入院して日数が経ってくるに従って、デイルームでの交流の場が増えていきました。

デイルームで食事を取る、というのは精神科病棟ならではでしょう。そして精神科病棟ならではということがもう一つ。デイルームでは、男性・女性が同室で食事を取るシステムになっていました。睡眠を取るベッドがある病室こそ男性部屋・女性部屋と別れていたのですが、デイルームでは男性だけでなく、女性の席もありました。

まず、私に声をかけてくれたのが、私の後ろに座席があったPさん(女性)。私より少し年下の20代半ば。腕には無数の傷跡がありました。Pさんは摂食障害。とてもガリガリにやせ細っていました。毎食毎食、まずい食事をどのようにして食べるか、そういったことと闘っていました。とても明るく、人懐っこい性格。年代が近いということもあったのでしょう。Pさんの隣に席があったBくんのことをとても気に入っていた様子で、何かというとBくんにちょっかいばかり出していました。

そして私に声をかけてきてくれたのが、Qさん(女性)。私が入院して数日後に入院してきたようでした。化粧がとても濃かったQさんは私と同い年。服飾の販売員をしているということでした。出会った当初から、何だかこのQさん、私に対して色目を使ってきている、そのように感じました。同い年ということが、彼女の中で親近感を沸かせたのでしょうか。Qさんも私同様スモーカーだったので、あまり話をしないうちから、喫煙コーナーに一緒に行かないかとよく誘われ、最初のうちは私もよく一緒に喫煙コーナーに出かけていきました。


開放病棟の入院患者は男女合わせて20名ほどでしょうか。その中でも、日頃親しく話ができる人が徐々に増えていき、快適な入院生活をはじめられることができました。


上司に連絡をしなければならない。そのことで私の頭の中はいっぱいでした。その日も上司が在席していると思われる夜8時頃を狙って、電話をかけようとしました。

この病棟には公衆電話が備え付けられていましたが、公衆電話の周辺では携帯電話による通話も可能でした。(というより、病棟内の携帯電話による通話は公衆電話の周囲のみに定められていました。その他の場所では携帯電話の通話は行ってはいけないルールでした。)私は携帯電話で電話番号を調べてから、公衆電話から会社に電話をかけることが多かったです。

公衆電話のところに行くと、先客がいました。公衆電話のところにあった椅子に座って携帯電話から電話をかけていました。

「携帯電話で電話をかけるんなら、もう少し離れたところでやってくれないかな。公衆電話を早く使わせてもらいたいな。上司が帰らないうちに。」

そう思っていると、先客は携帯電話を持って話をしながら、少し離れた場所に移動してくれました。

「今がチャンスだ。」

私は公衆電話に行き、会社に電話をかけました。近くに先客の女性がまだいたので、その女性が離れてくれるように、少し大きめの声で上司と会話をしました。私が順調に入院生活を始められたことを伝えると、

「それはよかった。こちらのことは何も心配しなくてよいから、あせらずゆっくりと療養生活を送って欲しい。」

と言われました。上司にこちらの状況を伝えることができた。そして私のことをまだ心配してくれている。戦力として考えてもらえていることに、ただただ感謝したことを覚えています。そして、私の状況に変化が生じたたびに、定期的に上司に電話で報告をすることを伝え、電話を切りました。


入院から1週間ほど経って、精神科の教授や助教授(現在は准教授)との面談がありました。教授・助教授は入院中は定期的に週に1度のペースで面談をしてくれました。

「入院してから1週間になりますが、入院生活には慣れましたか。」

そう聞かれました。入院生活を満喫しているとまではいきませんでしたが、当初考えていたよりもスムーズに入院生活に入れたのは事実です。そのことを伝えました。

「何か困っていることはありませんか。」

その時点で困っていることは何もありませんでした。何かないかと問われれば、日々の入院生活が食事と喫煙、新聞を読んでいる時間以外が退屈で仕方がないことくらいだったでしょうか。

そう、入院生活が始まって1週間ほどで、私は退屈してしまっていました。病院のスタッフに聞けば、朝食後、午後4時半までの間であれば、許可を取った上で(といっても形だけ、どこに出かけるか、何時から何時まで外出しているかを記録すればよいもの)病院から抜け出しでもかまわないとのこと。昼食は外食でも構わない、昼食時に服用する薬は、外出時に病棟スタッフから渡してもらえるとのことでした。

私は外出することに決めました。

退屈な入院生活。思った以上に時間が余りまくっていました。食事をする、新聞を読む、煙草を吸う以外にすることが何もありませんでした。勉強をするにはいいチャンスでした。会社を休職し、病気を治して(処方薬を減らして)、会社に戻る。その際に、身体を治して帰るのは当たり前。手ぶらで帰っていったら会社や上司・同僚たちに申し訳ない。何か、お土産(業務知識に精通する。何か業務に関連した資格を取得する。)を持って帰らなければ、そのように考えていました。

当時、産業再生機構がその役割を終え、その業務内容を3冊の本にまとめていました。産業再生機構の機構としての役割は終焉したものの、事業再生の業務がなくなることはない、今後景気が悪くなっていった場合はそうしたニーズが増えていくだろう、そのように考え、まずは産業再生機構が出した本3冊をしっかりと読んで、事業再生の業務知識を身につけよう、そのように考えました。早速、携帯電話で本屋に在庫を確認(iモードを使って)、本屋に出かけてこの本を購入することを決めました。病院からその本屋までは、バスや電車を乗り継いで片道1時間ほどかかります。昼食を外で食べることにして、この本屋に出かけました。病院食に早速飽きてしまっていたこともあり、昼食を外で食べられることは魅力的でした。結構重量感ある本で重かったのですが、本屋で本を購入した後、喫茶店でランチを食べました。とてもおいしく感じたことを記憶しています。


産業再生機構の本をゲットして、その本を読みきらないうちから、今度は何か資格を取得しようと考えました。携帯電話で資格情報を調べた結果、証券アナリストの基礎講座(通信講座)の受講、証券外務員二種の資格試験勉強(これも通信講座で)をしようと心に決めました。病院にそれらの通信講座の教材を送ってもらうわけにはいきません。幸い、実家が近くにあったので、実家に送付してもらおうと考えました。ただ、通信講座受講の申込はWEBで行わなければなりません。当時は、インターネットカフェを使ったことがなかったので、何かインターネットカフェ以外でインターネットが使えて、情報漏えいの心配がないようなところはないか、いろんなことをよく知っていた相部屋のAさんに聞いてみました。

「Kinko’sに行かれるといいと思いますよ。」

病院からはバスで15分ほどのところに、Kinko’sがありました。早速、Kinko’sに出かけ(もちろん昼食は外食で)、証券外務員二種講座、証券アナリストの基礎講座の申込をしました。約1ヶ月で実家に教材が送られてくるとのこと。教材が送られてきたら、しっかり勉強をして、試験を受けられないにしてもすぐに試験を受けることができるよう準備をしておこう、そう心に決めました。