何回も書いてるな、このことは。ハッキリ言って焼き直しかもしれん。だが、夏休み最後のこの時期にどうしても書いて啓発しなければならない。「ダメ、ゼッタイ」

小学校低学年の頃。純粋なfqtという少年がいた。もうその時既に敬語というものを完璧にマスターしていた俺は、真面目だと思われていた。実際に、入学前に決めていたのだ。学校では真面目にしようと。今みたいな反社会的な性格もなく、素直で純粋だった。

入学当初は良かったものの、1年の終わりごろになって友達の様子がおかしく感じられた。最初は、ただ機嫌が悪いだけだろと思っていたが、次第に彼の意地悪はエスカレートしていく。シカト、仲間はずれ、悪口・・・こんなのは軽い方だ。暴行も受けるようになり、何が何だかわからなくなっていった。俺は昔は「仕返し」などしなかった。真面目な性格が災いしたのだ。どんなことがあってもやり返してはいけない、そう胸に誓っていたのだ。

いじめだと気付いた時には、既に遅かった。クラス全体までその波が波及していたのだ。あからさまなシカトはなかったものの、何か冷たい目で見られていような気がした。次第に俺は居場所をなくした。

実行犯は2人。一緒にやっていたわけではない。別々だ。だから、1人はもう1人もいじめていることも知らないし、逆も同じだ。つまり、自分だけがやってると、お互いに思い込んでいるのだ。悪いが、この記事ではどっちがやったとかは書かない。記憶が曖昧ということもあるが、どっちにしろいじめをやっていたという点は同じだからである。

クラスで俺の話を全く聞かれないこともあった。平和に歩いていたら、いきなり傘で突き飛ばされて転び、全治2週間の傷を負ったこともあった。1番悲惨なのは、アレだ。小学生が持つ「横断バック」。あの黄色いカバンですよ。俺のがトイレに流されたことだ。体操着とか私物が結構入っていた。丸ごと流されたのだ。正直なところ、この犯人はまだわかっていない。ただ、2人のどちらかだということは事実だ。

よくあるだろう、子供がいじめを受けていることを聞いて、親は学校へ電話したり加害者の家に怒鳴りに行ったり。あんなのは俺にとっては夢のような話だ。俺の親?何もしなかったさ。ただ、「祈りなさい」と言うだけで。何もしてくれないから、俺は自分で解決するしかなかった。といっても、仕返しはしない。仕返しをするのは、自殺行為だと思ったからだ。今だから言おう。俺が解決策として何をしたか。丈夫そうなハンガーとビニールひもを用意した。それを部屋のカーテンレールの横の金具の所に引っ掛けた。ひもはハンガーに縛って首が入るようにした。松岡大臣と似た感じだ。つまり、自殺。これを選ぶしか方法はなかった。

いじめ自殺の事件が起きた時に、世間の人は「自殺する前に身近な人に相談しなさい」だとか「自殺するくらいなら学校に行かなければ良い」というが、それは無茶な論理である、当事者にとっては。人間は、極限状態に追い込まれたら、死を選択する方がラクなのだ。これは体験した人にしかわからない。「いじめが多いので、学校にカウンセラーを置きましょう」とか、実にバカげている。カウンセラーに相談できるような奴は、そもそもいじめにあわない。相談できない、または相談してもまともに取り合ってくれないから、いじめをくいとめることはできないのである。

で、俺は自殺した。だが、苦しいだけで死ぬことはできない。さすがに限界で、その日はやめることにした。ただ、いつでも実行できるように、器具はそのままにしておいた。ちなみに、学校はインフルエンザや風邪以外は、休まずに行った。「負けてたまるか」と思ったものである。

どうやって解決したか?俺も定かには覚えていない。被害の方は覚えていても、解決方法はすっかり記憶から消えている。でも、確か、横断バック事件の2,3ヶ月後に当時教師になったばかりだった担任が、いじめがあるということを認識し、加害者を俺の家に行かせて親と共に謝らせたような気がする。その時、フツーなら怒鳴るだろう。今までさんざんやられてきたんだから。でも、俺は笑顔で応対した。後の復讐の計画を悟られないように。ちなみに、それは1人だけで、もう1人は千葉へ帰ってしまった。後の話だが、千葉県警に逮捕されたと聞いている。窃盗か何かで。まぁ、そいつのことはいいだろう。

3年からはクラスが離れたので、いじめはなくなった。だが、俺の憎しみが消えるはずもなく、計画を心の中で暖めていた。と同時に、今度はいじめにあわないための対策を立てなくてはならない。せっかくの体験をムダにしたくない。そこで、考え付いた。俺は、弱弱しく見えたんだろう。だから、ダメなんだ。虚勢でもいいから、強いところを見せなくてはならないと思い、えらそうな態度でふるまうようになった。今でも、「偉そう」だとか「態度デカイ」とか言われるけど、全てはいじめ対策だ。あと、もう1つ。fqtをいじめたら、やっかいなことになると思わせること。喧嘩の際には、わざと騒ぎを大きくした。仕返しもその場でしない。手を汚さないのがポイントだ。詳細はさすがに言えないが、手を汚さずに仕返しした。心の中に不敵な笑みを浮かべて。

6年になって、奴が秀英に入ってきた。俺は、5年(4年の3月)からいたため、既に城を築いていた。そこに奴が入ってくるというのでチャンスだ。手を汚さずに仕返しをしましたよ。表面ではいい人を装っておきながら(笑)で、彼は9ヶ月でやめて、別の校舎に移った。

でも、それだけが仕返しではない。俺が味わった苦しみを一生に渡って味わって頂かなくては困る。それで、彼の批判をネットの世界で書き続けている。名前を出す時と出さない時とあるが、とにかく書く。でも、復讐のためだけではない。俺が、こうやっていじめの被害を書くことで、世の中のいじめが減って、そしていじめにあってる人を勇気付けることができればな、と思っている。

本当なら死んで頂かなくては困る。俺を苦しませた人間は、この世から去らなければならない。でも、いいさ。どうせ大した人間にならないだろうし(笑)俺を苦しめる人間が、幸せになるわけがない。これは、傲慢でも冗談でもない。事実だ。他の奴を見てみろ。俺に屈辱を与えた奴ら、全てどこかで苦しんでいるだろう。中学時代に1人、静高でも1人。今のところの被害者はな。でも、まだまだ出てくる。間違いない。だから、いつも言ってるんだ。俺に手を出すとロクなことがない。これが、俺があの後からいじめにあわない理由でもある。抑止力になってるんだな。

俺は抜け出したからいいけど、世の中にはまだまだいじめの被害を受けてる人間はたくさんいる。これだけは言っておく。「いじめられる人間に、過失はあっても原因はない!」確かに、いじめられる人間ってのは、ほとんどきっかけを作り出す。俺だって、昔から変な人だから、それがきっかけになったかもわからない。だがな、きっかけがあっても、いじめをしていいわけがない。どんな理由があっても、いじめはいけない。よく、「からかい」と「いじめ」が混同されがちだから、ここで定義を示しておく。からかわれた人間も一緒に笑っているなら、それは「からかい」でありいじめではない。しかし、笑っていなかったり、嫌がっていたりしたら、それは完全な「いじめ」だ。セクハラと一緒でそれらは被害者が決めるもの。たかがいじめ、されどいじめ。いじめは単なる痴話喧嘩ではない。法律にも関わってくる。横断バック事件は「器物損壊罪」。傘事件は「傷害罪」。いじめは犯罪だ。それを認識しない限り、永久になくならない。

もう道徳的に「いじめはいけません」と言っても無理。刑罰を重くして、きちんと取り締まった方がいい。悲しいけど、そうでもしないと被害者は泣き寝入りすることになる。日本は加害者に甘すぎる。子供だろうが何だろうが、どんどん裁判を起こすといい。ちゃんと事件を立証できれば勝てます。法治国家ならそれらしくやるべき。加害者は一生罪を償え!

そして被害者の方々。いじめを防ぐことはできます。もちろん、いじめはいけないことだけど、他人の助けなんて正直アテになりません。所詮、他人です。自分の痛みが他人にわかるわけがありません。自分で解決しましょう。きっとできます。俺は解決することはできないけど、味方になることはできます。ぜひ、相談して下さい。まずは、fqtのやり方をマネして下さい。俺はこれで成功して、今は幸せな生活を送っています。いじめで泣いている時間はありません。時間の無駄です。身近な人に相談?時間の無駄です。その人が、いじめ被害体験者ならともかく、素人には無理です。ぜひ、俺に相談して下さい。解決方法を一緒に考えましょう。俺はあなたの味方です。

とにかく、俺はいじめ撲滅運動を続けていく。

理不尽ないじめは俺が許さない!!

確実に、いじめによって俺の人生は変わった。結果的に良かったとまでは言わないが、少なくとも損した分は取り返した。これからも、1人でも多くの人生を変えるために俺は闘い続ける・・・