年が明け、にぎやかな番組や神社のにぎわいを見るにつけ、時間の流れを感じることが多いです。今は元旦からデパートが開いてたりして、以前より日常から離れている感じが少なくなっていますが。


行事が多く、12月の会に参加できませんでした。皆さんがどのような年越しをされたのか気になっています。年末年始は痛む(悼む)心を抱えている人にはとてもつらい時期だからです。


真夏と真冬、両方テンションが高く、年賀状を書くことも、喪が明けきれない心にはつらく、しんどいものだと思います。


そんなことを忘れて、というより、なかったことにして、元気に過ごしている人もいらっしゃるでしょうけど、それは悲しんでいないということにはならないのです。


悲しむことは極めて個人的な過程で十人十色、一人の人の中にもいくつもの色を持つ非常に複雑なものです。自分の悲しみを手放さないで、向き合い、自分を再構成していく過程といえるかもしれません。

失った人がいなかった自分を見失っているので、以前がどうだったかがわからなくなっているのです。その上、未来もわからなくなっていることが多いです。

漠然とでも想像できていた明日を失っているので、何を目指しているのかわからなくなっていることが多いです。そのため、身近な人を頼りにして、その人を自分の思い通りに動かそうとしたりすることもあります。

これらは自分が変わってしまったのではなく、しんどい状況の中での生きるための努力です。だから、それに気づいても自分を責めないでください。

どのような行動も、自分が変わってしまったと思えることも、周囲を恨んでしまうことも、だれか頼れる人を探してしまうことも全て、この悲嘆(グリーフ)を生きるための努力なのです。そのようにいじらしい自分のことを嫌いにならないでほしいです。

嫌いになった自分のために何かをすることは少ないです。嫌いになった自分を大事にすることもできません。もし自分が嫌いになったら、嫌いになりそうだったら、私たちのところに来てください。

私たちはあなたを受け止め、大好きでいて差し上げます。いつも、同じ場所、同じ時間にお待ちしています。今年もよい年にしていきましょう。