なんかねえ。
もういい歳なんだからネットにばかり首突っ込んでないで読書の日々に戻ろうと、
いま文庫本になってから大売れの、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」に挑戦してるんだけど
これにノーベル文学賞与えた人はねえ、凄いよ。
出版したとたんに世界中で大ヒットって、マジ?
みんな取りつかれたように最後まで読んで、心から感動したの?
昔の人って、現代人より相当頭がよかったのかしら。
それとも、ネット遊びに毒された私の頭がおバカさんになりすぎたのかしら。
話が全然、頭に入ってこないの。
登場人物、多すぎ。似たような名前の人間がごちゃごちゃいすぎ。
家族関係複雑すぎ、家族多すぎ。とにかく覚えられないので
冒頭の「家系図」にいちいち戻って名前を見直さなきゃならない。
せめて「全員違う覚えやすい名前」にしてくれたら全然違うと思うのに。
何だよ、アウレリャノ(17人)て。
作者アウレリャノって名前好きすぎ。
あと、これ、ブエンディア家の家系図であって登場人物はこのほかにもいーっぱいいいるからね。
そして、時間軸が一定でない。現在と過去の思い出話が同じ地平で並んでる。
あと、一文が長い。多分原語で読めば名文なんだろうけど、
修辞句、福祉形容詞、比喩が独特すぎて、文の、話の骨子がつかめない。
たとえてみればね。
あるホネホネのお婆さんが立っているとして
孔雀の帽子、ビーズとレースを何重にも重ねたドレス、べっ甲に金の鎖をつけた眼鏡、水晶の杖、繊細な細工を施された木靴、さらに頭からかぶった絹のベールに覆いつくされて
いつの間にやら中の人物が見えなくなってる。
そんなマジック仕掛けの文章なの。
表現方法が多彩すぎて、主軸となるストーリーが頭に入ってこないの。
あまりに難敵すぎて、「百年の孤独を代わりに読む」という親切な解説本まで売れてるという有様なの。
そこがこの人の個性であり価値なんだろうけど
多くの小説が、一本の木であるとしたら
この人の長編小説は、森だと思う。
多くの小説って言うのは、
主人公がいてわき役がいて狂言回しがいて、50頁も読めば何を追えばいいのかテーマが見えてきて、枝があちこちに伸びて主題曲が聞こえてきて、主人公や副主人公、あるいは謎の登場人物を追いながら、その音楽がどういうクライマックスを迎えるのかを楽しみに読む。そして最後に、全体像が見えたその一本の木の姿に惚れられたかどうかで、小説の好き嫌いが分かれる。そういうものだと、一応表現しておきます。
ガルシア・マルケスは、短編の名作「エレンディラ」みたいに話が短いものは
言葉のラビリンスに酔いながらも、たくさんの実をつけ小鳥を住まわせている美しい木に見とれることができるんだけど。
(ちなみにこの作品も、映画化されたものも、大好きです)
長編となると、密林に迷い込むがごとし。
一つ一つの木々がたくさんの小鳥を飼い枝を複雑にくねらせていて
どの道を行き、何を目印に先へ進んだらいいのかわからない。
たまに立っている標識も、インチキとホンモノがそっくりの顔をして人をだましにかかるので、しょっちゅう迷子になっては「家系図」に戻って、来た道を確かめる、これの繰り返し。
230頁読んだところで、ほぼ負け戦状態です。
でも、森と表現したけれど
一枚の大きな壁画を端から見ているような気もするので
せめて最後まで行かないと、この大壁画の評価はできないと思うのです。
全体像が見えるまで逃げないぞ。
世界がこの物語になぜノーベル文学賞を与えたのか、理解したいから、負けを認めるわけにいかないのです。
頑張れ自分。
ところで、私は個人的に、三島由紀夫の「金閣寺」にノーベル文学賞を与えてほしかったなあ。
あれは、小説の姿として、孤高の天才の盆栽みたいに、美しく、完璧でした。
あと最近読んだ漫画としては、ずば抜けていたのが
卯月妙子の
「人間仮免中」
「人間仮免中つづき」
なんか面白いマンガ読みたい人、
心を打たれる深い名作を読みたい人、
ニンゲンというものに絶望しかけている人、
とにかく「ホンモノ」に出会いたい人、
とりあえずこの二冊読んでください。
いや、読んで。
読め。
約束だぞ。
(すべての漫画本の中で一番絵が底辺状態、という意味でもずば抜けてます)