香りを完成・発送させていただいたこの日



もうひとつ、お待ちいただいていた香りも
動き始めた。






それは、
わたしがアトリエをオープンする時


これは、もう
これこそ、もう

作れないかもしれない。



そう思った【鼓動】という香り。







それを
アトリエ4周年~Inside voice~で
再び、鼓動を募集したい。と思った


鼓動も
お申し込みいただいていたものの


なかなか、わたしの中で「今」という時が来なくて




だったんだけど



9月11日



あ。
【鼓動】を作る時が来た。


そう感じた。








わたしの香り作りは、
その時その時様々で、



この【鼓動】は

メッセージのやりとりをして


エネルギーを集めるところからだな。と思い






そこから、今回の鼓動が
始まり出した。






香り。というものは、
言葉を持たない
言葉にならない領域のところにあって




だけど、
言葉を持たない
言葉にならない領域のものを

嗅覚を通して感じられるのが
嗅覚を通して体や脳に届けられるのが
嗅覚を通して自分の深くに届くのが
嗅覚を通してわたしが目覚めるのが
嗅覚を通してほぐれひらくのが


香りだと
そう感じている。







メッセージのやりとりの中で、

“自分の中にあるものを言葉にする”というのは、

時に、とてもエネルギーを要することだとも、思う。





表に
出すことの無かったもの





自分でも
隠すつもりは無かったけれど
1番何より自分に隠したくて
自分に隠していたもの




それもまた
言葉にしながら
気づいて行ったりする







わたしは、
何かを無理やり変えたりしない。
それは、わたしの分野では無い。




だけど、
その人そのものが持つものを
どんなものでも
大切にしたい。と、いつも思う。







同時進行で、
香りの本を開き出した。




わたしの家には、
わたしの本は、数えるほどしかない。




そして、
香りの本のひとつに
“香りの引き寄せ”の本があるのだけれど、

それは、わたしには全くページが進まなかった。






今回もまた、

千早茜さんの言葉を感じて
咀嚼する。








人の欲望や
人の秘密を
どんなものでも香りとして再現する
調香師の朔さんは


わたしが憧れる調香師でもある。










人は、変わっていく。
周りも、変わっていく。




もしかしたら、
わたしは、変わらないものが
欲しいのかもしれない。



そんなことを思う。







変わらないものって何なのか、
明確な答えは無いけれど。





香りに触れると、
その領域に触れられる気がした。


昨日は、
おばあちゃんのお葬式でした。



今年の12月で99歳。
享年100歳で
命の幕を閉じたおばあちゃん。






お葬式中は、
お葬式の2日前におばあちゃんが亡くなったことを知った自分とはまるで別人かと思うほどに

自分でも思っていた以上に
涙が溢れて止まらなかった。





お通夜で雪解けになり、
お葬式で溢れた。

そんな感覚だった。







おばあちゃんは、
男4人、女1人の5人の子ども達を育て



わたしの父は、次男

どちらかというと
自由な自分のペースで生きる人。






お父さんの兄である
長男のおじちゃんは、


わたしが子どもの頃にもかっこよかったけれど、
今もかっこいいままに歳を重ねていた。





おじちゃんは、独身で、
家を建てて、
おばあちゃんが80代のときに家でおばあちゃんを見てくれるようになった。




おばあちゃんを見るために、
自分の仕事を辞めて。





わたしは、父方のおじいちゃんを知らない。




振り返れば、
長男のおじちゃんが、
みんなにとっての頼れる父のような存在であったように思う。
それは、おばあちゃんにとっても。






そこまでして、
父と同じ兄弟なのに、
おじちゃんがしてくれること



どこか、
孫であるわたしにも
申し訳なさ
後ろめたさがあった。


もちろん、有り難さも。




その気持ちが、
なおさら、わたしが結婚してからの10年ほど
おばあちゃんやおじちゃんに会いに行くことを遠ざけた。








4年ほど前、
家で転び、骨折したおばあちゃんは、
もともとあった認知症が更に進み


老人ホームに行くことになった。







わたしは、
お通夜の時まで、
どこの老人ホームかも知らなかった。




薄情な孫だったと思う。






その老人ホームは、
奇しくも
わたしのお仕事の担当するお客さまの老人ホームで


お通夜のあと、
お客さまに、
生前お世話になっていた感謝の気持ちを伝えた。









わたしにとって、
このタイミングが
本当に久しぶりの集まりだったけれど





兄弟5人
なんというか
それぞれに性格は違うけれど



揃うと仲が良くて
賑やかで

お互いのことを話しながら
笑い合う




ずっと
食べたり
しゃべったり





あぁ、いいなぁ。
羨ましいなぁ。と
どこかでそんな感覚を覚えた。







三男のおじちゃんは、
県外で働いていて、
会ったのは
ほぼ初めましてくらい。




おばちゃんは、
兄弟の中で唯一の女性なのもあり、
ユーモアさとシニカルさを兼ね合わせながら
わたしの職場にも来てくれたりもした。


田舎に嫁ぎ、
亭主関白の旦那さんの元で、
よく頑張っていた。
その旦那さんも、去年亡くなり、ようやく自分の時間を謳歌しているようだった。






1番末っ子のにいちゃんは、
前回のブログに少し触れたけれど

長男のおじちゃんが強くて包容力のある優しさを持つ人ならば、
にいちゃんは優しくやわらかい優しさを持つ人のように感じる。




色んな事情で、
離婚しているにいちゃん。

それから会うことも無かった、親戚の女の子の存在が気になっていたけれど、


昨日、久しぶりに会うことが出来た。

子どもの時以来。


もう、その子も25歳になっていた。




優しく育ったのが伝わるような、
にいちゃんの娘さんだな。って
そう思った。







おばあちゃんのために集まったというか、
おばあちゃんが集めてくれた。
おばあちゃんが会わせてくれた。

そう感じる。








お葬式の最後に、
もう、これで顔を見れるのが最後です。って時に、

みんなで、花や折り紙をおばあちゃんの周りに添えて、
そこに、おじちゃんやおばちゃんが、おばあちゃんに書いた手紙があって


オシャレでもない
白い封筒に


「母ちゃん」


そう書いてあるのを見て
ぐっときた。






60代、70代になっても、
「母ちゃん」と

母を求める魂は無邪気な子どものようで




惜しみなく愛をそそぎ
いつもたくさんのご飯を作り
たくさん喋り
笑って笑って
どんなときも元気でいてくれた

母への感謝が
わたしにまで伝わってきた






棺の蓋を閉めるとき
隣におばちゃんが居て


お互い
嗚咽をこらえながら蓋を閉めた。





「もう、会えないんだね。
一緒に墓参りに行こうね」

おばちゃんが、そう言った。








遺骨は、
喉仏がもう見当たらなくて

それほどに、
骨も体も
最期まで頑張り全うし

生ききったんだな、って
そう思った。







ばあちゃん、


愛情深く
惜しみなく愛を注ぎ


そして、子ども達に
周りの人に愛された生涯だったね。





わたしの記憶の中のばあちゃんは、
明るく元気なばあちゃんが思い起こされます。




後悔は、
生前、わたしの子ども達を
ばあちゃんにほとんど会わせて居なかったこと。




息子が、
お通夜で初めましてだったと言っていたこと。





薄情な孫で、ごめんなさい。






ばあちゃんからもらったもの
繋いでくれたものは、
わたしの命に残っています。




返せなかったけれど、
それでも、たくさん愛してくれて
ただただ愛してくれて
ありがとう。





わたしも、
おばあちゃんから受け継いだものを
繋いでいくよ。






長い間、本当にお疲れ様。
そして、ありがとう。


ゆっくりしてね。


今日、
お父さんの方のおばあちゃんのお通夜でした。




今年100歳?と思っていたら、
今年の12月で99歳を迎える予定だったおばあちゃん。



  
お通夜の場で、

手を合わせながら



空間が時を繋ぎ




わたしが子どもの頃


おばあちゃんの家に行く度に、
おばあちゃんの手作りの梅干しを持たせてくれたこと

それを、思い出していた。






梅干しが大好きなわたし。





だけど、
いつからかな。


成長する中で

もう、おばあちゃんの梅干しはいらない


そう思ったこと






そして、
いつまでもいつまでも
わたしが変わらずおばあちゃんの梅干しが好きだと思って



いつまでも、
行くたびに

「由香ちゃん、梅干しあるよ
好きでしょ
持って帰りなさい」


と言われて




そのうち、
断るようになったことを
思い出したら

  
 

何だか、やっと涙が溢れ出した。






おばあちゃんは、

男4人
女1人
の5人の子どもを生み育て



いつも元気いっぱいに
動き回っていた。






わたし達孫のことも、
いつも可愛がってくれた。






1番末っ子の男の子


わたしにとってはその叔父さんが
子どもの頃、歳が近くてお兄ちゃんのような存在で



「〇〇にいちゃん」といつも呼んで、
〇〇にいちゃんも、いつもわたしを可愛がってくれていた。






みんな、お父さんやおじさん達やおばさんは、

「かあちゃん、かあちゃん」と
おばあちゃんを呼んでいた。




お通夜で、
おじちゃん、おばあちゃんが涙を何度も拭く姿に
胸が詰まった。





お通夜の集まりの後も、
〇〇にいちゃんだけは、
おばあちゃんの棺の側にずっといた。





末っ子で、
1番、お母さんっ子だったのかもしれない。





帰り際、声をかけた

「みんな、ご飯食べたけど
わたしもいただいたけど、
食べてないんじゃない?」


「いいよいいよ」

と、
話すとまた涙ぐんだ。



「おばあちゃん、痩せたね。
最期まで頑張ったね。
おばあちゃん、キレイで安らかな顔してる」



そうおじちゃんに話すと



「いつも愛情いっぱいに育ててくれた
それを思い出しながら」



そう言って、
また言葉を詰まらせた。




「おばあちゃん、いつも、梅干しくれたなぁ。って、思い出してた」




喋りながら、
おばあちゃんの思い出話に花が咲き


お互い、歳を重ねても
おじちゃんってより

にいちゃんって感覚が蘇った。








わたしの父が
わたしをめちゃめちゃ可愛がって育ててくれたこと



そして、
父にとって孫である
わたしの子ども達を
今めちゃめちゃ可愛がってくれること



お通夜での
おじちゃん達やおばちゃんから伝わってくるものに

おばあちゃんから受け継いだものだ。と
今日、改めて感じた。






おばあちゃん。
命を繋いでくれて、ありがとう。




明日が肉体を持った最期のお別れ。



最近、仕事ばかりだったわたしにとって、
この空間や
時。というもの
しっかりと悲しむこと
泣くこと
ありがとうを言葉にして伝えること

それも必要だったのだと思う。