ひとは絶体絶命のピンチになった時、神に助けを求めるのではないか。
ワシはそれを全く正しいことだと思う。
神と人とはどういう関係にあるのか。
ワシたちはその根拠を各国の神話に求めることも出来るが、世界で最も読まれているのが
「旧約聖書」。これはキリスト教だけでなく、イスラム教、ユダヤ教の聖典でもある。
1章で神は天地を創造し、2章でヒトをつくられた。
神はヒトを創られるとき意図と計画をもって創られた。偶然や気まぐれで創られたのではない。
「我々にかたどり、我々に似せて、ヒトをつくろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、
地を這うものすべてを支配させよう」
そういう愛の計画があったのだが、ヒトはそのことを知らなかった。
「神は土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」とある。
今も神の命はワシたち人間の中に存在する。霊的な存在であり神とつながっているのだ。
「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助けるものを創ろう」と
パートナーを創られた。それがエバ。
彼等は神から掟を与えられた。これを犯すと罪になる。
しかし、二人は蛇にだまされて「善悪の知識の木」の実を食べてしまった。
人は最初から「あかんたれ」なのかもしれない。騙されやすいのだ。
永遠の命を与えられていたのに、死ぬ人になった。
ここまでで神と人との関係をまとめてみると
1、人は神と霊的な命でつながっている。
2、人は愛されるために生まれて来た。
3、人は物質的な存在である。だから騙されるし、欲望に振り回される。
4、罪人。これは犯罪者という意味ではなく、神に逆らうものという意味。
5、恋人や夫婦、仲間は互いに助け合う関係。
そして冒頭の「なぜ死にそうになったとき、神に助けを求めるのか」という問いには
人が神(父親)からつくられた子どもだからと言える。
ワシは親が子どものピンチを無視するはずがないと思っている。
「もうあかん」と思った時、ぜひ神に助けを求めてほしい。
無神論者なら自分の親に助けを求めると、何とかなるような気がする。
それでも駄目なら知り合いや友人に助けを求める。
人は助けを求めてもいいのだ。自分でなくとかしようと思わなくてもいい。できないのだから。