第912話 2019.9.13

 

           司馬遼太郎が絶賛した福井の寿司屋

 

 1981年、作家・司馬遼太郎が週刊朝日に連載していた「街道をゆく」で、福井の寿司吉田というお店が取り上げられている。

 

 取材のため福井のホテルに宿泊した司馬が、挿絵画家、編集者と共に汚いかっこうでぶらりとこの店に立ち寄った。

  その宴席で、店のおかみさんは、高名な作家ご一行様とは露知らず長々と世間話を語った、という場面である。

 

   【引用開始】

 その夜は、町に出て、すしを食った。

 当初、どの店へゆくべきかめあてがなかったために、ホテルのフロントに教えてもらった。

   〈中略〉

 すしはとびきりうまかった。

 大よろこびで食っているうちに、酔ったふりの上手そうな五十年配のおかみさんが、勢いよく飛びこんできて、たちまち酔しゃべりに一代記を語りはじめた。

 「うまれも育ちも」

といって彼女は須田画伯や山崎氏(取材同行者)の出身県とおなじ県名をあげた。同県人がその県から遠い福井の町で三人そろうということは、めでたいことだった。

   〈中略〉

 ……(おかみさんは)やがて、丸めた紙屑でもポンと投げるようなさりげなさで、

 「うちのすしは高いんだよ」

と、関東なまりの越前弁でいった。

   〈中略〉

 彼女は素性の知れぬ一団を三階へあげたものの、果たして払いは大丈夫なのかどうか、ともかく鑑定すべくあがってきたのかもしれなかった。

   〈中略〉

 結局、私どもは寄席から出てきたような気分のよさで、路上にもどった。しかも、みごとなすしだった。

 さらにいうと、勘定は信じがたいほどに安かった。材料なども、地元の魚だけでなく他のものも多かったから、その値でひきあうのだろうかとかえって不安だった。

   〈中略〉

しかし、うまいすしを食った上に、いいおかみさんにめぐりあえて、福井市での夜は、まことに良夜というべきものであった。

   【引用終了】 

       『街道をゆく 18 越前の諸道』 朝日新聞社 P199~

 

 このような出来事から、このような言葉を紡げるのが「大人」というものなのだろう、と私は思う。

 

 ところで、実は、この話にはさらに裏話がある。今のおかみさんから直接聞いた話である。

 

 最初、店の人たちは一見客の正体がわからなかったのだが、途中で、店の者の一人がかの有名な国民作家のご一行様であることに気づいた。そしておかみさんは、そのことをわきまえた上で座敷に入っていき、何食わぬ顔で上述の接客をし、店員一同、最後まで知らぬ顔を通したとのことだ。実に痛快で小気味の良い話ではないか。

 

 この洒脱なエッセーをものした司馬遼太郎も見事だが、福井の女性はさらに一枚上手を行っていた。福井県民が誇りとすべき逸話である。

 

 それにしても、それにしても……

 最近では、このような「大人」がめっきり減ってきたように思えてならない。

 そのうちにわが国では、包容力、胆力、ユーモアといった美徳を兼ね備えた「大人」というものが「絶滅危惧種」となるのではないかと危惧している。