よじ日記
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彼女が のこしてくれたもの。

あれから20日…

昨日 彼女が旅立っていきました。

彼女がわたしの病棟にいた20日間は、
最期のいのちの灯を燃やすように、
毎日朝から晩まで(心配になるくらい)ハードなスケジュールを立てて
お世話になった人たち、
仲良くしてくれた仲間たち全員と面会し
最期の挨拶をしていたようです。

ほんとに病気だよね?ほんとに苦しくないの?と疑いたくなるくらい
笑顔いっぱいの時間を過ごすことができていました。

神様が、
彼女を苦しみから解放し、与えてくれた20日間だったように思います。

私は
彼女と同級生でもあり、病棟スタッフ。

毎日大勢やってくる面会者を案内しつつ、
自分はゆっくり語り合う時間がとれず、
勤務終わりにちらっと顔をみせて帰るだけ…

しかし、この距離感を崩してはいけないと
心に誓って
ケアは仲間たちに任せました。

最期のときは、
ちょうど私は連休中で…
あらかじめお願いしていたので、病棟の仲間たちが病状についてちょこちょこ連絡をくれましたが、
いままで、家族にも甘えず、自分のことよりも人のために…の彼女が、
最期に家族と過ごす時間を大切にしようと、
彼女の笑顔を記憶にのこしておこうと、
あえて会いにいくことはやめました。

私が休み前に、挨拶にいったときは
少し具合が悪くて寂しげに、
『お疲れ様、ゆっくり休んでね』と微笑んでくれました。
みんなはまだ大丈夫だよ、と言ってくれましたが…
私はこれが最期だな、と覚悟をきめていました。

それは、
20年以上前から同じ道を志してきた
仲間としての直感というか。
そして、それは的中しました。

職場の皆さんの配慮で、
わたしが今後も働き続けるためのグリーフケアとして、
お見送り前に会わせてあげたほうがいいだろうと、帰宅前に特別に時間を設けてくれました。
一報をうけ、病棟に駆けつけました。

ご家族と
学生時代からの彼女のこと、
仕事を頑張っていた彼女のこと、
彼女の人柄などなど、
ゆっくり語り合い…

彼女が入院してから
はじめて
彼女と(友人の立場で)しっかり向き合って
『ありがとう』『おつかれさま』と、
伝えることができました。

彼女が入院中によく、
知らず知らずのうちに、こんなにたくさんの人たちと繋がっていたことにびっくりだよ、
ありがたいよ、と言っていましたが…
そうなったのは、彼女が優しく気遣いの人だから。

彼女のぶんまで、
生かされている意味を考えながら、
看護の道に携われるありがたさを感じながら、
人に優しく生きていかねばと思ったのでした。

おつかれさま。
ゆっくり休んでね。






成長のとき。

すごく久々に更新。
吐き出さずにいられない思いをここで。

昨日は朝から仕事しながら涙が止まらなくて、気をぬくとじわ〜っと溢れてきて
ダメダメな一日でした。

この仕事をしていて
一番苦しいときが来てしまいました。

看護学生時代からの同級生が
入院してきました。

何も知らないスタッフは、
私を受け持ちにしようとしていましたが、
出勤して、友人だということがわかって
さすがにそれは厳しいよね、ということで
調整してもらいました。

普通の病棟なら笑って会えるのかもしれないけど、昨日は彼女を迎えて再会した途端に二人で泣きました。

びっくりさせてごめんね。
最期までここにお世話になるね。と、彼女。

学生時代はすごく仲がいいわけではなかったけれど
数少ない同じ職場で働く同級生で、
会うたびに近況報告して、励まし合い
間違いなく私の支えになってくれていた彼女。
まさか、こんなことになっているとは。
夏前は元気だったのに。

私が彼女にできることは、
辛さをとってあげること。

同じ仕事をしながらも
傍でお世話ができない仲間たちのぶんも、
私が頑張らないといけない。

でも、やっぱりキツイ。

私は看護師であって、看護師でない、
微妙な距離感で
一緒に泣いて 笑って
残された時間を過ごしたい。

職場のみんなが私の精神面を心配してくれるので、
心配かけないようにすればするほど
大丈夫なふりをすればするほど
涙が止まらないし

心を強くする試練のときかもしれません。







”これからの人生で、今日が一番若い!”

質問されている方と、今の自分が当てはまりすぎて…びっくりしました。
そして麻耶さんのほんわかした言葉に、
気持ちが少し楽になりました。
ありがとうございます。

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