⑤おにいさん | PS「moon」(ラブデリック)プレイ日記

⑤おにいさん

概要

オカマのボディービルダー。(※注)
奇妙な人々のVTRを紹介したあと、
「どうだいみんな。具合悪くなっちゃうだろ??」と
キモチワルイほどのスマイルで同意を求めてくる。
とっても濃ゆい。グロテスクなまでの逆三角形。ブキミです。





マッスル北村のプロフィール

おにいさんに扮するのはマッスル北村。

日本ボディービル界、空前絶後のカリスマです。


本名: 北村克己(きたむらかつみ)
生年月日: 1960年10月6日(2000年8月3日没。享年39歳)
出身地: 東京都
  (血液型・身長・体重については調べられませんでした)
身長: 幅がありすぎて高く見えませんが、高い
体重: 特大サイズの棺桶でも肩が入らなかったくらいだから、重い
学歴: 東京大学中退。東京医科歯科大学中退。
  (キャリアの道よりもボディービルダーの道を選んだため)





ボクのマッスル初体験(←誤解されそう)

ここからは、「ボクは22世紀の大学生」とか、
そういう基本設定を無視して書きます。
(ええーっ!? それでいいのーっ!?)いいのです。マジです。


ボクが初めて彼を知ったのは小学生の時です。

当時、小学生の間ではドッジボールが大ブーム。

小学生のバイブル『コロコロコミック』では、
「闘球」と書いて「ドッジボール」と読ませちゃう
ものすごい舞台設定のマンガ『炎の闘球児ドッジ弾平』がヒット。

各地の小学生は学内で勝手に「闘球部」を発足し、
愚連隊気取りの熱血をたぎらせておりました。


そして、コロコロ紙面において
「ドッジボールマン」のニックネームで登場したのが
今(このブログだけで)話題のマッスル北村であります。


ドッジボールは“正式なスポーツ”と言うより“玉遊び”に過ぎず、
地域によって異なるローカル・ルールが多数存在していました。

そこへコロコロが介入、全国統一ルールを勝手に制定します。
そのルール説明を紙面でやさしく教えてくれるのが
ドッジボールマンだったわけです。


当時のボクが彼に抱いた印象は、
「さわやかな兄貴だ」「カッコイイ」
と、少年らしい心で彼の筋肉質にあこがれたものです。
(モーホーじゃないですよ。当時の小学生の多くは実際そう思ったのです)


──時は移り、「よいこっち」のおにいさんに出会いました。
「重戦車のようにやたら安定したマッチョだな」
と、いささかの不快感をもよおしたものです。

番組のファンになってしばらく経ってから、そのおにいさんが
元ドッジボールマンだったという事実に気づいた時、
ムチャクチャ驚いて腰を抜かしそうになりました。
「やさしかったドッジボールマンが、
おかまのボディービルダーになっとる!(注1)」
軽いめまいを覚えたものです。





マッスル北村の最期

そしてやはり、彼を語る際に外せないのはその壮絶死についてです。

スポニチアネックスのおくやみ(2000年8月)によると、

マッスル北村さん(ボディービルダー)39歳 急性心不全で死去
ボディービルダーでタレントとしても活躍したマッスル北村
(まっする・きたむら、本名北村克己=きたむら・かつみ)さんが
3日、急性心不全のため埼玉県内の病院で亡くなっていたことが
9日までに分かった。39歳。東京都出身。
妹の善美さん(36)によると、
北村さんは25日に米ロサンゼルスで行われる
世界選手権に出場するために20キロの減量を行い、
低血糖で倒れたという。



ボディービルのパーソナルトレーナー・渡辺実さんの
『 オイ! 効いてるか? 』(直リンクでごめんなさい)に
興味深い回顧談がありましたので引用します。

ある日、駅まで一緒に帰る時、
「ねぇ、コーヒーでも飲んで帰ろうよ~」と誘うと
「もったいないよ!それより公園に行こう!」
と公園に連れて行かれてしまったのである。
公園に着くと、彼はマジソンバッグのチャックを開けて、
中から調理用の大きなボールと卵を1パック(10個入り)、
鯖缶を3缶、牛乳を1パック(1リットル)を取り出して、
おもむろに卵を割りだしたのである。
鯖缶を缶切りでキコキコ開けだし、全部ボールの中に入れ、
牛乳を足して指でグチャグチャ混ぜ合わせ、
それをジュビジュビジュビ・・・・と飲んでしまったのだ。
それだけではない、プロテインの徳用袋を取り出して、
カレー用のスプーンで直接口に3~4杯放り込み、
残りの牛乳で流し込んだのだ!
それを見た瞬間、私はこんな事をしないと、
筋肉が大きくならないのなら、
もう大きくならなくてもいい・・・と思ってしまったのである・・・
このころの彼の体型と親しみを込めて、
いつしか彼のことをみんなが”ブルート”と呼ぶようになったのだ。


そういう極度のダイエットが祟ったのでしょう、
死亡時の体脂肪率は3%ほどだったと伝えられています。
あんな巨体だったのに…。

筋肉は過去最高のコンディションとなっていましたが、
身体(内臓など)はボロボロの状態だったというわけですね。
まさに、命懸け・執念のボディービルドだったのです。

もっとくわしくマッスル北村について知りたい方はここへ。
死の直前までトレーニングに打ち込む姿を回想した談話などは、
おにいさんファンならば涙無しには読む事が出来ません。





筋肉狂・トレーニングフリークス

大学時代の彼は、毎日毎日、
石神井の自宅から高田馬場のジムまで出かけ、
筋肉トレーニングに明け暮れました。

その熱中ぶりは家族との確執も引き起こしたようです。
東京大学に入学するほどの頭脳を持ちながら、
ボディービルに没頭、大学を中退してしまったからです。
その後、東京医科歯科大学に入学しますがやはり中退。
筋肉の呪いに取り憑かれたのですね。

彼の打ち込みよう、ボディービルに対する情熱・理論・そして愛は、
想像を絶するものすごいものがあります。
幾多の天才たちと同じく、狂気とも思える鍛錬がそこにはあります。

その鍛錬の成果は、
彼がボディービルで獲得した数々のタイトルに現れています。
引用元

1983年 ミスター関東学生大会 優勝
1984年 ミスター関東 優勝
1985年 ミスター東京 優勝
1985年 ミスター全日本実業団 優勝
1985年 ミスターアジア ライトヘビークラス 優勝
1986年 ミスターパシフィック 優勝
1986年 ミスターオールジャパンチャンピオンシップス 優勝
1990年 ミスターワールドチャンピオンシップス
    ミディアムクラス 世界4位
1991年 ミスターワールドチャンピオンシップス
    ベストポーザー賞


国内向かう所 敵無しでした。





やたら評判がいい理由

突然の訃報・早すぎる死だったせいもありますが、
インターネット上には彼を悼む文章が数多く公開されています。
当時はもちろん、今現在でも同じです。
カルト的なタレントだったのに、それほど有名ではなかったのに、
なぜこれほど人気があるのか。
それは、彼のもう一つの特性、「人柄」にあります。

マッスル北村氏の優しさは底無しでした。
彼と実際に会ったことのある人たちは、くちぐちに
その気持ちの良い性格を絶賛しています。
ボディービルのボの字も知らないようなモヤシっ子が、
「尊敬する人:マッスル北村」と書いている例も少なくありません。
(残念ながら多くもありません)

ボクは聖人のような彼の精神について、こうも思うのです。
もしかして、過酷な筋肉トレーニングを克服していくうちに
宗教的境地を達観してしまったのではないか、と。
それくらい高潔な人格の宿った・尊敬できる人物だった、のです。

見た目はあんななのに…。





それでもボクはおにいさんを気味悪がる

『よいこっち』のおにいさんこと、マッスル北村はキモイです。
ブキミ。気色悪い。キショイ。──これだけは譲れません。

「おまえ、死者に対して悪口を言うのかよ!
しかも善良な北村さんに向かって!
いくらおまえが礼節をわきまえないバカだからって、
これだけは許せない!」


それでも敢えて、頑固に「気持ち悪い」で通します。

彼はボディービルを一般にも普及させるためタレントになりました。
(やっぱりボディービルの事しか考えてない。まるで伝道師)

しかし、その肉体を珍しがってもらうだけの、
見世物的・出オチ的な芸風に悩んだそうです。

『よいこっち』出演の際も、
“自分はどんなキャラクターを求められているのか?”
理解できず、非常に苦しんだそうです。
(まァ、他の誰だって理解できませんよね、あんな役柄…)


それでもマッスル北村は、
「おかまのボディービルダー(※注)」という
気持ち悪いキャラを完璧に演じ、
みごとボクらの具合を悪くしてくれたのです。

そんなマッスルに敬意を表すためにも、
ボクは「気持ち悪い」と評し続けます。



ホントにキモかったんだけど。





※注
「おかまのボディービルダー」というのは演出上の設定で、
実際のマッスル北村氏はハードゲイでも何でもありません。
マリアさんという婚約者(米国人)がいらっしゃいました。