河内源氏の壺井八幡宮 (大阪府羽曳野市) | たまやんの神社仏閣見聞録

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主に神社・仏閣巡りの日記です。
国宝、文化財、御朱印など、見たり、聞いたり
頂いたり、たまに食レポ、気楽に楽しんでます。

 

道明寺天満宮神社から太子町に向かいましたがくるま。B、道すがら

「壺井八幡宮」鳥居がありましたので寄って行きました歩く

 

道明寺天満宮神社から旧170号線国道に出て南下、羽曳野市に入り

古市の辺りから石川川原を渡って橋府道27号線を太子町方面に走り

ますくるま。B。南阪奈道の架橋虹の橋の下をくぐり、しばらくして『壺井八幡宮神社

への入り口があります。そして集落の間の細い道山道を通って到着ニッコリ

「河内源氏発祥の地」兜競馬です刀

 

拝殿合掌の近くまで車くるま。Bで行けるようでしたが、あえて階段階段を行きます歩く

この階段階段の前に駐車場P パーキングがありました。10台ほど停められるかな?

この地はかつては「香炉峰」と呼ばれた台地で源頼信・頼義兜の居館城

あったそうで、その地に「壺井八幡宮」神社があるそうです。頼義兜の子が

義家かぶと 兜、後三年の役でも活躍した「八幡太郎義家」かぶと 兜ですニコニコ

 

駐車場P パーキングの向かいに「井戸」がありました。「壺井の井戸」井戸です。
【壺井の井戸】井戸
1051年、奥州にて「前九年の役」刀が勃発、追討のため源頼義・義家親子かぶと 兜
が出陣。1057年は干ばつのための水不足汗2で苦戦を強いられる。頼義兜
八幡大菩薩青不動に祈り、岩盤岩に矢矢を放つと清水汗2が湧き出し、軍勢陣笠
喉の渇きを癒し戦刀に勝利。1062年に河内に凱旋。清水汗2も「壺」壺に入れ
て持ち帰り、「香炉峰」に井戸井戸を掘り、「壺」壺を入れる。
以後、「壺井」と地名を変えるニコニコ
 

階段階段を上がって【鳥居】大鳥居

 

【境内】ライフ

 

何かの「石碑」石碑

 

「樟茂り河内源氏史守る寡居」石碑

会か~?

 

樹齢1000年の「樟(くす)」木

 

境内ライフですが庭園風になってます!

5月の末だったので「ツツジ」つつじが少し残ってましたニッコリ

 

「ツツジ」つつじ

 

【壷井八幡宮社殿】神社

 

【河内源氏】兜

清和源氏の武士団陣笠を摂津において最初に創設した源満仲の

三男、「源頼信」兜を祖とする。長男の頼光は摂津源氏、次男の

頼親が大和源氏。頼信は河内国古市郡壺井に居館城を建て

本拠とし、「河内源氏」と呼ばれる。頼信から頼義、義家、義朝、頼朝

と続くので「河内源氏」兜が後に源氏の主流となっていくのですねニコニコ

 

「イノシシ」いのしし、出没するんですって!

でもイノシシいのししは夜行性夜空ぽいですが、本来は昼行性空らしいです。

でも人間こども男の子を避けて行動してるそうです。でも注意!

 

【源義家公の歌碑】石碑

 

《吹く風を なこその関と 思えども 道もせにちる 山桜かな》

 

【壺井権現社】鳥居

河内源氏三代を祀る「頼信・頼義・義家」兜

 

【拝殿】て

 

【御朱印】納経帖御朱印

以前に、いただいたものですニッコリ

 
そして、この後、太子町の叡福寺Templeくるま。R
 
ではまた次回次