シンポジウム トーク録⑧ | Space早稲田演劇フェスティバル2011

シンポジウム トーク録⑧

福井 スタンダードな話と。よくわかります。ある尺度は欲しい。絶対的に欲しい。が、その尺度を全て受け入れなきゃならないってなるのは非常に辛いです。例えば日本の演劇界でいうと、杉村春子はすごかった。72、3年前までの状況劇場はすごかった。トップであったと。その個人のパワーの大きさが。

村井 さっきのスタンダードも含めてトップリーグにしても、時代時代の風によって変わってくると思うんですよ。だから、これがスタンダードだという風にしたって、日本の場合、それ自体が変わっていかざるをえないっていう流れだと思うんですよね。むしろ大事なのは、常に新しい風をどう吹かすかという、そういう新鮮なものが出来るような、創作活動が保障されていくような助成。それと、教育の基礎固めほうが問題だと思いますよ。

福井 そうなんですよ。新しいものが常にピックアップされるのが本当のされかた、ありかた。管理体制ですよね。それが非常に嫌なんです。

桑谷 スタンダードは一つの権威になるかもしれませんが、あくまで模範としての意味です。条例や規則などを作るときの、お手本になるようなものといった方がいいかも知れません。作品の場合はどのような作品を選ぶかは芸術監督の範疇ですが、責任や役割についてはきちんと文章化されて契約書を交わす。日本でもそのような環境がスタンダードになってほしいということです。また新国立劇場の芸術監督の話になりますが、運営、予算、官僚組織などについて、どこまで知識や経験があるのだろうという事なんですね。何も知らないまま巨大組織に1人で乗り込んでいったら、やり込められてしまうのは明らかです。そういう構造が続いていているし、契約内容はどうなんでしょうか、少しは良くなっているんですかね。そうしますと、経験値っていうものを学んでから乗り込まないと、非演劇人たちにいいようにやられてしまう。じゃあ、芸術監督の経験値をどこで学ぶかっていうと、地域劇場などでキャリア積んで、準国立劇場などの芸術監督にヘッドハンティングされる。そういう構造を頭の中で描いています。。

福井 そう出来ればいいんですが、例えば、僕が、指定管理者制度のもとで、2年間葛飾のホールでホールマネージャーやっていたんですけど。そのホールマネージャー、ある意味芸術監督ではありませんが、ホールマネージャーの立場で、舞台監督などに伺っても、全く構造同じなんですよね。何の見識もないから話にならない。が慣例を持っている。今までの慣例を踏襲しなければいけないっていう部分で、何にもできない。という状況が。よほどの作戦立ててからでないと劇場をうまく運営できない、運営するほうの、官僚側じゃないほうが。

桑谷 仕事の仕方として、外側で戦う場合と、中で戦う場合とありますけど、僕は、組織の中に入って行政と戦う方を選択しましたが、その場合、戦う相手がはっきりしていたのでやりやすかった。福井さんがいうようにスタッフは、公立劇場の役割や組織というものを勉強していない。何のための技術かということを、学校や会社で教えてほしいとつくづく思いますね。組織人として失格のスタッフが本当に多い。それから、基本協定書というものを指定管理者と取り交わすんですが、それを理解していないなら問題ですね。

福井 話し、あちこちしますけど先ほど永井さんおっしゃった、大きな劇場で芝居なんか作れるもんじゃないっていう、例えば、先程のトラムであったり、なんていう事で、いくらかその流れが、ちゃんと芝居が見れる・出来る環境が、とっかかりが出来たんではないかなあと僕は思うんですけど。

永井  地方にはないんです。新劇の劇団はほとんど、演劇鑑賞会に買ってもらわないとやっていけないし、よほどの人気劇団でない限り、東京公演で黒字が出るとこなんて少ないと思うんですよ。東京公演は小劇場でやればやるほど、赤字はかさみますから。その赤字をうめて年間活動費を出すには、旅公演として何ステージか買ってもらうしかない。そして、買ってもらうたびに下手になって帰って来る。旅公演のために、演出を全部変えた事があった。劇場が大き過ぎて見えないから。「手が見えません、横向いて下さい」とかね。どの地方に行った時にも最高のものを、精一杯ここまで到達したものを見せたいと思うけれど、ひどいな~、二兎社ってつまんない芝居やるなと思って帰る人はいるでしょうね。いい時もあるけど、東京でつくった芝居と違ってくるから。

桑谷 永井さんね、新国の中ホールではやっぱり芝居はできないでしょう

か。小ホールばかりではなく中ホールでも芝居をしてほしいんですが。

永井 中ホールは1000いってないでしょ。あれいくつですか?

村井 1038席ですね。しかし、中ホールは使わない方がいいんじゃない。

永井 多分劇場のつくりっていうか、消防法があるから、日本の劇場って一番後ろの席の人が舞台から何メートル離れているかは、あまり考えて作られてないと思う。

村井 それを一番考えているのは、実は四季の劇場なのよ。

永井 アメリカでガスリー・シアターという劇場に行ったんですけど、客席が800もあるのに、800席に見えない。一番後ろの席でも舞台から遠くなり過ぎないように、客席が面白い形に設計してあるんです。それ、大事な事でしょ。客席を縦長にするっていうのが一番やりにくい。時間差が生じて。

村井 サンシャインとかですか? セゾンとか。

永井 それから、舞台が妙な高さになっていると、最前列の観客は役者の足下が見えなくなる。演劇の魅力って、私たちの努力を超えて劇場に左右されると思います。

確かにそういう劇場多いと思うんですよ。ただ現実に私たちがどういう風に作っているかというと、そういうスペースにお客さんを何人はいれるように作ってくれませんかって、プロデューサーから依頼が来る訳ですね。

永井 動かせるわけ? 可動式。

そういう依頼の元で作るわけで。それは、幾ら大きいとこでも、400の席でいいですって、言われたら私だってそういう風に作りますよ。そういう事なんですよ。だから大きい劇場だからできない、ってこっちゃないんですよ。

永井 動かせればね。

あくまでもお客さんの数が、一体どの位なのか、っていう事で、こっ 


ちは考えますから。

永井 それが出来ない劇場ありますよ。演技空間を前に出せないんだもん。

ただ、作れるよね。

永井 でも、明かりが当たんない。

それはね、芝居によって違うわけ。

永井 地方に行くと、舞台づらから黒い布を敷いて、演技エリアから外すことがよくある。舞台の前面に明かりが当たらないようになっているところが多いから。

その場合にどこに仮設するなどいろんな事がありえる訳ね。一概に、大きいから駄目、ペケだっていうにはですね、いろんな条件がそこには入って来る訳ですよ。

永井 客席数がね。

客席数っていう大きな問題があります。それをもとに私たちはやってます。ですから、いくら大きいところでも例えば、じゃあ1000人入るとこに300人入るでいいですよっていう時もある訳ですよ。その時はこっちでそれを考えればいいんです。そういう風にして、一応、舞台空間は作っているつもりなんです。勿論遠くて見えない、とんでもない劇場一杯ありますけども、ただそれはね、できないノーの判断は、大きいとこだからだけでペケだっていう風にはならないんですよ。色んな使い方出来るんです。

永井 確かに大きい劇場に、うんと大きい舞台を作って、客席が300でいいなら、それはすごく面白いと思いますよ。

ものによって違いますから、色んな選択肢はあるってことよ、やっぱり。

村井 永井さんの場合は旅バージョンができないとね。

永井 旅は仕込みの時間も限られ、バラシの時間も限られ、客席については、主催が会館だったり鑑賞会だったりするから、私たちの自由にはならない。主催者側は儲けなきゃいけないわけだから、こういう条件ででやって下さいって。地方で自主公演する力がない限り、自分サイドで大きな舞台を作って、客席を少なくするっていう事はできないんですよ。

村井 そろそろ時間が、30分以上オーバーしてますんで。最後にひとつだけ、誰かもうひとかた。聞きたい事あったら。なんかございますか。

なければ結論は別にありませんけども、つまりこういう状況の中で、どうやっていくのか、今日参加した皆さんも、我々もそれから劇場も、演劇環境がどうあればいいのか。引き続き考えていかなければいけないかなと思います。

今日来て下さった、パネラーの永井さん、桑谷さん、川口さん、麻生さんどうもありがとうご

ざいました。(拍手)

また宣伝にはなりますが、非常に役者がうまくなれる劇場でまだ演劇フェステイバル続きますんで、是非ともこちらの方も上手い演技が見られると思いますので、お願いします。どうもありがとうございました。(拍手)

追記:

シンポジウムが終わって、しばらく時間をおいてこの記録を読むと、そもそも「劇場法」って本当に必要なの? という気がしないでもない。重点支援されている「創造劇場」候補は、「劇場法」がなくとも、すでに独自に作品を作り展開しているところだ。アーツ・カウンシルにしても、現在の仕組みを改良し、説明責任できるようにすればいいし、事業助成にしても、経理を明快にし、団体助成も行なえるようにすればいいだろう。そしてそれは可能なことだ。コミュニケーション教育にしても、実力不明の演劇人がわざわざ各地の学校を回るよりも、現在の文科省の教員養成課程にちゃんとした講座をつくり、教員自身がそれを直接学べるようにするのが筋だ。とすれば、残るのはセーフティー・ネットのみとなる。しかしこれも、関連する法律や条例を手直し、調整すればあらかたカバーできるのではないか。そう考えると「劇場法」って何のための何なのさ? という気がしないでもない。幽霊の正体見たり枯れ尾花、でなければいいのだが。(村井健)