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mixiID 心の旅人



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またかなり時間が空いてしまいました。


書きたいことはいろいろあるのですが、なんとなく筆が進まないです^^;


それでも今とても苦しい状況にいる人に、もしかしたら助けになるかも知れないことを書いてみますね。



よく、「今あるものに感謝する」「ないものではなく【ある】ものに注目する」という言葉を聞くことがありますね。


私も使うことがありますしもちろんたいていの場合は有益だと思います。



それに対して、


「それって結局欲しいものが今【ない】から仕方なく【ある】もので我慢して満足した振りするってことでしょ?」


という反論がわいてくるのも分かります。


まあ、普通そうなりますわな^^;


分かります。



でもね、



「今」「ない」ものから目をそらすんじゃなくて云々・・・と小難しい話は苦手だし意義があるのかどうか分からないのでしませんが、



簡潔に言うと、「今」「ある」ものを活かしたり満喫するなら、それは本来の性質どおり移ろって流れて行き、その空いたスペースに「今」「ない」ものが流れ込んでくるんです。



何が流れ込んでくるのかはそのときのお楽しみ。


たいていはあなたの本音が反映されたものです。


あなたがあなたの望みをどれだけ信頼しているのか。


あなたがこの世界で体験するあなただけのオリジナルの人生をどれだけ楽しもうとしているか。



リラックスしましょうよ。



ねぇ。





ココロノタビビト

















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あなたが最高に幸せでありますように。
先日の記事にとても興味深いコメントをいただいたので、気分が乗っているうちに記事を書いてみました。



れっさー半田さんのコメント

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自分を愛するとは「愛さない」をやめること。
とても独創的で素敵なご意見だと思います。
わざわざ「愛さない」をやめればそもそも最初からあった愛が姿を現すということですよね?

でも最近は多くのスピリチュアル系ブログがどちらかというと「無条件の愛などない」「悟っても無限の虚無が広がっているだけ」といった【ミもフタも無い】系の見解に傾いてきていると思うのですがその辺タビビトさんのご意見はどうなんでしょうか?

決して議論をふっかけるつもりはないですしタビビトさん的には「あなたがそう思うならそうなんじゃないですか?」と言われるのも目に見えてはいるんですが、どうしてもお聞ききしてみたくて・・・

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【ミもフタも無い】系の見解というのがどのような文脈で語られているのか存じませんし、語っている人によっても違うでしょうから、あくまで私なりの意見としてお聞きいただければと思います。

この現実世界で本当に「無条件の愛」があるかと言えば確かにないのかも知れません。
と言うのは、私たちは「愛を感じる」とき、対象が必要だからです。
それは特定の個人の場合もありますし、ぼやっとした「世界全体」の場合もあるかも知れませんが、どちらにせよ「対象がある」時点で発動条件があるので、厳密に無条件とは言えなくなります。

便宜上、「見返りを期待しない」という意味で「無条件」と言っているだけですが、この世界ではそれで十分じゃないでしょうか?



また、「悟っても無限の虚無」というについても、見性体験を素に戻った後でどう言葉で表現するかだと思います。

この世界の人間の意識の状態で、この世界の言葉で語ろうとしても、どうしてもその人の感覚、自意識のフィルターを通したものにならざるを得ないでしょう。
「茫漠たる空間がただ広がっているだけ」という人がいてもいいし、「そこにはすべてがあった」という人がいてもいいと思います。

私も確かに「果てしない虚無」を垣間見た気もしますし、「すべてでひとつの充足」と感じたこともあります。

言葉で表現しようとしても、ひとりで「郡盲像を評す」をやろうとするようなもので、それが別人同士の感覚表現であればなおさらでしょう。

本当はそれも何か段階的なものなのかも知れませんが、別にどの体験や感覚が他よりも上位だとか下位だとかいうこともないと思います。


もし「自分だけが正しい!」「真実はひとつ!」「他の人は間違っている!」という人がいるなら、その人はその人なりの真実や正義を好きなだけ振りかざしていればいいんじゃないでしょうか。

私は興味ないですから^^;




私たちにとって目下大切なことは、「宇宙の真理を掌握する」ことではなく、この世界を生きている今どうありたいかではないでしょうか。

私たちの大半は(少なくとも私は)宇宙の真理を悟って解脱して神や聖人のようになるためにこの世界に生まれてきたわけではありません。

もしそういう天命を背負っているなら、自然とそういう生き方を始めるでしょう。



また、【ミもフタも無い】系のお話の中には、「私たちに自由意志は無い」「起きることもすべては決まっていて私たちが選択しているというのも幻想に過ぎない」というものも含まれていると思いますが(他の読者の方からいただいたメールで知りました)、どのみちこの世界すべてがまるごと幻想です。

私たちがどれを選んだとしても、それすら最初からそのように決まっていたとも言えるし、私たちの選択を分岐点として世界が枝分かれしていくとも言えます。

すべては同時に起きていて、そもそも「最初から」もないのです。

私たちが何かを選択したとしても、その瞬間もともとそう決まっていたかのようなストーリーが出来上がってしまいます。


だから、この世界で私たちの自意識においては、「自分で選んでいる」つもりで良いんじゃないでしょうか?

宇宙の真理を解き明かしたい人は思う存分【ミもフタも無い】真理を探究すれば良いでしょう。

でも私はそこまでする必要を感じないので、その手前の「幻想と知りつつ確信犯的にこの世界を体験する」に留めておきたいと思います。


だってそのほうが楽しいですから^^

「それは魂のレベルが低い」とか「それでは次元上昇が云々」と言われても構いません。

それはそれが大好きな人、使命感を感じている人にお任せします。


私は私で、エゴと完全に手を切るなんてことは諦めてこの世界で願望実現したり、自意識で認識できる範囲で愛を感じたりする人生を楽しみたいと思います。

真理を普及して人類を目覚めさせようとかそういう崇高な使命は背負っていません。

自分自身と、共感してくださった人、ご縁のあった人でこの世界を楽しむことができればそれで十分です。


あなたはどの人生を体験したいですか?
最後までお読みいただきありがとうございます。

あなたが最高に幸せでありますように。
えー、新年明けましておめでとうございます。

昨年はほとんどブログを更新せずすみませんでしたm(_ _)m
今年はもうちょっと頑張りますね^^

また、こんなほとんど更新していないブログにも関わらず、数多くのメールをいただき、たくさんの方とお話させていただくご縁を持つことができたことを感謝しております。

少なからずお役に立つこともできたようで嬉しく思います。

今年もよろしくお願いします。




さて、広げた風呂敷を畳まなければなりません(笑)

「続きはどうなった!」と叱責もまたたくさんいただいております^^;


というわけで、実に一昨年の記事の続きとなってしまいますが、
2013年10月にエントリーした

「自分を愛する」って?

の続きを書かせていただきますね。


この記事で、


「自分を好きになれなくても良い!」と投げ捨ててください。


と書きました。


そして、「もともと何の条件もなしに自分を愛していることを忘れているだけなので思い出すことです」みたいなことも書きましたね。


あれから1年数ヵ月の時間が経ち(「あれあれ、時間なんてないんでしょ!?」というツッコミは置いといて 笑)、少し私の認識にも変化がありました。



愛は確かに究極的には無尽蔵、無条件と言えるかも知れません。
(その訳・・・というか解釈については別途書いてみたいと思います)

ただ、私たちが人間としての自意識で感じたり想像したりしているものとはちょっと(かなり?)違うものだと思います。


ですから、それはいったん脇に置いておき、人間視点でのお話にしておきましょう。



「それじゃあ『自分を愛するにはどうしたらいいか?』の問いには答えがないのでしょうか?」


と気になったかもしれませんね。



やや無理やりこの問いに対して答えさせていただくとすれば、


「自分を愛そうとする必要はない」


となります。


もっと言えば、



「自分を“愛さない”をやめる」


のほうがしっくりくるかもしれません。



でも、それには少し補足が必要だと思います。


「自分を愛さないをやめる」は、「自分を嫌うのをやめて好きになる」と同じではありません。
(少なくとも私の定義では)



あなたは別にあなた自身を嫌いなままでもいいんですよ。

全然構いません。


「こんなに苦しいのはもう嫌だ!」


「なんで私はこんなにダメなんだろう・・・」


「なんでもっと上手くできないんだろう・・・」


「自分を好きになれない」



そう思ったままでも構いません。



むしろ、


「私は私を嫌い。私のこれまでの人生も嫌い。私の環境も嫌い。はっはっは!それがどうしたの?文句ある?」

くらい開き直ったっていいと思います。



これであなたは自分を好きになる必要がなくなりました。




「それじゃあ救われない」と思いましたか?


なぜ救われたいのですか?


何から救われたいのですか?

(「救われたい」と思うから「救われたくなる状況」を創ってしまうといったお話は今は置いときましょう)




本当は救われたいのではなくて、


「変わりたい」のでしょう?

自分のあり方を。

思うままに生きたいのでしょう?

自由に世界を感じたいのでしょう?


でも、あまりにも「こうありたい自分」と現状認識との間にギャップがありすぎるように思えて、そうなることを自分に許可できないか、
「こうありたい自分」を思い描くことすらできずにいるのでしょう?


だから苦しいんじゃないですか?



私たちはこの世界では「無常」の存在です。

永久不変の宇宙から、自分自身も含めて常に変化し続ける世界に自分を送りこんで体験している最中です。

それなのに私たちは自分が変わることを許さないことがとても多いです。



「こんな自分は変わってはいけない」



と自分自身に変化を禁じ、



「変わらなきゃいけないと望み続ける(でも本当に変わっちゃダメ)」状況を延々と再現しようとします。



私たちは本来ほっといたら自然に「変わりたい」と思うまもなく変わり続ける存在です。

1秒前と1秒後でも変わっています。

容姿も、性格も、考え方も、記憶も、環境すらもです。


それが私たちがこの世界でやりたいことだからです。

ありたい姿だからです。


完璧で、不変で、すべてが同時で永遠の一瞬の世界から、不完全で、無常で、何もかもが時系列で移り変わっているように感じる世界を体験するために人として生まれてきたのです。



この変化への衝動を認めていること、ありたいようであることを認めていること、それが「愛」なのではないかと思います。


そして、いろいろな理由をつけたり、条件を設定して「自分が変化することを阻止しようとする」ことが、「自分を愛さない」ということだと思います。



そのときあなたは、「変わりたい」という渇望を抱えることになるでしょう。



あなたがいくらあなた自身を「好きになれない。嫌い」と思っても構わないですが、
「変化」を阻止しようとすればその分苦痛を味わうことになるでしょう。


エゴはさまざまな「変わるべきでない理由」をあなたの前に提示するでしょう。

その際たるものが



「まだ条件が整っていない」



というものです。


「まだ必要なものを手に入れていない」

「まだ成し遂げていない」

「まだそのレベルに達していない」

「もっと成長してから」

「こんな私は変わってはいけないから」

「成功する保証がないから」



一見もっともな意見であなたにブレーキをかけます。



逆ですよ。



条件が整うから変化できるのではなく、変化するから後付けで条件が整うのです。


たとえ今見ているこの現実世界ではその時系列は逆に見えるかも知れませんが、

あなたが「条件が整うまで待とう。それまでは変わるべきではない」と決めている限りはずっと待ち時間が続くか、

何かのはずみで条件がそろったとしても、それは外に見える条件に左右される不安定なものになるでしょう。



なぜ条件にこだわるのかというと、「結果を怖れすぎている」からではないでしょうか?


失敗したらどうしよう、少しでも満足いく成果を得られなかったらどうしようかと怖れるあまり、「少しでも良い条件が整うまで待とう」となってしまうのではないでしょうか?


ポーカーを始める前に、良い手札がそろうまで延々とカードを切り続けているようなものです。

それじゃあいつまでたってもゲームを楽しむことができません。



愛からだいぶ離れてしまったように思いますか?^^;


そんなことはないですよ。



あなたがあなた自身に、わき上がる変化への衝動に従うことを許可してあげること、


そして、たとえ満足いく成果を得られなくても、それでも変化したあなたを受け入れてあげること。


頑張ってあなたを好きになろうとする必要はありませんよ。

本当はあなたは自分を愛していますから。


その証拠に、変化を阻止しようとしているのは、「自分を守りたいから」でしょう?


「今の状態は嫌だ!でも、変われると期待して失敗したらもっと傷つくかもしれない!それは避けたい」


ということではないでしょうか?



それも許してあげてください。


「許す」とは、何も「罪を免じる」とかそういう意味だけではありません。


「変わりたければ変わってもいい」「失敗してもいい」「傷つく必要はない」「それもまた自分なのだから」と、その自由を認めてあげること、受け入れてあげることです。


もう長い間あなたを縛ってきた鎖を、



「本当はそんなものはなかった」と、あなた自身を解き放ってあげることです。


あなたが今のあなたをどう思っていようと、それに縛りつけずに、変わる自由を認めてあげること、それが


「自分を愛する」ということです。



赤ちゃんが何度も転んでは立ち上がりよちよち歩こうとするのを見て、


「失敗させるわけにはいかない。転んだら危ないので必要な筋力とバランス感覚が身につくまでやめさせよう」


とやめさせる人はいませんよね^^;

身についたから歩こうとするのではなく、歩こうとするから身につくものだと分かっているからです。



だから、


「今日はできないかもしれない。でも一生懸命歩こうとしている。誰も教えたわけでもないのにすごいなあ」


と、わけもなく愛おしい感情がわいて、慈愛に満ちた目で見守りたくなる人が圧倒的に多いと思います。


「上手くできたら認めてやろう。愛してやろう」


とは思わないと思います。


見ているだけで喜びを感じ、自然に応援したくなる。

失敗しても絶望せずに、トライしている姿そのものを楽しみに見ている。

包む込むような寛容と、

「大丈夫。きっとできるから」というゆったりとした期待と信頼
を感じている。





そんな感じです。


あなたが、あなたを愛するのもそんな感じです。


変わりたければ遠慮せず変わってください。

それを許してあげてください。

誰もあなたに「変わるな!」と命じる人はいません。

条件が整うのを待つ必要はありません。



どう変わりたいかもあなたが選んでください。



思いのままに、魂の喜びに従ってこの世界を満喫してください。



大丈夫ですよ。



そうし続けていればきっと、

あなたは最初からあなたを愛していたといつの間にか気がつきますから。





さあ、カードを切り続けるのをやめて、ゲームをはじめてみませんか?