day138 近況 | 母が急性骨髄性白血病〜家族の絆〜

母が急性骨髄性白血病〜家族の絆〜

2014.02.03
母親が急性骨髄性白血病 M0と診断。
同時に副甲状腺機能亢進症も併発中だったため
2014.06.20手術無事に終了。
2015.01.23さい帯血移植。
道のりは長いけど家族みんなで乗り越えたい。
家族目線で日々の生活、経過を綴ります☻

こんにちは、お久しぶりです。
あれから色々ありバタバタしていました。
心配してくれた方もいたと思います。
なのにコメントやメッセージも返せないままで本当に申し訳なかったですm(_ _)mメッセージに関しては返信しようとしてもなぜか規約に引っかかり送信できない状態でした>_<



とりあえず最近の状況を書きます。
前回日記を書いてから、お母さんには次の外来で先生に相談しようねという話になりました。でも次の日に「やっぱり症状言わないで」となり…私も「なんで!?」となりました。
「月末に友達に会う予定あるし、お返しも済ませたいし、今は入院できない」の一点張り。でも私からしたら明らかに具合が悪かったし心配だったので、とりあえず先生には伝えたかった。でもそれで口論となりました。
お母さんは昔から頑固です。おばあちゃん譲りです。でも結局それで1年前に我慢し過ぎで右手が使えなくなるまでになり…私は後悔してたからこそ、もう何かあってからでは遅いからと常々思ってました。でもお母さんからすれば、もう入院はぜったいに嫌だったのでしょう。
ただ私は未だにタバコをやめない、お母さんが本当に本当に嫌だったし、病気になって、ましてや体力落とすのにっていつも思ってたけど正直な呆れてました。
結局私が折れて、とりあえず何も言わないから外来行こうとなりました。しかし次の日(外来はその3日後に行く予定)明らかに体調が悪くて…元々ほとんど食べてないのに、少し口にしただけで嘔吐や下痢、もともと最近フラフラで…それでも本人は病院には行かないと言い張り私も諦めました。それから私は出かけて、お父さんが家に戻ってお母さんの様子を見ていましたが、明らかに様子がおかしくて急遽病院へ連絡して、連れて行きました。その時点でお母さんは自分で移動する気力もなくぐったりでした。意識朦朧。この言い方でも大げさではなかった。

診察してもらったら…脱水、電解質異常、意識障害とされました。もともと腎臓も悪かったのですが、先生にも「腎臓が100点満点で言ったら10点にもならないです。次の外来まで待ってたら、正直命に関わっていました」と言われました。
うちもお母さんのわがままを通してきましたが、甘やかせ過ぎました。と父も反省してました。

病院へ行った時には酸素60台でした。
点滴もつないでもらい安静にして数時間後には98といつも通りになりましたが、衝撃的でした。しばらくはほぼ寝たきりでした。なかなか起きている状態のお母さんにも会えず…このまま目覚めなかったらどうしようなんて思ってました。

だからある日目を覚ましてご飯を食べてる姿を見たらたまらなく嬉しかった。

しかし数日後に違和感に気づきました。
携帯を意味もなくいじって、同じ動作を繰り返す。
食べているフォークで空気を突き出す。
訳のわからない文字をひたすら書きまくる。
明らかに奇妙でした。

その行動はエスカレートして
ボールペンをご飯やお茶に突っ込む。
ボールペンを握ったまま離さずにいて、手から取ると怒り出す。
ボールペンを持っていなくても文字を書く動作を繰り返す。



正直、認知症か何かになってしまったのかと思いました。意識障害と診断されているし、どこまでなのか…人物は覚えているけど日付や曜日感覚、自分のいる場所がわかっていない状態でした。そして自分から声を発することはありません。こちらが話しかければ「うん」か「ううん」で答えてくれましたが一切会話にならず。




それから昼夜逆転生活となっていて、昼間は傾眠状態でした。しかしご飯を食べさせるために無理やり起こして食べさせるのですが…ある日私が食事を食べさせようとしたら
「それズボンの中入れてくれた?」と言われ
「ご飯ズボンの中にいれるの?」
「うん、いれて」
「これはお母さんの食べる分だから入れないよ」
「何したって私の勝手でしょ」と怒り出し。
もう一度食事をあげると.、また
「ズボン入れた?」と言われ
「入れたよ」と言ってみたら
「なんで全部入れてくれないの」と怒り出し。
しまいには、ほっといて!とすごい睨まれた!!

いつものお母さんじゃないとわかっていながらも、正直すごい悲しかったし傷つくし、私がお母さんを、こんな風にしてしまったんだと自分を責めずにはいられなかった。かなりきつい日々でした。



それから先生には家族もなかなか会えなくて、でも看護師さんが状況は伝えてくれていて(夜中に起きて看護師さんに文字を書かせたり、暴言吐いたり、妙な行動を起こしたりでかなり迷惑かけてました。)

ある日担当医ではないけど、先生と立ち話する機会があり、MRIや血液検査などしましたが異常は一切ないですと。じゃあ今の奇怪な行動は?となりましたが…おそらくせん妄でしょうとのこと。精神的なものもあるし、とにかく今はまず昼夜逆転を直したいですと言われました。
そのためには決まった時間に無理やりでも起こしてちゃんと薬を飲ませて…とりあえず薬拒否かなりありましたが、せん妄状態をうまく利用して家族も薬を飲ませました(文字を書いてと言われるので…1粒飲んだら1回文字書くねと言った感じで)

それから少しずつ、お見舞いに行く夕方から夜に起きててくれて、多少の会話ができるようになりました。その時も本当嬉しかったなー!やっとお母さんに会えたって感じ!







そして先週、外出できることになり…私も休みだったので、お父さんと3人で御墓参りと伊豆にドライブへ。もちろん車椅子利用です。
入院してからほぼ寝たきりで。意識も朦朧として危なかったので移動は基本車椅子利用。尿道カテーテルもしていたので、トイレも行くことはなく。かなり筋力落ちました。この日も車椅子への移乗が全て介助しないとできない状態でした。

それでもお母さんは、やっと御墓参りいけて、ずっと食べたかった道の駅のコロッケを食べれて大満足。ずっと横になることなく座位だったので、いつもよりかなり疲れたと思います。それでも寝かせたままより、すこしでもこうする時間を増やすのは大事だなと感じました。

車椅子で1日行動し、今後の問題点も色々見えて勉強になりました。あるご飯屋さんで、入り口すぐ階段でしたが…店の人が俺が手伝いますよと、お父さんと一緒にお母さんが乗った車椅子を持って降ろしてくれて…あまり食べれないお母さんの飲み物や取り皿など気遣ってくれて、とねも温かい気持ちになりました!

その日は病院に戻ってお母さんは適度にぐったり。
そして次の日も外出許可おりました!
先生は体には大きな異常もないから、どんどん外に出ましょうと。(気分転換も兼ねて)
そして今は尿道カテーテルも外し、自力でトイレに行けることを目標とし退院を目指しています。

意識もだいぶまともになり、会話もできるようになりました(時々傾眠状態だと、うつろですが)









一時期に比べたら本当に状態よくなり、生きていてくれればそれでいいと心の底から思います。

未だにタバコをやめないことに関しては理解できませんが(本人は病院にいないという実感らしい)言っても、この一年伝わらなかったので…あとはお母さんの生きたいように生きてくれればいいと思います!そこはもう自己管理だと思いますので。




私も前回のブログを書いたあたりから、精神的に参ってましたが(いきなり涙がとまらなかったり、
訳もなくイライラしたり、やる気が起きなかったり)今はとても落ち着いてるというか、やっといつもの私に戻れました\(^o^)/あ、そういえば先日初めて膀胱炎なったな。笑

まあ私自身たくさんの人に迷惑かけましたが、支えてくれる周りの人たちに感謝です、本当に本当にありがとう。








みなさんにはちゃんと伝えよう伝えようと思いながら日々か過ぎてしまいましたが、やっと報告できてよかったです。
長々と読んでくださり、ありがとうございましたm(_ _)m