「仙人脳七つの法則」オフィシャルブログ

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この本は「脳をイキイキとさせ、人生をワクワクさせる」ために「脳を目覚めさす方法」を書いています。私たちはセルフイメージの失敗や自己否定などで心と体を傷つけています。これを読むと治ります。
アマゾンの電子書籍1册361円

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わんど

ひとは絶体絶命のピンチになった時、神に助けを求めるのではないか。
ワシはそれを全く正しいことだと思う。

神と人とはどういう関係にあるのか。
ワシたちはその根拠を各国の神話に求めることも出来るが、世界で最も読まれているのが
「旧約聖書」。これはキリスト教だけでなく、イスラム教、ユダヤ教の聖典でもある。

1章で神は天地を創造し、2章でヒトをつくられた。
神はヒトを創られるとき意図と計画をもって創られた。偶然や気まぐれで創られたのではない。

「我々にかたどり、我々に似せて、ヒトをつくろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、
地を這うものすべてを支配させよう」
そういう愛の計画があったのだが、ヒトはそのことを知らなかった。

「神は土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」とある。
今も神の命はワシたち人間の中に存在する。霊的な存在であり神とつながっているのだ。

「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助けるものを創ろう」と
パートナーを創られた。それがエバ。

彼等は神から掟を与えられた。これを犯すと罪になる。
しかし、二人は蛇にだまされて「善悪の知識の木」の実を食べてしまった。
人は最初から「あかんたれ」なのかもしれない。騙されやすいのだ。
永遠の命を与えられていたのに、死ぬ人になった。

ここまでで神と人との関係をまとめてみると
1、人は神と霊的な命でつながっている。
2、人は愛されるために生まれて来た。
3、人は物質的な存在である。だから騙されるし、欲望に振り回される。
4、罪人。これは犯罪者という意味ではなく、神に逆らうものという意味。
5、恋人や夫婦、仲間は互いに助け合う関係。

そして冒頭の「なぜ死にそうになったとき、神に助けを求めるのか」という問いには
人が神(父親)からつくられた子どもだからと言える。
ワシは親が子どものピンチを無視するはずがないと思っている。

「もうあかん」と思った時、ぜひ神に助けを求めてほしい。
無神論者なら自分の親に助けを求めると、何とかなるような気がする。
それでも駄目なら知り合いや友人に助けを求める。

人は助けを求めてもいいのだ。自分でなくとかしようと思わなくてもいい。できないのだから。
邪乱亭地車

視覚障がい者の落語会があるというので
2月22日、貝塚市の脇浜南会館まで取材に行った。
主催は西校区福祉委員会の「障がい者問題研修会」で
目の不自由な人が社会に出た時どんなことに困っているのか
健常者はどう接したらいいか、落語を通して知ろうというのだ。

主役は高座名邪乱亭地車(じゃらんてい・だんじり)さん。
市議会議員の阪口よしひろさんの司会で始まった。
阪口さんは、邪乱亭地車さんが本格的に落語に取り組んだ
4、5年前からずっとサポートしている。

邪乱亭地車さんは、15年前は見えていたが病気で視力を失った。
そこで本日のタイトルは「見える世界と見えない世界」。創作落語だ。
約30人ほどの観客の前で邪乱亭地車さんは堂々としていた。
視覚がなくなったら聴覚が優れてくると健常者はいうが、そんなことはない。
位置情報は、音も大切だが、においが重要。それに触ること、空気の流れ。
これは外と内が分かる。殺気も働く。これは前に壁があるかどうかを知る感覚。
自分の場合は見えていた頃の経験も役立つ。
目が不自由だと、就職が難しい。結婚が難しい。
目が不自由になったとき必要なのが「時計」
ボタンを押したら時刻を音声で知らせてくれるものがいい。
列車のトイレが使いにくい。
点字ブロックがないと町を歩けない。
エレベータに乗れない。上に行くか下に行くが分からないから。
スマホを見ながら歩く人とぶつかったとき、体がくるりと回り
自分がどちらを向いているのか分からなくなり、大変困った。
私たちは歩行訓練したところを歩いている。
私たちをいきなり触って助けようとしてくれる人がいるが
恐怖を感じる。
そういう時はまず「何か手伝うことがありますか」と声をかけてほしい。
そして私たちの腕をつかむのではなく、あなたの右腕をつかまえさせてほしい。
つかまえられると、拉致されのかと恐い。
そんな話を聞いた。
とても分かりやすく楽しい話だった。
行ってよかった。
恋人の聖地

おはよう。
この写真は大阪市北区にある「お初天神」じゃよ。本来は「露天神社」というのじゃが
元禄16年4月7日というから赤穂の47人の武士が討ち入りをしてから4ヶ月後、二人の若い男女がここで心中した。

それを聞いた近松門左衛門がすぐさま取材した。
男性は内本町にある醤油屋(平野屋)の手代「徳兵衛」。女性は堂島新地天満屋の遊女「お初」だった。二人は結婚を約束していたが、徳兵衛が親戚や友人にだまされて結婚できなくなったのだ。
そしてどうせ一緒になれないなら、二人で死のうとこの神社にある「天神ノ森」で心中した。

近松門左衛門はすぐさま脚本「曾根崎心中」を書き上げ人形浄瑠璃で発表した。
「人の不幸は蜜の味」とみえて大坂の人々は熱中した。
いまは「恋人の聖地」として人気らしい。

だけどワシはいいたい。死んだらあかん。
この世の中、死にたくなる時がある。ワシの弟子で心療内科に通っている若者が、
ネットで「死にたい」と書いた。ワシは叱りつけた。
「ワシに個人的に指導してほしいと言っていたことは嘘なのか」
彼は思いとどまってくれた。うれしかった。ワシにでも一人の命を救うことが出来たのじゃ。

10年前の話じゃが、いまも交流は続いている。

うつのことはよくわからない。精神科の医師では治せないというのが業界の定説になっている。
心理療法士なら治せる。あるいは治せるきっかけを与えることが出来る。

これは脳の病気だから薬では治らない。自分で治すしかない。
これは「思い込み」によってつくられた病気だ。
医者が「うつですね」と言ったためにうつになった女性を知っている。
うつだと思い込み、寝られなくなり、食欲がなくなり、便秘になり、意欲を失い、布団から出られなくなった。医者にいわれる前は寝不足だけだった。思い込みでつくられたのだ。

日本人はうつになりやすい。セロトニンが少なくなるとうつになると言われ、日本人は少ない。
それにまじめだから、自分を責める。だけど好転しない。さらに自分を責める。死を考える。
徳兵衛もうつになったのだろう。普通の神経では死ねない。

ワシの仙術では、自分が何かおかしいと感じたらこういう方法で治す。
まず布団の中でリラックスする。モーツアルトでも流れていればいいかも。
あたたかくする。そして額に手を当てて撫ぜる。20回くらい。ゆっくりまわす。

そのとき「ぼくはすごい奴だ」「わたしは美しい」と呪文をかける。ま、明るい暗示だな。
すると気分が良くなり、治る。
額には前頭前野があり、脳の活動を仕切っている。だから自律神経のバランスを調整し、
副交感神経の働きを正常にする。当然のこととして治る。
心配することはないよ。

おはよう。体調はいかがかな。
仕事が休みの人は、ストレスもないので元気だろうな。
仙人のワシは休みがない。というより、勤務時間がない。なにしろ自然人だからな。^_^

さて「私の人生はついてない」という人がいる。運が悪いとか、運がいいとかという表現がある。
確かに「運」みたいなものがあって、我々はそれに左右されているのかもしれない。
本当のことはよくわからない。

あるとしたら
誰がワシたちの人生を動かしているのかな。
神さまか? それとも何か得体の知れない偉大な力なのか。
考えてみるのもおもしろいな。

神は存在する。見たことはないが、それは確かだ。
だが、神がワシたちの運命をもてあそぶことはない。
親が子どもの不幸を望まないようにワシたちの不幸を望むはずがない。
ワシたちは神の存在を信じようが、信じまいが、神から一方的に愛されているのだ。

ではなぜ、ついてないと感じるのか。
これは人の問題だ。
人には必ず相手がいる。家族や友人もそうだし、会社や趣味のグループもそうだし、
町を歩いている人もそうだ。
そして、人と人の間に神が存在すると言われておる。

ということは、ついていると感じる時は、その人との間にあたたかい気持ち、共感があるとき。
そんな時は思いがけないいいことがあるのだ。
互いを尊敬し、大事にしようという気持ちが生まれたとき、
あなたが求めていたものを与えられる。

ではどんな考え方をして、どんな行動をしたら、ついている状態になるのか。
まず出来ることからやってみる。

それは「笑顔」だ。
常に笑顔になれるように練習しなさい。
笑顔は病気を治すし、人の疲れを癒す。
笑顔は魔法の薬なのだよ。

いつも笑顔を絶やすなと言っているのではない。
そんなことをしたら疲れる。意識しているからだ。気持ちが悪い。
人から何か意見をいわれたら「なるほど」と笑顔で返す。

それを見た人はどう思うか。素直な人だ。明るい人だ。悪い人ではない。と思う。
ということは味方を一人つくったわけだ。味方はあなたのサポーターだ。困ったときに応援してくれる。

難しい話かな。逆にいつも気難しい顔をしていたらどうなるか。
そんな人に近寄りたくなくなるだろう。
分からない時は「逆発想」するとよりよく分かる。

「仙人脳七つの法則」や「生き方へたでもいいんだよ」には
ついている人生を手に入れる方法を書いているので
よかったら読んでほしい。361円。高いかな^_^
カンバス夕焼け

おはよう。よく眠れたかな。睡眠は薬だと思い、7時間は寝てほしい。

アップルの創業者、スティーブ・ジョブズ氏は33年間、朝起きると鏡を見て自問自答した。
「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを、
私は本当にやりたいだろうか」
「違う」という答えが何日も続くと、
そろそろ新しいことを考える必要があるな、
と悟るのだという。
                        (読売新聞の編集手帳2014.08.03から抜粋)

これは米スタンフォード大学卒業式のスピーチだが、最後にこう締めくくった。
「ハングリーであれ、愚か者であれ」

ワシはこの言葉が好きだ。ジョブズ氏は大金持ちだから、ハングリーは心の飢えだろう。
満たされていると、このままでいいやと思う。何も考えなくても生きていける。
製品開発などほかの人に任せてもいい。自分が賢いと思えば、好奇心も枯渇し、
ほかの人から何かを学ぶ姿勢もない。

大学の卒業式だから聞いているのは新社会人になる若者たち。きっと優秀な若者たちだろう。
そんな彼等に「愚か者になれ」は衝撃的な言葉だ。

ワシは愚か者だが、愚かなことが続くと気が滅入り、
「ワシは天才だ」という自己暗示でその気になる。

どちらかと言うと、人は傲慢に出来ている。仕事ができるものは特にそうだ。
人は影響力の強さで自分の力を確認する。人が自分に従うと、自分はえらいと錯覚する。
これは大きな過ちを犯すことになる。

「自分がえらいと思う人は、一番下で支える人になりなさい」という賢人の言葉がある。
ビジネスの世界でいえば「サーバントリーダーシップ」だ。
社員の意見を上手に吸収し、社員が自律できるように教育しながら、リーダーシップを発揮するという考え方。そういう時代になって来た。ピラミッド型では人はついてこない。

人を自分の思い通りに動かしたい人は、そうすればいい。
やっかいなのは、定年になってもその癖を引きずること。かわいくないジジイだ。
思いきってアホになりなさい。かわいいジジイとして幸せになれるよ。

昨日テレビで1週間に便通が1回という便秘の女優が温泉水を飲み、
もりもり出るようになったという番組を見た。
すごくうれしそうに言うので、ほほえましかった。

朝起きたら、バナナサイズがするすると出るのが普通。
これはほんまに健康を実感できてはしゃぎたくなる。

便秘を解消するには仙人道でいうなら、1に「心」。2に「運動」。3に「ご飯に根菜類」だな。

お腹にガスが溜まりやすい人がいる。西洋医学では原因がなかなか分からないらしい。
東洋医学や漢方の世界では「気滞」といい、心の使い方が滞っている状態だ。

これは不安が強い人。気になることが多く、気が塞いでいる。だからお腹が膨れる。
つまり、何かにとらわれているのかしれないな。
だからガス抜きのために友達としゃべったり、カラオケで大声で歌ったりすると
心が解放される。

不安の原因がはっきりしている場合は、それを取り除く努力をしないと治るのだが
不安はまだ起こっていないことを心配することだから、気晴らしで間に合う。

便秘は案外ストレスが原因になることが多い。
金の心配をしていると、出るものも出なくなる。
心配性だから金が手に入っても使わない。人にたかる。
金を溜め込んで便もためるというわけだ。

金を使う場合も「生き金」と「死に金」があると言われているよね。
こんな奴に金を使っても仕方がないと思う場合は、使わなくていい。

江戸時代の大阪商人は日頃は金を始末し、いざ町のためになるということだったら、
貯めていた金を提供した。
それの証拠が大阪八百八橋。そのうち幕府が造った橋は12橋程度で
残りは大阪の商人たちが金を出し合って作った。生き金だ。

ストレスを受けても我慢する人も便秘になる。
我慢とは腹が立つのに起こらないように努力する人。
何となく人格者に思えるが健康の面からいえば、腹がたてば怒ればいいのだ。
我慢していたら病気になる。

嫌われるのを心配する人もいるが、そこまで心配すると美容にも悪い。
しかし、そうはいっても、という世の中だから、気分転換だな。
いつも明るく笑える状態のために、楽しいことを趣味にしてほしい。
タバコ吸うな

初めて見た。タバコ飲みはますます肩身が狭い。

さて、ワシは生き方へたな人が好きだ。人間にらしくていい。
たとえば、大阪弁でいうと「いきり」「ええかっこしい」。
分かりやすくいえば「虚飾を身にまとう」こと。

昨日、大阪府の泉州地区に行った。あまり品はないが情熱的な人が多い地域だ。
ワシは選挙参謀として市議会議員と地域を守り、問題点とそれを解決した場所を撮影していた。

すると議員の携帯に電話がかかって来た。
「すぐこい」ということだった。仕事中なので一方的な呼び出しにイラっとした彼は
「どちらさんですか」ととぼけた。それが怒りを招いた。とにかく来い。そんな電話だった。

彼は目的地まで車を走らせながら、行くか行かないか迷った。
相手の言いなりになるのもしゃくだったが、選挙に影響を与える人だった。
しかし、ワシは「行きましょう」と議員の背中を押した。

貧相な居酒屋だった。議会の副議長と関係者も呼び出されていた。
まだ2時頃なのに酒盛りをしている。議員たちはノンアルコールビールだと言う。

ワシは「こんにちは」と大きな声で挨拶した。手前のがっしりした男は機嫌良く、大きな声で歓迎してくれた。奥に座っていた横柄な男は、先ほどの電話相手なのだろう。不機嫌で無口だった。

一瞬でその場の空気が読めた。奥の小柄な男は暴力的な臭いを放っている。
気が短く虚勢を張っている。危険な男だ。

ワシはいつだって覚悟を決めている。やるならやってやる。
しかし、選挙に関係してくる。怪文書ですむならいいが誹謗中傷で議員を攻撃するだろう。
ワシは快活な振る舞いで、出されたノンアルコールビールを飲んだ。

そのやんちゃな親父の人生が聞かなくても見えてくる。
虚勢の人生。ええかっこしいの男。気が小さく、内容がないから虚勢を張る。
生きかたがへたな男。かわいそうになり、ワシは戦いを放棄した。

ワシは表で待ち、5分ほどで議員が出て来た。話の内容は聞かなかった。
ただ、来てよかったと議員が言った。
来なかったら彼は様々な言い訳を自分にしなければならなかった。
だからすっとしたと言ったのだろう。

人は虚飾を身にまとうから、自分を見失い、思い悩む。
本当は虚飾をまとわなくても、そのままで素敵なのだ。愛されているのだ。
肩の力を抜いて生きよう。馬鹿にされても認めよう。
「そうでんねん。あほでんねん」と返せば、悪口を一瞬にして忘れられる。

あなたしか出来ないことがある。それを持って生まれて来た。
自分を誇りに思ってほしい。
関目協会

おはよう。元気かな。月曜日は仕事のスタートだから、快活で明るくにしたいものだ。
明るく元気だと人にいい影響を与える。どこかで誰かの人助けになっているかもしれないな。

ワシは世の中には3種類の人がいると思っている。
一つはいつも元気で、気配りが出来る人。人の意見をきちんと受け止める。
もう一つは傲慢な人。我が強い人だね。「俺がおれが」と口癖の人。人の意見は聞かない。
三つ目は、自己否定の人。俺は駄目な人間や。いつも失敗ばかりする。世間から見放されているんや。
などと自虐的。

この三つはしばしば同じ人の中に表れる。
つまり、いつも元気で人にやさしいが、
たまにほめられると、俺はすごいんだと内心プライドが膨張する。
何でも出来るような気がする。
しかし、失敗したり、仕事が思い通りに行かないと、落ち込む。俺は情けない人間やと思う。
それがワシだ。

つまり、それは誰の中にもある感情なのだとワシは思っている。
心はまるで波のように揺れる。
だからくさされて落ち込むことはない。誰にも欠点があるし、弱さも強さもある。

太陽は人を差別しないであたたかさと明るさを与えてくれるし、
空気はいい人だけが吸えるのではない。

あかんたれも、こせこせしている人も、失敗ばかり重ねている人も
大自然から赦され、愛されていると考えてもいい。
生きていていいんだ。価値があるのだ。

「自分をほめる」心を中心にして、「人をほめる」とずいぶん生きやすくなる。
小さいことをほめてあげる。
例えば女性をほめる場合も漠然と「君はきれいだ」というより「目がきれい」とか「肌がきれい」とかほめると喜んでもらえる。具体的だと信じることが出来るからね。

「生きかたへた」の人は、ほめるのがへただ。ほめて叱られることはない。
悪いことを指摘する時も、まずほめる。それから叱るとカチンと来ない。
今日は一つだけほめてみよう。きっといことが起こるよ。

おはよう。よく眠れたかな。ワシは8時間ちょっと寝た。だから元気が体の中でうずうずしている。

「生き方へたでもいいんだよ」はおかげさまでよく売れている。
生きかたが上手な人はほとんどいないからな。自分の情けないところも許し、
自分の欠点だらけのところも肯定し、自分のアホなところも好きになって、
やっとワシは生きかたが分かって来た。

自分を反省するのは日本人独特の文化ではないかな。
アメリカ人は、といっても多民族がごちゃ混ぜになった国だから、そういう言い方は変なのだけれど、車で追突しても謝らないといわれている。
訴訟社会だから、裁判になったとき先に謝ると不利になるからだ。
日本では当然しまったと認識するから、思わずすみませんと言う。

ワシたち日本人は自分を責めて、くよくよするときもあるが、
相手を責めて悪い結果の責任転嫁を計ることもある。
そして悪口を言いふらしている。

悪口は麻薬だ。そのときは溜飲が下がり、すっとするかもしれないが、副作用がきつい。
聞かされた方は笑ったり、共感しているが、自分もどこかでいわれているのではないかと
疑心暗鬼になる。だから信用されなくなる。それが副作用のひとつだが、自分の中の尊い部分も
傷つくので悪口は人に言わない方がいい。

紙に書いて憂さを晴らせたら、その紙を破り捨てる。
とにかく、居酒屋で会社や上司の悪口は言わない方がええで。絶対出世しない。
悪口は必ず本人に届き、会社の上司には駄目人間として認知される。
なぜならヒューマン脳といわれる前頭前野が発達していないから、
人の痛みが共感できないと判断されるからだ。

自分が聞かされたら楽しい話題に変える。スポーツや音楽、タレントの話なら角が立たない。
生きかたって難しいことは何もない。自分が嫌なことを人にしないことなんだ。

おはよう。ワシは仙人じゃよ。元気かな。
寒いけれど来月は3月じゃ。春の足音が聞こえるかな。日差しが強くなっているので春がノックしているような気がする。

寒いのは暖房すればいいだけ。でも心の寒さはどうしたらいいのかな。
たとえば「分かってもらえない」ときは寒い。まるでひとりぼっちのような気がする。
なぜ私の気持ちが分からないのか。と叫びたくなる。

思春期の時はそうだな。だから反抗したくなる。
大人になっても分かってもらいたい。認められたい気持ちはあるよね。
その気持ちは、がんばるエンジンになる。頑張ったらほめてもらえる。

ほめてもらうとドーパミンやセロトニンという快感ホルモンが分泌される。
脳内麻薬ともいわれているから、うっとりする。

「わかる」という気持ちは人間の持つ能力の中で最も優れていると言われている。
それは「共感能力」といわれ、相手の身になることができる能力だ。
ワシが「仙人脳」と呼ぶ脳力で、相手の喜び、相手の悲しみ、相手の痛みまで
自分のことのように感じる脳力だ。これは脳の「前頭前野」という大脳新皮質にあり、
発達すると共感能力がつく。誰にでもある脳の部位。
脳科学では「ヒューマン脳」ともよばれて、額の中にある。運動野とつながっているということは行動しないと発達しないと思われる。

あなたが人格者として認められている場合は、この共感能力が発達しているということじゃ。
「その気持ち、わかるよ」という言葉は、人を救うのだ。