こんにちは。

今年もあと2日。
私の仕事は勿論年末年始も無く、ぎっしりと仕事をさせて頂きます。

明日のラストのブログは、あっさりと終わりにしたいので、
今回は1年の事業を振り返る、ブログにします。
ちょっと長めなので、注意して下さい。



1月第1例会は新年会でした。
「ONE FOR ALL、ALL FOR ONE」とはよく言ったもので、
今年の行田青年会議所の代表である私1人のために、メンバーが本当に一丸となって頂きました。
理事長の挨拶で、その会議所のレベルが分かります。
私も当時54名のメンバーのため、そしてこれまで会議所の伝統を紡いでこられた歴代理事長のためにも、
練習を繰り返し臨ませて頂きました。 
市内市外から多くの来賓を招待させて頂き、唾を飲み込む音も聞こえるほどの静粛な中、
スタンドマイク1本で約15分間新年の挨拶をさせて頂いた、今までの生涯で最も緊張した経験は、
本当に貴重でした。メンバーの皆さん、本当に有難うございました。

新年会




2月第1例会は公式訪問例会。
埼玉ブロック協議会の役員様と、県内29LOMを招き、
講師はカラテカの入江慎也氏を迎えた例会を開催させて頂きました。
県内のメンバーが私達の例会を遂行する姿を注目する中、
公式訪問という特別な例会を唯一継続する会議所の意地とプライドを示し、
それは3年ぶりの100%例会達成という形にも表れました。
いつも、ひょうひょうとした青瓢箪男の塚本委員長。
例会当日は髪型をリーゼントに固めて、正に、やる時はやってくれました。
本当に有難うございました。

公式訪問




3月例会はひとづくり実践員会担当の対内例会でした。
この日までなかなか委員会活動というものが出来なかった黒渕委員長には、
大変辛い例会であったと思います。
自分の考えがなかなか相手に伝わらないのは、相手が悪いのではなく自分が悪いと考えなければいけない。
つまり伝え方が悪いのか、そもそもその考えが間違っているのか?
自分の考えというのは、他から借りた考えを転写するのではなく、本当に自分の中から起きたもの。
つまり主体的な感性から自主自発の繰り返し、確信したことであれば必ず相手には伝わると思います。
1年が終わる今だかこそ言えることですが、
3月例会の経験があるからこそ、2015年度ひとづくり実践委員会の実績があるのですね。
それを一番理解しているのが、黒渕委員長本人であると思います。
お疲れ様までした。

例会




4月例会の担当は青少年育成委員会でした。
市内小学生を対象としたウォーキングラリーを実施。
コースも内容も委員会で何とかこしらえた、手作り満載の例会でした。
懇親会の赤羽委員長の涙が印象的です。
先日の忘年会で流した涙とは全く内容が違うと思います。
この日から泣き虫潮吹き委員長の奮闘は始まりましたね。
アクの強い委員会メンバーを団結させるのは、委員長自身の強い意志があってこそです。
その強い燈火を灯せたからこそ、後のプロジェクトや8月例会も達成できたのかと思います。

いってQ




5月例会は、春日部の地へ埼玉ブロック会員大会のためにメンバー一同行ってきました。
塚本委員長設営お疲れ様でした。
何故、会員大会を例会にしたかというのは、一人でも多くのメンバーに会員大会を体感して欲しかったからです。
そして、2008年の行田大会の経験者が現役メンバーで少なくなってきた今、
「これを行田でやったんだ。行田もできるんだ」という意識を抱いてほしいと思ってました。
会員大会のスケールを体感し、また出向者の活躍や、その出向者が設営したセミナーを、
多くのメンバーで受講することができました。
全員でゼリーフライを販売したことも、特に新入会員には良い経験になったと思います。


bu-su




6月例会は、まちメロの初めの例会でした。
元々バンドマンである野口委員長は音楽でのまちづくりに拘っていました。
ただの音楽の集いにだけはならないように、如何に音楽という文化をまちづくりの可能性に結びつけるかを、
野口には伝えてきました。
音楽に係わる市内の様々な団体の方々が御出演され、観客の方々も手作り楽器を作製し、
最後は参加者全員で自らの自分らしい音を鳴らしひとつの曲を奏でる。
トップダウンではなくひとり一人のボトムアップが必要な地方創生時代の今だからこそ、
ひとすじのまちづくりの可能性が見えた例会になったと思います。
お疲れ様でした。
matome




7月例会は、黒渕委員長2回目の例会。
ものつくり大学において水野秀則氏を招いての相互対話講演会を実施しました。
この例会企画段階においても、黒渕委員長は多くの試練がありましたね。
何度かの講師との打合せの途中で主旨が合わなそうだと1度打ち切られ、
またしても、委員長は自分の考えが伝わらないという壁に当たったと思います。
一度諦めてた委員長を臨時スタッフで、私はその諦めを認めませんでした。
委員長は強い情熱と力強い行動力で講師を当日招き、多くの一般の方々の参加のもと例会が開催されました。
委員長と講師が腹を割って調整したので例会内容も素晴らしく、
目的としていた参加者全員がやる気スイッチをONすることができましたが、
この時既に誰よりも強いやる気スイッチが押されていたのは、委員長自身であったのは言うまでもありません。
お疲れ様でした。
7月


8月例会は、地域の小学生を40名ほど連れての1泊のキャンプを行いました。
泣き虫委員長である赤羽委員長は天気も泣き虫にさせる。
当日キャンプには適さない天気となりましたが、小学生には良い経験になったと思います。
日常を離れることで普段の当たり前の事を当たり前に感じさせず、感謝をする。
それはキャンプで感じがちなモノや設備などではなく、
家族や友達、そして地域の大人に対してもです。
また、キャンプでは様々な仕掛けを行い、子ども達には常に自ら考え行動に移す、
つまり主体的に考え自主的に行動することを徹底させました。
お疲れ様でした。

syuugou




9月例会は、総務広報員会の担当。
年度当初から赤坂委員長に任せたあった例会でしたが、残念ながら委員会から期待していた企画は上がってこず、
トップダウンに近い企画内容になったのは否定できません。
その為、委員長には、やらされ感がなかなか抜けずにつくまとう例会となりました。
総務委員会が例会を担当するのは珍しく、自分らしさを発揮できる良いチャンスでしたが、
それを潰してしまったのはスタッフの責任も大きかったです。
理事用の所信から委員長方針を書き、1年の半分以上が過ぎて次年度が見えてくるこの時期に、
総務委員長としてどう行動するか、この会は今何が必要かを考え抜いて頂き、行動に移しておく必要はありました。
しかしい例会内容自体はこの組織の創始の気概を生で触れることのできた貴重な例会であったことは間違いありません。
お疲れ様でした。
marisyaji




10月例会は、野口委員長の最後の例会でした。
6月例会から地域の方々と「まちメロ」会議を繰り返し、
地域を代表する文化遺産である忍城を、新たな魅力へとイノベーションを起こすために、
忍城を舞台とした音楽フェスを開催しました。
当日は多くの来場者が訪れ、まさに人と文化が協奏した事業となりました。
例会で大切なのは当日よりも委員会活動であり、まちメロ会議はまさにその象徴です。
出演された方々の中には、勿論音楽は素晴らしかったですが、そもそもの趣旨が伝わってない方もいました。
やはり、更なる目的を共通認識した、膝を付き合わせたまちメロ会議が必要であったかと思います。
それが、音楽というツールで繋がるひとと人が結び合うまちづくりの原点ですね。
今年度発足したまちメロ会議は、まだまだ始まったばかりです。
野口委員長に関してはライフワークとして、青年会議所の手から離れても率先して中核を成して頂ければと思います。
私も発足当時の理事長として、関わりを持たせて頂きます。
お疲れ様でした。

zentai




10月は、青少年育成事業「未来を照らす志士育成プロジェクト」の最後の事業も行いました。
この日のハロウィンイベントに向けて、
春はカボチャの苗を植え、夏は草取りそして浮き城祭りに参加し団結を強め、
秋にはカボチャの収穫と、イベントの企画や役割分担そしてチラシ作成やチラシ配りなどを、
全て子ども達の手により行いました。
赤羽委員長におかれては半年間に及ぶ事業本当にお疲れ様でした。
メンバー自身も前日の会場夜警や当日の変装など、普段では出来ないことも経験し、
子ども達のにはシャッター街である市内の商店街を変装した姿で巡回させました。
子ども達の最後の笑顔の代わりに、赤羽委員長自身もまたまた大泣きしていましたね。
子ども良し、メンバー良し、地域良しの三方良しの事業となりました。
有難うございました。

集合




11月例会は、黒渕委員長の最後の例会。
行田で大きなお祭りのひとつである商工祭時代祭の日に、行田で最も大きなホールである産業文化会館を利用して、
私達のひとづくりを大きく発信して頂こうと考えていました。
産業文化会館を満席にしよう!という気概のもと、
7月例会で既にやる気スイッチが押された委員長は、常に現状に満足しない既成概念に捉われない行動で、
自ら率先して様々なやり方で例会の動員を行い、その背中は周囲のメンバーも呼応し新たな行動へと繋がりました。
登山家の三浦豪太氏の講演は、主に父親である三浦雄一郎氏の生き様の内容でしたが、
それこそ常に成長を繰り返し常識を覆す行動力という、私たち青年に最も必要な人間力を発信することができました。
本当にお疲れ様でした。

11月



12月例会は卒業式でした。
青年会議所の醍醐味を、送る側送られる側双方の言葉から全てを出せるのが、JCの卒業式。
総務広報委員会の赤坂委員長は本当に委員会メンバーに助けられ例会準備をしてきました。
あれだけ経験豊富な委員会メンバーがいたのは、やり易い面とやり辛い面があったと思いますが、
委員長はスキルやテクニックなど要らない。事業に対する強い情熱と、メンバーに対する思いやりさえさえあれば、
何とかなることに気づいたかと思います。
卒業生へはラグビーボールと名入提灯のプレゼントなんて、何だか私のトップダウンのように思われますが、
しっかりと委員会で考え上がってきた内容ですよね。
卒業生には、燈火を灯し次のステージへトライをして頂くという、強い想いがあったと思います。
涙と笑いある卒業式の開催、本当に有難うございました。

まさかの私もみっともないですが泣いてしまいました。

卒業生



例会以外にも、普段の委員会活動はもちろん、対内対外活動含めて、
まだまだ多くの活動を行ってきた2015年度の行田青年会議所。
全てを書くとまだまだこの何倍ものボリュームが必要ですが、心の中に入れておきます。

ただせさえこの重たい身体に、大きな不安を抱え離陸し、
まもなく無事に着陸できるようになったのは、本当にメンバーのお蔭です。
いつ墜落してもおかしくなかった私を、本当に支えられた理事長であったと思います。

この1年間は生涯でも忘れられない1年になったことは間違いありません。

この続きは、明日のラストブログにて書かせて頂きます。

                               
それでは本日も宜しくお願いします。
今日という日に感謝!合掌!