルが崩壊し、地価だけでなく、消費者・法人の所得も減少した。つまり、正しい政策を行えば地価が下落することで購入されるはずであった土地が購入されることはなく地価は暴落したわけだ。企業に負債を増加させ、銀行は不良債権を持ってしまった。


バブル崩壊後


バブル崩壊後、日本政府は1992年から2000年にかけて景気対策のために合計約120兆円の財政出動を実施したが、デフレ(1994年にGDPデフレーターは下落しはじめた)から脱却できなかった。


財政出動が行われていた時期、円高が発生していた。



日本の道しるべ


1992年から1995年まで約65兆円の財政出動が行われていた。この事と円高が進行してきたと考えれば、日銀の金融緩和政策が不十分であり、かつその影響でマンデル・フレミング効果が働いていた可能性があり、それが持続的な景気回復を妨げていた可能性がある。

95年から98年までは公共事業は行われておらず円安が進行、98年4月から2000年まで61兆円の財政出動が行われ再び円高が進行した。この時もマンデルフレミング効果が発生した可能性がある。


結局、90年代の財政出動はGDPの成長を下支えしただけであり、やめると、成長が低下し、デフレからも脱却できず、財政赤字や政府債務だけが増加するという結果になった。それは円高の進行が見られることからわかるとおり、日銀による金融緩和政策が不十分であったことによるものであったことは明らかである。


最近、衆院で自民・民主・公明の賛成多数によって消費税増税法案が可決した。

そして、自民党は増税の時期までに景気を回復させるための手段として、「国土強靭化」を目的とした200兆円規模の公共事業を切り札としようといる。

国土強靭化事業は必要であるかもしれないが、金融緩和が伴わければ、限られたパイを分け合うだけのものであり、パイを増やすものではない。つまり、持続的な経済成長とデフレ脱却を促進できるものとは成り得ないだろう。

90年代と同じことをやろうとしているようにしか見えない。再び同じことを繰り返そうとすることは許されないことである。


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