ハシント・オルファネール | 答他伊奈(とうたいな)の小説庫

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ハシント・オルファネール

(一五七八年から一六二一年?)

スペイン生まれ


ラ・ハナ聖バルトロメ教会で洗礼を受けています。

サラマンカ大学。

一五九四年 誓願宣立。

一六〇一年 スペインを出発。

一六〇二年 長崎に着きます。


一〇六一年 徳川家康死亡。


マニラの上長から日本の布教状況を記録に残せ

という命令を受けたモラーレスとメーナが捕縛され

オルファーネルに任務が回ってきました。

マニラから日本へ戻ったオルファーネルは山の洞

穴を転々とし記録します。

一六二一年 「ヒストリア」を書き上げた直後に捕縛

され鈴田牢に入れられます。

十畳ほどの広さに三十一名が入れられていたそうです。

他の修道会の司祭が入れられていたのです。

どうやって原稿を牢の外へ出したかは不明です。

本になっているのですから協力者がいたのですよね。


織田信長までは興味があり調べたのですが、それ以降

は調べていません。

「文学界」にスペインに行った人の文が載っており、その

人が宣教師の故郷を訪ねたものでした。


わたしはオルガンディーノ宣教師に興味があります。

着物を好んできていた人です。


一六二〇年代には日本人のキリスト教徒は三十万はい

たそうです。そして宣教師とともに死ぬことを選んだ人が

多くいたのです。

当時の日本人が神父に会いに教会に行くわけは

海を渡りやってきた神父の視野の広さ、神父という立場

から出される揺るぎない言葉にひかれて足を運んだよう

です。

当時の日本は戦乱、疫病、飢餓、高利、重税と農民は

苦しめられて救いを求めていたのです。

そこへ宣教師が収まったと考えていいようです。


スペインの人たちは日本人信者が殺されたことを知らな

かったとあります。誤解がとけてよかったとあります。

ウィキベディアには載っていない人物です。