他人にとっちゃ大迷惑かもだけど、私の人生は上々だ

他人にとっちゃ大迷惑かもだけど、私の人生は上々だ

さすらいもしないで、このまま死にませんわよっ

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一般的な「丁寧に生きる」って言われてる事に関する感覚のズレ。
コレは昔ロハスだかって言葉が流行った時も思った事。

例えば
・野菜は殆どゴミ箱に直行しない
・お菓子を自作
・旅先からエアメールを書く
とかなんとかその他色々。

そんな何かに取り憑かれて高い意識なんて全くない。

幼少時、我が家はそれはそれは貧乏だった。
昭和50年代に母親が栄養失調になり「何か栄養ある物を食べなさい」と私と母の掛かりつけのお医者さんから診療費を取って貰えなかった程。
殆ど無い中で何とかする。それが当たり前だった。
「勿体無いから利用✨」「ゴミを減らして地球に優しく♥️」なんかじゃない、それを何とか利用しないとお腹が膨れなかったから。

アレルギーのデパートみたいだった私の体質改善をお金を出来る限り掛けずに頑張ってくれた母親。勿論、娘の将来の事もあったけど、医療費だって、ね。
当然、化学調味料満載なお菓子やらインスタント物は口にさせて貰えないし、無添加物だって買うお金がそうそうあるわけでもない。∴自分で作る事を覚えた。
今はかなり克服出来てるけど、油断すると湿疹の嵐になるから、そういうのの調整も兼ねるとおやつは自作率が残る。体調調整でお弁当に切り替えて持って行くのも同じ事。

PC本格的に触るようになって、生活の一部になったのは日本を出てからで、日本語環境の乏しいPCだった。幸い、当時仲良かった日本人の殆どが似たような環境だったからローマ字+英語のチャンポンメールが主流だったし。携帯電話にメール機能が載る前に帰国したら、世間は携帯メール主流だった。
今でもどうもメールの返信は苦手でプライベート用は溜めがち。だから、
旅先から絵葉書に軽く近況を気分次第で書いて送る。文字の状態だけでも察してくれる友がいるのは本当にありがたい私の宝だと思う。

どうして、人は他人の本のちょっと見える生き方を見て、そこに名称を付けたりカテゴライズしたがるんだろう。

丁寧に生きたいと思ってる。
それは、やるべき事、やりたい事を片付けて行く事。↑みたいな日常の習慣なんかじゃない。
勝手に勘違いして「丁寧に生きてるお手本です」とか言われても全然嬉しくない。

と、昼間の会話を思い出しつつ「今夏もお世話になります、赤城さん!」と博多の本格的夏の開幕、山笠の追い山開始を待ちながらアイスを頂いてます。
美味しかー!


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かき揚げが微妙になってから、すっかり足が向かなくなったウエストさんでお夕飯。

近所のダメ屋さんが休みだったので。

おろしぶっかけ蕎麦だったら、そこそこ美味しい。

お腹も超空いてたので、蕎麦玉も2.5玉で。

コレで590円なら満足。

今年の夏はウエストに帰ってこれるかな?


場所: ウエスト 早良店
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本日のランチ。

ランパス使って、ごりあんさんで。

おろしぶっかけ&唐揚げ丼。

美味しかった♪


場所: うどんや ごりあん