桜の花、舞い上がる道。 | 適当な事も言ってみた。

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~まあそれはそれとした話として~

悲願であった。

「東京芸術大学」
17歳で修行を始めて、21まで浪人して
死ぬ程憧れた大学だった。

結局五回も落ちて、行けずじまいだった。

そんな「負け犬」はよく吠えた。
ふてくされて、全部他人のせいにして
逃げて来た地で、ただ転げ回っているうちに、
僕はあろう事か、
小さな美術系の予備校の講師となっていた。

「芸大に入れなかった奴が、
 他人を芸大に入れられるわけが無い」

僕もそう思ってはいたが、
揶揄や蔑視とも観得たそれは
「指導」として受け取った。

「彼」は三年前の夏から陣営に加わった生徒だった。
当時から向上心に探究心、感覚も相当優れてはいたが、
線が細く、慢心もあった彼は、現役時代に惨敗し
浪人が決まった時、思いの丈を僕にぶつけて来た。
彼の最大の美徳、「正直さ」故のことだった。

彼の僕に対する批判、糾弾は尤もなものであり、
強く身が引き締まる思いであったのを憶えている。

「出来うる限り善処する」

と彼と約束して、新しいシーズンが始まった去年の四月。
他の芸大出身の講師を退け、独りきりで指導するシーズンは、
初めてのことだった。
これで結果が出せなければ、僕は詰め腹を切るしか無い。
だが、僕は自ら気負うことを禁じた。

僕は思うのだ。

ここで僕が教えられるのは、
①自分が出来たことと、出来なかったこと
②芸大に落ちる理由
③「受かる為の絵」を描いてはいけないこと

そして
④描くことを楽しむ。
ということ。

悲愴な努力は息苦しいが
努力とは、この場所では絶対の信条だ。

例えば志望校に落ちたとて、そこで「休憩」
と称して描くのを怠る生徒を、僕は信用しない。
例えば大学に入ったとて、そこで「自分探し」
と称して制作を怠る学生を、僕は信用しない。
例えばどんな理由であれ、欠席や遅刻が重なった分だけ
僕のその生徒への情熱は薄れる。

実際僕も全部そうだったけど、
そうなった分だけ後悔したのだ。

そして陥りやすいこれらの行動理由はただ一つ。
「努力を楽しめない」からなのだろうと
僕は思うのだ。

「彼」との修行は、信頼関係を築くところから始まった。
徹底的に話し合い、忌憚のない意見をぶつけ合った。
プライベートも何もあったもんじゃなかったが
それが濃密且つ楽しい日々として実感した時には既に
彼の絵は変わっていた。

常に彼は迷い、狼狽え、時に泣いたが、
決して誠実さを失うこと無く
真剣に僕の声に耳を傾けてくれた。

最後の最後まで、彼はそうだった。

彼の努力と実直な眼差しが、
その分厚い「信頼」が僕を動かした。

日々の研鑽。

一度たりとも遅刻や欠席をせず、
言い訳も愚痴も一切漏らさずに
ただひたすらに修行に明け暮れた日々の、
その延長線上に「芸大合格」という快挙はあったのだ。

掲示板の前で、高々と拳を挙げ
僕に駆け寄って来る彼は、本当に眩しかった。

もし受かってたら
「泣くだろうな」とお互いに言っていたが
不思議なことに、二人とも涙は出なかった。
ただ笑い、真っ青な空の下で快哉を叫んだ。

「この一年、本当に楽しかったです」

あれだけ喚いて転げ回っておきながら
「よく言うぜ」とも思ったが、
実際彼が楽しんでいたことは、僕は知っていた。

努力は、楽しんでこそ。

歴戦に敗北を重ね、
15年の雪辱を生徒に漱いで貰った
不甲斐なき講師である僕が学んだのは
たった一点の曇りも無い、彼のその一言だ。

また次の戦いを、楽しんで駆け抜けて行きたい
と、強く願う。

ノザワ君、本当におめでとう。
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そして、本当に有り難うございました。

合掌