これは中1の時の話。デカイといえばデカイ。でも、自慢だとか横柄だとか思わないでくれよ。数字よりもこれは事件(?)が中心の話やから。数字はあくまでも説明に過ぎない。それを踏まえて、読んでくれたまへ。

学校では、笑顔1つ浮かべず真面目一本槍の青年が、夜は南幹線を暴走する。夜のゲームショップに入り。カーテン付近を行ったり来たり。5人くらいでラブホの下に構え、自前の盗聴器で電話越しに聞こえる女性の声を盗聴。そんな生活を送っていた。といっても、秀英の帰りの時間を利用しただけだが。当時は、今静高で一緒になってるTクラスのメンバーよりも、Hクラスの連中とつるんでいた。仲間の中には、万引きのプロもいた。彼の手法には、俺も一目置いている。一度に10冊もパクって来るのだ。まぁ、俺は万引き幇助には関わってないから、詳しくは知らんけどな。そんな仲間と夜の住宅街で遊んでいた。

不思議と成績は下がらなかった。いや、秀英じゃあの時がピークだったかもしれない。とにかく、毎回のように図書券がもらえるのだ。別にガツガツやったわけじゃない。前述のように、遊んでたんだから。でも、不思議と成績は良かった。1ケタの順位を取ることもあった。真っ直ぐな学生時代。もちろん、秀英にも好きな子がいた。「にも」ってオカシイな。その頃はあいつだけだから。

前述の遊びの中に、女の子との長時間の会話も入れておこうか。遊びに行かない時は、必ず秀英に居座って数人の子とずっと話していたのだ。楽しかった。でも、俺は純粋だった。何もできやしない。実は、アドレスすら聞いていない。携帯は持ってた。っていうか、俺は小2の頃から携帯は持ってた。で、機体を全部とってあるから、俺の引き出しを見れば「携帯電話の歴史」がわかる(笑)J-PHONE時代からだからな。この前解約したけど、ざっと8年半は使ったかな?でも、女の子のアドレスは聞けなかった。その頃は若いから(笑)

そんな生活を送っていたある日のこと。俺は、室長に呼び出された。「なんや、また怒られるんか~」思いながら、事務室へ行った。そこで、「東大コース」のパンフを渡された。「なんスか、コレ?」スカウトだった。来年から東大コースが創設されるので、統一テスト上位者には声を掛けているらしい。俺の校舎では、5人声掛けられた。だから、行くかどうか他の4人に聞いてみた。2人は拒否、2人は興味を示した。とりあえず、説明会だけは皆で行くことに。

結局、同じ校舎で試験を受けたのは俺を含めて3人。でも、他の校舎(特に附属)はやる気があるらしく、試験を受けたのは約50人。で、一次を突破したのは8人。俺も入ってた。その頃はできたのだ。同じ校舎ではもう1人受かった。入塾の時からの友人だ。彼は後に清水東の理数科に前期で受かるという、驚異的な事業を成し遂げるのだが。そいつは、俺より早く面接試験を受けたため感想を聞いた。何か「本当にやる気があるのか」的なことを言われたらしい。それは、説明会の時に予告されていた。だから、俺も覚悟して臨んだ。

そして、面接試験。覚悟した。しかし、1分後、拍子抜けした。「来てください」は?なんで?理由はこうだった。成績面ではクリアしていた。英語が満点、数学が48点。最近の統一テストも上々。トータルポイントをつけるなら、受験者の中で1位だという。さすがにこれは、リップサービスだと思うのだが。でも、成績はどうでもいいらしい。性格がポイントらしい。

実は、東大コースの担当者は、ウチの室長と大の仲良し。その頃から変人だった俺は、酒の席でよく話題に出たらしい。で、話だけで気に入ったと。何か?気性の荒い所としょうもないギャグを言うことらしい。(何がしょうもないギャグや!)俺は、ハッキリ言ってすぐ怒る。親譲りだ。でも、それがいいと言う。悔しかったら悔しがればいい。暴れ回ればいい。そうすれば、後の飛躍につながると。担当者はそう言った。ギャグの方は、これはスゴイ論理だ。ギャグを言う→周りのことにすぐ反応する→敏感→頭の回転が速い。彼はこう言った。はぁ・・・もうこの時は行くことは決めていた。

で、自分の校舎に帰って、仲間に相談したんや。俺は行くべきかって。98%止めた。「お前が行くとつまらなくなる」って。室長以外の先生も内緒だということを条件に止めた。で、最後の最後に好きだった子(B)に聞いた。いきなり聞くのは無理なので、笑い話のついでに、冗談半分に聞いてみた。すると、Bは表情が急に変わり、小さな声でこんなようなことを言った。「行けばいいじゃない。それでアンタがビックになるんだったら。それから帰ってきなよ」俺がしゃべろうとした途端、帰ってしまった。俺の脚で追いつくわけがない。でも、Bの目は笑っていなかったことは確認した。

あいつの顔を見た瞬間、もう答えは出た。俺は最後までこの校舎の仲間と共に闘い続けるぜ!って。そして、室長に断りを入れた。だが、これも一筋縄ではいかなかった。京大卒なので、難関大に進むことの良さを知っている。だから、何度も何度も俺を説得してくれた。皆が行きたくても行けないのに、断るとは何事だ!的なことも言われた。でも、俺の気持ちは変わらなかった。

交渉が成立した時、室長は教えてくれた。さすがに受かってから辞退したのは、他の東大コース開設校舎を含めても俺だけだって。ほっと安堵の表情を浮かべて、俺はBに報告した。すると、Bは笑顔で吹奏楽のチケットをくれた。Bはまだ気づいてないらしかった。いや、俺が何としてでも気付かせることを阻止したのかもしれない。その前に、秀英を辞めたBの友達のことが好きだったので、まだBはそれを信じきっていた。その噂は校舎中に広まってたしね。今思えば、軽い男やな~とつくづく思うのだが(笑)

まぁ、それはどっちでもいい。俺は、オレンジの上着に黒のサングラスにマスクに野球帽。不審者か!(笑) そんな格好でAOIへ行った。さすがに周りの人には変な目で見られたが、いいだろう。そんなわけで、2人に逢いに行った。

その後、どうなったかって?ドラマとかだと、この後付き合ったりとかいい展開になるんだよね。でも、1年後にちょっとしたトラブルを起こして、口を聞かなくなってしまった。それに俺の内気な性格が災いして、話しかけることすらできない。実を言うと、会話をする時は、Bの方から話しかけてもらっていたのだ。情けない男です・・・1年の仮装の時にBが静高に来て少し会話したが、もうそれっきり。いいさ。fqt伝説の1ページに刻ませてもらうよ。

東大コースはね、行った方が良かったかもしれない。今考えればな。でも、後悔はしていない。だって、あの時の俺が絶対に正しいと確信して選んだ道だから。それを否定するのは、当時の俺に失礼だよ。いい思い出をもらっただけで十分。それにもし、成績がずっと高いままだったら、第2弾での話も17でのfqtも存在しなかっただろうし。いや、このブログ自体がなかったかもしれない。だから、いいいんだよ、これで。

もしBと付き合ってたら?ありえない、ありえない(笑)いくらなんでも、身長が違い過ぎる。あの当時で、俺より15cmは高かったからね。今会ったら、馬場さんだよ、ジャイアント馬場(笑)それに、恋は1人でするもの。愛は2人で作るもの。恋は敗れないと新しい恋に進めないじゃんか。だから、あれで正解。神は俺に試練を与えている。というより、アレだ。1人の男として生きるより、日本を改革する救世主として生きるように神は俺を導いたんだな。でも、確かにあの冬の出来事は、俺の「人生を変えた瞬間」でした。