前回からの続きです。





教祖家庭の分裂についても、

教会員の方に、リアルで見解を聞いてみました。





教祖夫人、韓氏が今はトップに立たれているので、

現在は、韓氏の言われることが全てであり、

その韓氏は、昨年逝去された文教祖の言われた内容、そのものを実践している、という認識が、

教会内にはあるようです。

仮に、お子さんたちの間で何かあっても、

文教祖の言われていたことや教会の方針に、従わなかったとしていたら、

それはそれで、置いていくしかないと、

韓氏は言われている、と話しました。


お子さんたちの問題などは、

私たち、教会員には分からないことがあるので、

周囲がいろいろ(憶測で)言うことはできないし、

とにかく、神と私の関係がしっかりしていることが大事である、とも話しました。


しかし韓氏が、今後も永遠に教会を仕切っていければよいですが、

必ず世代交代は来ます。


お子さんたちも、成人して相当年数が経っており、

青二才というわけではありません。

それが現段階で、

教祖夫人からも、教会員からも、

まだ跡継ぎとして成熟していないような扱いを受けていたり、

あるいは、

完成した両親(教祖夫婦)から生まれた、堕落をしていない人間として生まれた2世でありながら、

教会の方針に合わなければ、追い出されるという、驚くべき処遇の対象になっている現実に、

矛盾を感じないのでしょうか?

大体、成人したご子息たちが、

世間一般では引退してもおかしくない年齢のいっている実母から、

公にそんな風に言われていると知り、

どうなんでしょうか。

完全に子ども扱いをしてしまっているのか、あるいは跡継ぎを育てるという概念が少ないのか、

ご子息たちの方でも、

自分たちはまだまだ実力不足だと思っているのか、それとも、勝手に何でも言わせておけ、という風にでもなるのでしょうか。


そして、

力のある立場の者が、力で仕切っているだけの教会ならば、

次世代へバトンタッチをしたらどうなっていくのか?

元々主体性が弱いとされている教会員たちならば、

言われたことしかできないと言われている教会員たちならば、

教会上部の人たちの、分裂や争いが起きれば、

そこから受けるダメージは、随分と大きいのではないでしょうか。

素直に信じている分、影響を多く受けざるを得ません。

それに対する危機感はないのでしょうか?

結局、気付いた時点で、だれかを恨んでも、

それは後の祭りになりかねません。



教会員の姿を見ても、

希望がないと感じる人は多いのでしょうが、


本家本元の教祖家庭を見て、

希望が感じられず、

しかしそこには、一般人が分からない、

何かがある、として、

特別視をしたとして、


では、どこに理想世界を見出すのでしょうか。



姿形のない心を、どうやって目で見るのか、

それは作者が作る作品を通して、結果を見ることができる、とあるように、


理想世界を創るという希望をもって出発した教会ならば、

今までの何十年の歴史を通して創られた、その理想世界とは、

果たして何を通して、確認することができているのでしょうか?



教祖亡き後、その志を継いで、

教会が、教祖家庭を中心によりまとまり、発展していくのであれば、

それは目に見えた事象となります。


が、そうではありません。

「私たちにはわからない何かがある」と、

現役信者さんたちは、口をそろえて言うということは、

憂える事態であることを、みなさん、認めてしまっているわけです。



その教会員の話によると、

今回、今後、韓国人と祝福を受ける場合には、

気を付けた方がよい、

もしかすると、祝福を受けた後に、3男派と分かるケースもあるなどという、

注意も、教会側からはあるようです。

・・・3男派・・どうやらこちらが本家ではなく、分派扱いとなるようですが、

しかし教会の教理を愛している教会員の中で、

教理の実体ともいうべき、ご子息たちが、本家・分派という区別の認識がなされている、

まるで、善VS悪のような構図が存在しているという事態に、

私は、話を聞きつつ、本当にムカムカとしてきました。

教理や教会では、口では統一と言いつつも、

概念でどんどんと、善悪や敵味方を生み出しているように思えたからでした。





最終的に、神様と自分の関係がしっかりしていれば良い、とも教会員の方は言いました。

教会にいた頃、よく聞いた、「神体験が大事だ」という言葉もありました。

神さまと出逢った体験がない人は、教会を離れる、という意味です。

でも神秘体験というのは、程度の差こそあれ、宗教者、無心論者に関わらず、

多くの方たちが体験しているのではないでしょうか。

それがすぐに、究極の神様だと思う人もいれば、神秘体験の一つとして捉える人もいるでしょう。



私がかつて、教会で住み込みで、生活&活動をしていたときのリーダーの口癖で、

「私たちがお祈りしても、神様には簡単には届かないよ」というのがありました。

私は、この言葉にとても共感を覚えていました。

「神様は、ものすごく遠い次元におられるからね」そんなような内容でした。


神様は親である、と

教理の核心とも言える内容ですが、

この言葉に対しては、信者であったときでも、今のような立場になっているときでも、

私は、過去から一度も、ピンと来たことがありません。

人間の中に神性はあるようには思うのですが、

だからと言って、(人間的な)親子と表現するには、違和感があります。

まぁ、これは私の信仰感でしかありませんが。



教会でよく言われるところの、「神体験」

果たしてそれは、本当の神様なんでしょうか?

もしかしたら、神様のふりをしたサタンかもしれません。

神様のような高次元の霊かもしれません。

神様のふりをした天使かもしれません。

神様のふりをした普通の霊かもしれません。

神様のふりをしたいたずら好きの霊かもしれません。


みんな違う神様にお祈りをしていたから、

こうして教会におけるたくさんの分派が誕生しているのではないでしょうか。

たくさんの人が離教してしまったのではないでしょうか。





このような、教会員さんの話の中に、矛盾を感じながら、

でも、その人の中では、整合性が取れている話なのだろうと、私は思いました。

そんな風になること、自分の場合においても、しばしばあるので、理解できます。


しかし、その人としてのみ、整合性が取れているだけの話であれば、

その考えを、他人に受け入れることを強要したり、

それを受け入れない人に対して非難をしないでほしいと思いました。


そして、

最初の最初に戻りますが、

教会員さんが、こちらに伝えたい分、

私の方でも、

くどい位、何度でも、自分の思いを伝えていきたいと思った出来事でした。











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