ギリシャの債務再編は最終的に強制的な債務カットも組み入れつつ一応の結論が出た。
金融支援を引き出すための条件であり、無秩序なデフォルト(と言うのも変な言葉だが)を回避するために時間はかかるものの、いずれは合意に至るであろうと見られていたため大したインパクトは無い。
特に今回はわが国の投資家(他はカナダ、米国の投資家も)は債務再編の対象外とされていたことから正直なところ他人事と言って片づけたいところである。(ノルウェー輸出金融公社は直撃でしたが・・・)
しかし、そうも言っていられないのが、債務再編後の新発国債が軟調な価格で推移している点。 http://jp.reuters.com/article/foreignExchNews/idJPJT811325120120309?rpc=123
一度デフォルトした国を信用できないと言うのは已むを得ない反応なのであるし、一度デフォルトと言うカードを切った人間(国)にとっては再度のデフォルトへのハードルは確実に低くなるであろう。 その際に今回は債務削減の対象外とされた我が国投資家も対象とされる可能性は十分に高いと思われる。
これはこれで大きな問題ではあるものの、ここから年金資産も含む保有資産を大幅にカットされ、資金調達もままならないため財政支出も制限されるため公共サービスもカットされることが目に見えているギリシャ国民に比べればまだ小さい問題とも言える。
国外に流出する人、資金と国がデフォルトすると言うのはこうなってしまうのかと非常に恐ろしいものがある。
国破れて山河ありとは言うものの、国民にも生活というものがある。 哀しいことではあるが、生活出来ない国は国民から見放されてしまうものである。
このギリシャの教訓を無駄にしてはならない。
高橋是清は約75年前にこのようなことを言っている。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00811764&TYPE=HTML_FILE&POS=1
少し長いがその一部を引用する。
「昭和七年度以来毎年巨額の公債の発行にも拘らず今日までのところ幸いにその運用は理想的に行われ未だ公債に伴う実害を発生して居らぬ、却って金利の低下や景気回復に資せるところが少くない、世間の一部にはこの効果に着目し公債は何程発行しても差支えなきものであるかの如く漠然たる楽観説を抱いているものもあり又今日政府の執っている公債政策の如きは未だ不充分であってどしどし公債を増発して国家の経費を大いに膨脹せしむべしと説くものもあるようである、然し乍ら公債の過剰発行に依る財政経済の破綻に就てはヨーロッパ大戦後多数の国にその実例を存するところであって公債は何程発行しても差支えなしと論ずるが如きはこの最近の各国の高価なる経験を無視する議論である、抑々昭和七年度以来の公債政策が円滑に運行されたことについては重大なる原因がある、即ちその発行につき手段方法を改めたることもその一因と目すべきであるが公債の発行額が民間産業資金等との関係上金融機関の消化能力の範囲内に止まるを得たること及び昭和八年度以来歳入補填公債は年々幾分ずつ減少し財政に対する国民の信用の維持されたること並に通貨統制が理想的に行われ物価及び外国為替相場は安定し延いては我国近時の産業貿易の異常なる進展に資したること等を以て根本原因と見なければならぬ、今迄公債に関する政府の考え方と著しく異なる意見が世間に流布されているようである、その一例を挙げてみると国債は国民の債務なると共にその債権なるを以て国債の増発も国民全体としては『財』に増減がない故に内国債の増加も国民負担の増加にあらず何等恐るるに足らずとの論である、是は国債を通じ債権と債務が併存すると云う事実だけはその通りであるが、然るが故に国債が増加しても財政上並に国民経済上差支えないという結論が簡単に出て来るものではない」
国債に関する一部論者の異常なまでの楽観的な主張、国家のバランスシート論などを75年も前に見事に否定し、公債の過剰発行による欧州における財政破綻に学ぼう、と述べている。
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶと言う。
私自身は賢者とは言えないまでも、せめて同時代に起きた事象からは学べる愚者ではありたいと思う。
日本とギリシャは違うと言うのは正しいが、そこから何も学ばないと言うのでは余りにも情けない。