日本の科学者の江本勝博士は、一五年の歳月をかけて、人間の言葉、思考、感情が物質に与える影響を研究した。
江本博士が研究の対象として選んだ物質は、古代より四大元素の一つとして考えられて来た水だ。
水は、言葉、音楽、祈り、祝福にどのように反応するのだろうか。
江本博士と研究チームは一万以上の水のサンプルを用いて、水に話し掛けたり、音楽を聞かせたり、僧侶の祈祷を聞かせたりした。
その後で水を凍らせ、顕微鏡で氷の結晶を観察するのである。
( この写真集はたくさん出版されています。
また、検索すればある程度の氷の結晶のサンプルを見ることができるでしょう。
不思議なことには、キレイな言葉をそのサンプルの瓶に張ったり、キレイな言葉や音楽を聞かせたりした水の結晶は、必ずとても美しい形状に成っていることです。
それも、ほとんどのサンプルが正確なヘキサグラム(六芒星)かヘキサゴン(正六角形)を描いていることです。
その反対に汚い言葉をその瓶に張ったり、汚い言葉やヘビメタ音楽などを聞かせたりした水の結晶は、醜く歪んで不安定な形をしています。
しかし、考えてみれば、空から降って来る雪の結晶も同じように美しい形状の結晶をしており、汚い歪んだ結晶を見ることはありません。
つまり、自然の振動数、それもこの人間が住んでいる地上をはるかに超えたところの振動数は初めから途轍もなく高いということです。
水というものにも意識が在り、そして周囲から与えられる振動数と同調共鳴共振して形として見せてくれるのです。
ヘキサグラムとヘキサゴンは、神の御紋として古代から崇敬崇拝されて来ています。
伊勢神宮や出雲大社に飾られている形はまさにヘキサグラムであり、ヘキサゴンです。
これは西洋でも同じです。
古代原始キリスト教のカペナウム(礼拝堂)の石壁には、やはりヘキサグラムが飾られているのです。
これが何を意味しているかと言えば、ヘキサグラムやヘキサゴンは神の権威と力を示しているシンボルの一部分だということです。
本物のシンボルは、○△□によって創られているメビウスの輪を◎(二重○)で囲んだ図形です。)
なんで水の話なんかしているのだといぶかしく思っている人が居たら、次のことを考えてもらいたい。
水という物質はいたるところに在る。
空気の中にも水は在る。
それに人間の体も、この地球も、七〇%は水でできている。
だから、もし言葉や思考が水という物質に影響を与えることができるなら、水を含むもっと複雑な物質にも影響を与えることができると考えられる。
( 一番身近なのは、体内の血液やリンパ液や細胞内に入っている水です。
その水に意識が在り、言葉や思考や音楽に反応するとすれば、良い言葉や良い思考や良い感情や良い音楽を与えることによってその振動数が変わるということです。
高い振動数の水が体内を巡れば、ますます健康に成るだけでなく、脳波にも良い影響を与え、周波数の低いシータ波状態に入りやすく成るのではないでしょうか?
つまり、良い水が良い運命をもたらしてくれるのです。)
江本博士の実験の結果、「親切」な扱いを受けた水、つまり「愛してるよ」「ありがとう」といった言葉をかけられた水は、真っ白で形が美しい結晶に成ることが判った。
逆に、「大っ嫌い!」「このバカ!」といったネガティブな言葉をかけられた水は、濁って形の醜い結晶になる。
因みに、エルビス・プレスリーの「ハートブレイクホテル」(心が破れたホテルか?)を聞かされた水は、結晶が二つに割れたという。
( 水に限らず、この宇宙に存在するすべてのものには意識が在り、物事を判別する能力も持っているのです。
なぜなら、すべてのものは、元々一つの生命体であり、意識体である無限の叡智と無限の可能性に満ちた根源物質=ゼロポイントフィールドから出現して来たものだからです。
常日頃自分が御世話になっているいろいろな物質や衣服や住まいや道具にも温かい心で接することが必要だと痛感しています。)
江本博士は著書の中で、ダム湖の藤原湖の水から出来た結晶の写真を紹介している。
最初は黒っぽくて形のはっきりしないただの塊だったが、僧侶たちがほんの一時間だけ水に向けて祈祷したところ、純白で完璧な六角形の美しい結晶に生まれ変わった。
( これは僧侶たちの超能力などではありません。
僧侶たちの信じる心が水に感応しただけだと確信しています。
それとも、偽物の教えの経典の元に成っている本物について、時間空間を超えて感知できる能力を水が持っているとしか言いようがありません。
なぜなら、御釈迦様没後千年後に入って来る仏教なるものは、偽物であるから、決して受け入れてはならないという倭姫の命の御宣托が予言しているからです。
《 造伊勢二所太神宮宝基本記に詳しく記載されています。》)
江本博士はまた、祈りによってこれまで存在しなかったまったく新しい結晶が生まれるということも発見した。
( 「すでにそう成っている」というのが「祈り」です。
「これからそう成りますように」は祈りではなく、現状に対して不平不満を持っていることなのです。
つまり表向きに現れている現状の奥に在る未だ可能性として存在する完璧な状態を喜び讃えることが真の祈りなのです。)
欧米の文化では、人の体と精神が持つエネルギーやパワーは軽視されている。
内なる知性と調和するような訓練を受けることはない。
体や精神に問題があると、すぐに医者に行くように言われる。
バスケットボールの腕を判断するのはコーチの役目であり、勉強の成績を付けるのは教師の役目だ。
自分の力を放棄し、判断を他人に委ねるように教育を受けている。
( これは何も欧米だけの問題ではありません。
日本でもまったく同じ状況ではないでしょうか?
元々自分の内側に秘めている無限の可能性についてはまったく無視されている現状であり、社会や学校が勝手に決めた人為的なルールを教え込んでいるだけなのです。
しかし、これからは、目覚める人たちが多くなるに連れて、会社や学校の在り方も確実に変わるでしょう!)
最後まで読んで頂き、まことにありがとうございました!
では、また!
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写真あります。
愛、感謝、琵琶湖の祈り、祈りの後の結晶はとても美しい
「ありがとう」「ばかやろう」の言葉をかけた水の結晶
「桃」に「ありがとう」と「ばかやろう」と紙の上に置いてみた
ありがとうございます。
引き寄せの法則、宇宙の法則