道明寺天満宮から太子町に向かいましたが、道すがら
「壺井八幡宮」がありましたので寄って行きました。
古市の辺りから石川を渡って府道27号線を太子町方面に走り
ます。南阪奈道の架橋の下をくぐり、しばらくして『壺井八幡宮』
への入り口があります。そして集落の間の細い道を通って到着。
「河内源氏発祥の地」です。
拝殿の近くまで車で行けるようでしたが、あえて階段を行きます。
この階段の前に駐車場がありました。10台ほど停められるかな?
この地はかつては「香炉峰」と呼ばれた台地で源頼信・頼義の居館が
あったそうで、その地に「壺井八幡宮」があるそうです。頼義の子が
義家、後三年の役でも活躍した「八幡太郎義家」です。
駐車場の向かいに「井戸」がありました。「壺井の井戸」です。
【壺井の井戸】
1051年、奥州にて「前九年の役」が勃発、追討のため源頼義・義家親子
が出陣。1057年は干ばつのための水不足で苦戦を強いられる。頼義は
八幡大菩薩に祈り、岩盤に矢を放つと清水が湧き出し、軍勢は
喉の渇きを癒し戦に勝利。1062年に河内に凱旋。清水も「壺」に入れ
て持ち帰り、「香炉峰」に井戸を掘り、「壺」を入れる。
以後、「壺井」と地名を変える。
階段を上がって【鳥居】
何かの「石碑」
会か~?
境内ですが庭園風になってます!
5月の末だったので「ツツジ」が少し残ってました。
【河内源氏】
清和源氏の武士団を摂津において最初に創設した源満仲の
三男、「源頼信」を祖とする。長男の頼光は摂津源氏、次男の
頼親が大和源氏。頼信は河内国古市郡壺井に居館を建て
本拠とし、「河内源氏」と呼ばれる。頼信から頼義、義家、義朝、頼朝
と続くので「河内源氏」が後に源氏の主流となっていくのですね。
でもイノシシは夜行性ぽいですが、本来は昼行性らしいです。
でも人間を避けて行動してるそうです。でも注意。
【源義家公の歌碑】
《吹く風を なこその関と 思えども 道もせにちる 山桜かな》
【壺井権現社】
河内源氏三代を祀る「頼信・頼義・義家」
【御朱印】
以前に、いただいたものです。
そして、この後、太子町の叡福寺へ。
ではまた次回。