誕生日なので、私のルーツと正岡子規との親戚関係について書きます。 | 未来を予想し、人生を変える「四柱推命鑑定士」tunebassのブログ

私、ハンドルネーム「tunebass」のtuneは恒昌の恒から取っています。bassは、bass釣りが好きだからです。

そして本名は、大原恒昌と申します。大原家では、名前に先祖代々より「恒」を付けなくてはなりません。

そして、その「恒」は、子供に引き継ぐときには自分が「○恒」だった場合、「恒○」と名前を付けなくてはなりません。

 そして私は「恒」がついて10代目にあたります。どうです?なんか古風だとは思いませんか!父は宜恒(よしつね)祖父は恒武(つねたけ)、曽祖父(ひいじいさん)は、尚恒(たかつね)この、尚恒おじいさんは、国鉄に勤めていました。山陰の「餘部鉄橋」の橋を設計し掛けた人で、その後、西松組(現在の西松建設)創業のメンバーでもあった人です。私の名前「恒昌」は、この「尚恒」ひいじいいさんが死ぬ前に入院中、つけてくれた名前です。

 

つづいて、高祖父(ひいひいおじいさん)恒徳つねのりと読みます。大政奉還後、栄松社 明治8年、旧松山藩主久松家によって設立された銀行に資金提供の協力をしていました。今の伊予銀行になります。

 

その父有恒(観山)は、「坂の上の雲」にも登場し、ウィキペディア にも載っています。江戸時代は、松山藩藩校明教館教授、明治維新後は、私塾で孫の正岡常規(後の子規)を教えていました。

以下家系図になります。



そして、正岡子規の母、八重さんと、高祖父(ひいひいおじいさん)恒徳は兄弟になります。

よって、私に名前を付けた、尚恒ひいじいさんと子規はいとこという関係になります。

 


tunebassブログ
上の写真は、秋山好古と加藤家に養子に行った加藤恒忠になります。

加藤の伯父さんは、ベルギー大使として政府で働いていました。

松山の五代目の市長を務めた方です。正岡子規を東京に呼んで東大に行かしたのも

個の伯父さんのおかげです。間に挟まれたおばあちゃんが八重さんで正岡子規の母です。

 


tunebassブログ

これは、子規と母八重との写真です。

 

本家より、松山の子規記念博物館 に資料を貸していますので松山に行った際には、是非

ご覧いただければと思います。