ありがとう。 | Joe Chankの空に。

Joe Chankの空に。

気の趣くままに、、、

今日はいつもとテイストを変えて、真面目な内容にします。

「小笠原、急にどうした!?」

と思う人もいるかと思いますが。

27歳の誕生日を迎えたら公表しようと思ってたんです。



4月16日に誕生日を迎え、27歳になりました。

今の僕を支えてくれているみなさんに感謝します。

たくさんの応援メッセージに、まだサッカーを続けさせて貰えているんだと実感することができました。

感謝の気持ちとかって、一緒にいたら言葉にするの難しかったりするんです。

「あーもっと言えるだろ!」

って思うけどなかなか難しいんです。

だから、このブログの中だけでも素直に何でも言っていこうと思っています。







さて、まずこの記事に目を通してください。


http://topics.smt.docomo.ne.jp/article/numberweb/sports/numberweb-822894?fm=topics


あっ、見れない場合はコピーして検索してください。











昨夏、突如長崎のサポーターのみなさんの前で、退団するということを報告しました。

今だから言えますが、寂しいのも含め、不安な将来込みの涙だったんです。

この記事に書かれているBが、僕です。

僕は「チームが決まったから、長崎との契約を解除してほしい」と代理人に言われ、

長崎との契約を解除することになりました。

新しいチームでの収入等も含め、確認した上での話でした。

ただ、全てがウソでした。

まず、無資格で代理人をしている事を報告されていないし、

Jリーグで活躍している選手の名前を出して、一緒に仕事をしていると。

それから話すことはウソで固められたものばかりでした。



結局チームに加入することは出来ず、不当に解除に追い込まれ、

7月からの7ヶ月間の収入を失いました。

当時、嫁のお腹には8ヶ月の息子がいました。


日本でチームを探すのもすでに遅く、8月からタイに渡りました。

Ayutthaya FCで練習生として受け入れてもらい、3ヶ月間毎日練習だけに没頭しました。

この記事に書かれているAは松本山雅に所属していた小松憲太くんです。


僕は彼との出会いが唯一の救いでした。

憲太くんには、カラダの使い方、体幹、姿勢など色々な事を教えてもらい、

目標の無いゴールに向かって、毎朝毎朝走って走って追い込みました。

おかげで、日本でできなかった、本当のなりたい自分に近づくことが出来ました。

憲太くんとはお互いの夢の話、サッカーの話、愚痴など話が尽きるほど話して毎日過ごしていました。

あーこの話前聞いたなーとか、この話前にも言ったなーとかそんな事ばかりでしたけど。笑





正直なところ、家族を日本に残して、お金は減るばかり、底なんてとっくに尽きてました。

9月24日、息子が産まれました。

嫁の出産にも立ち会えない。お金は減るばかり。

不安な毎日だったはずなのに、嫁は弱音も言わずに支えてくれていました。

離れていても出来る限りのサポートをしてくれました。

僕の両親や、嫁の両親も含めて。

終わりかけた僕のサッカー人生を必死になって繋いでくれたんです。




Ayutthaya FCでの活動を終え、

トライアルの時期を迎えました。

今年のトライアルは本当に難しかったんです。

Jリーグからもたくさん選手が来ていました。

僕と一緒に回ってた選手は、満足にトライアルに参加出来ずに帰国しました。

12月の頭から来て、1月の末まで、どこにも行けず、ホテルでモヤモヤしていた選手もいました。

僕も新しい代理人を通して今のNakhonpathom Unitedに来ましたが、

そこはトライアルでも何でも無く

ただ、ダラダラとボールを蹴って練習してるだけだったんです。

ここ以外に行く宛も無く、毎日浮きながらも必死にアピールしました。

走りの練習では周りの目を気にせずぶっちぎり、紅白戦をしたら毎試合点を決めました。

元アーセナルとかイランU-23のキャプテンとか後々いっぱい来たけど、意識して削りにいったり契約を取るために必死でした。

年明けに契約の話しをした時は、本当に全てが報われた思いでした。

後で韓国人のカカに聞いたら、トライアルで選手を取る気がなかったようです。

僕と一緒にNakhonpathomに行った選手は、練習の状況を見て、違うチームに行くことにしたら、それから1月の間、ずっとホテルにいるだけでした。

そんなギリギリのとこにしがみついて契約することができました。

もう後が無いと自分なりの覚悟を持っていたからだと思います。



今、タイのトライアルはそんな状況です。

海外からの新規で契約が取れるのは奇跡なんです。

あーこれがみんなが言う運次第ってことなんだなーと痛感しました。

実力があっても、トライアルに参加出来なかったらプレー見せれないんです。

日本人監督との繋がりやコネ無しに、今季契約出来たの僕だけかなー?っていうくらいの奇跡なんです。

これは自分の中でも誇れるところ。




小松憲太くんは残念ながら引退することになりましたが、

松本山雅の育成部に入って仕事をしています。

同じ境遇で苦しみ、毎日支えあった同士として心から応援しています。

絶対良い指導者になれると思います。

僕が一番最初の生徒でした。




今回の事でたくさんの事を学びました。

社会のことや、法律に関しても。

世の中には人を騙す人やお金に汚い人もいるし、親身になって助けてくれようとしてくれる人、

離れていく人もいた。

僕たちの事を笑う人もいたでしょう。

まあ今となっては

「アユタヤ事件の小笠原です」と自己紹介しただけで有名人なんです。笑






チャレンジして未来に進もうとして乗り越えたこの経験は僕や家族だけのもの。

はっきり言って失敗だったかもしれない。

ただ後悔はしてません。

何もしない人生よりチャレンジした今回の経験は大きな財産だと思う。

10年後、20年後も僕は語る事が出来る。

僕はこのチャレンジに賭けて未来に進んでいく。



本当に申し訳ないですが

今は、サッカーを辞める勇気がなかった僕を助けてくれた

家族のためだけに

サッカーを続けています。




奇跡のような話し、11月に帰国して、またタイでトライアルに行く直前に、

息子が初めて笑ってくれたんです。

「ごめんね、ごめんね」

って言って抱きしめたあの時の気持ち、忘れたらいかんと思うんです。



結婚する前から

「サッカーで海外に住みたいね」
「子供と一緒に入場したいね」

って色んな夢の話しをしてきました。

他にも色々あるけど、少しずつ少しずつ現実になっていく今。

どんどん新しい夢を叶えていきたい。






覚悟を持って闘う。

って何十回も何百回も記者に口先だけで答えていたと思うんです。

覚悟の意味も知らなかったから。

でも今なら覚悟というものがすごく理解出来る。








さあ覚悟を持って闘います、家族のために。