前回の記事から間が空きましたが、今回は11月24日まで県立文学館で開催されている、与謝野晶子展についてのお話ですにひひ


与謝野晶子というと、反戦歌「君しにたまふことなかれ」が有名ですよね。

与謝野晶子は東京の人ですが、夫婦で山梨県内各地を訪れたそうです。

私生活では22歳の時に略奪愛の末、与謝野鉄幹と一緒になった晶子。

「みだれ髪」など女性ならではの愛の情熱を高らかに歌ったことも有名です。


そして雑誌・明星で鮮烈なデビューを果たしたかと思うと、そのあとは鉄幹との間に

11人の子供をもうけて母として奮闘、女性解放運動の先導者・平塚らいてうと

教育論を唱えて議論したり、

与謝野鉄幹をパリに留学させるために必死に作品を作って留学費を稼いだりします。


11人の子供の中には 「エレンヌ」というハイカラな名前の子供もいて驚きました。

そんなことはさておき、11人の子供を育てるって…(野球チームプラス2の人数です目

とんでもなく、時間的にも体力的にもつらそう叫びですよね!?

詩や短歌を読んでる暇なんてなさそうですよね!?


それなのに、晶子の創作は萎えるどころか加速してヒートアップ!

源氏物語の翻訳を手掛けたり、鉄幹とともに大学を創立したりしますビックリマーク

でも、私が足を止めてジィッと見入ってしまったのは、そんなメジャーな詩ではありません。


ぽつりと書かれていた、エッセイか、後書きのようなものでした。


うろ覚えですが、それによると晶子は

「私の詩の目的は実態を表現すること、ただそれだけでした。…云々」

みたいな内容を書いていたような気がします。


彼女の創作のモチベーションは使命感ではなく、

だって、言いたかったんだもん音譜 みたいな気持ちだったのか~!


本能からくる気持ちの表現=素直な自分の本心だからこそ、

当時の世相や芸術的価値、さらには世間の価値観に振り回されることなく、

晶子は戦時下の日本でも「君しにたまふことなかれ」を読めるんですね。


正直さは、強さにつながり、それは表現の自由にもつながっていくんだと思います。


そして、この企画展のさらなる 萌えポイントラブラブ


 それは… 
 与謝野晶子の肉声が聞こえるっ!!!


 2分40秒くらいの短いテープですがヘッドホンをつけると、晶子が自作の詩を読む声が

聞こえますっ!!クラッカー大興奮アップ

私が資料館や博物館や人物展好きなのはこのため!!

活字で覚えた人物の声を聞くと、その人の輪郭や雰囲気が伝わってきて

くっきりと立体的なイメージでその人を想像できるからです。


今まで渋沢栄一や尾崎行雄、犬養毅や浜口雄幸、高橋是清の肉声などを

聴いて、一人で大正・昭和史への情熱を燃え上がらせていました。


さあ、今回も肉声テープでいい短歌がありましたよ。


身の半焔に巻かれ寂光の世界を見るも恋の不思議


情熱的で情緒あふれる歌ですね。


いろいろ回り道しましたが…、

私の胸に一番響いたのは、晩年鉄幹がこの世を去り、

与謝野晶子も病床に伏せるときに読んだこの歌。


半分以上

私の子供達、さやうなら。  お父様のところへ行きます、
いろんな話をしませう。 あなた達もさう思ふだらう。


けれどそれはだよ、 言偏(ごんべん)の「し」だよ。
何があるものですか未来に、 そんな世界がねえ。
私はよく知つてゐた。
あれからの私は寂しかつた。
でもそればかりではなかつた

私は詩を描いてゐたからね、
生活のおよそ半分を、
詩で塗つて来ましたよ

この期に臨んでも、 私は抱いてゐます詩を、
詩を半分以上。

それでは行きますよ。
宣しく云ひませうね、
あなた達のお父様に。


与謝野鉄幹と子供たちへの愛がいっぱいの詩ですよねニコニコ

色を変えた部分はれもんの心にヴィヴィっと来たところ。

与謝野晶子にとって詩とは

創造するものでも、生み出すものでもなく、自然にあふれるものでもない。

時間を埋めるものでもない。

生活を塗ってきた…とは、詩を書くことを選んで、力いっぱい続けてきたこと。

自らの意思と自分の色で染めてきた晶子の詩だから、

どの年代の女性にも、いいえ、性別や年代なんて軽く飛び越えて

時代を超えて愛されるのでしょう。


抱えきれないくらいの詩と愛する人と子供たちを

すべてパワフルに抱きしめて生きた与謝野晶子は、

とっても人間くさくて、タフでかっこいい!


自分にはとてもできない生き方だからこそ、憧れます!!


奥山れもんのフレッシュタイム!-2011081917020000.jpg

今、日本人に一番読まれている詩人と言えば、

金子みすゞかもしれない。

3・11以降公共広告のCMで、金子みすゞの
【こだま】が有名になった。

他にも有名な
【私と小鳥と鈴と】では、皆違ってみんないいのフレーズが耳に心地いい。


私が好きなのは【露】と言う詩。

うろ覚えだけど。

…内緒にしておきましょう。今朝、お庭のお花が泣いているのを、見つけたから…

こんな内容の詩だ。
朝露を涙に見立てるのがかわいらしい。


作品では、少女のような純粋な感性が目立つ。


作品からだと、幼い子供の純粋さ、あどけなさ、理想主義的な心を密封したまま、大人になったような女性像が浮かぶ。


良く言えば純粋、意地悪な見方をすると、夢見がちで苦労知らずな人なんじゃないかとすら思った。


しかし、真実は大抵自分の予想を裏切る。


みすゞは一人の女性として、苦渋も挫折も全部味わった人なのだ。


みすゞは26歳の若さでこの世を去る。自殺だった。



私はこの事実を知った時、驚いた。
少しショックでもあった。

みすゞはいわゆるエリートだ。

大正末期から昭和初期を生きたみすゞ。

あの時代に女学校を卒業し、童謡詩人として活躍するのは稀少だし、チャンスも才能もあったのだと思う。

20歳で結婚した夫との間に娘をもうけた。


夫の放蕩癖から夫婦仲が上手くいかず、離婚をした。

相当勇気も覚悟もなければ出来ないと思うが、
当時は女性が親権を持つことが許されなかった。


遺書には娘を自分の実家で育てるようにと、残したらしい。


娘が3歳の時だった。

自分の才能を生かした仕事、そして愛する娘がいたのに、私とほぼ同い年で自殺。


その女性が編んだ詩が、【こだま】などだ。



みすゞ の詩が今も多くの人の心に響くのは、彼女が普通の女性だったからだと思う。


普通の人と同じように、努力し、裏切られ、挫折し、その中でも柔らかい感性や優しさをなくさなかったから。


必死に運命に抗う強さも、娘を守ろうとする優しさも、彼女の詩にはちりばめられている。


だから、朝露が涙に見えて、それを内緒にするのだろう。


…そして、みすゞの話には続きがある。


みすゞ の娘は現在84歳。

物心ついた時には母がおらず、自分は捨てられたと思ったそうだ。


さらにみすゞの詩は、死後数十年行方不明だった。

みすゞ の詩に魅せられた人たちが必死に探して、空白の時を埋めて、世間に出て来たのだ。


母の詩を詠んで、やっと、自分が愛されていたことが分かったと言っていた。


それまでは、自分の存在に自信が持てずに悩んだと言う。自分は母に捨てられたから、家族も持ちたくないとさえ思ったそうだ。


家族でも、友人でも、恋人でも、すれ違いや間違いは起きる。


取り返しがつかなくても、時間がかかっても、


わだかまりが溶けたら、
人間は強くなれるのだろう。


母と娘の絆を感じたら、
みすゞ の詩が一層好きになった。


たくさん間違えて、失敗して、挫折していい。
それがあなたの財産だから…。

そう言ってくれているようにさえ感じる。