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初めてタルコフスキーを見ました。
はっきりとしたストーリーがなく、難解で眠くなるという意見もそうかも、と思える映画です。


映像は、白黒とカラーのパートが交互に現れ、カラーの場面は、1975年の映画なので退色したのかやや古臭いと感じる部分があります。でもアンティークな家具や趣のあるガラス器は雰囲気があって美しい。厳密ではありませんがあえて言えば森や草原などの風景、ありのままの日常生活の情景など親しみを感じるときカラーで、不安や極度な心象性を表現したいとき白黒で撮っているのかななと。



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古くてファンの多い監督なので、おそらく参考にされつくされていると思うのですが、独特の夥しい雨や水、揺れながら燃え上がる炎、画面を縦横に吹きわたる風などによって、長いスローモーションシーンも独特で新鮮な心象風景に感じます。


確かに一つの映画の中で母と妻、自分の子供時代と息子いう二つの役柄を同じ俳優が演じるので混乱しやすく、突然戦争や闘牛の映像が入ったりしてストーリーらしい起承転結はバラけていても、母を思う子の気持ち、のようなアピールは伝わってきます。


自伝的要素があるそうですが監督はきっとこの映画を自分の好きなものを集めて楽しみながら作ったんじゃないかと思います。
隣家が火事になってしまう場面も、きっと炎の美しさを描きたかったのでは。



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監督は絵画が好きだったに違いありません。
ダヴィンチは画集の絵がそのまま出てきて、炎に透ける掌の映像の美しさはラトゥールの「大工の聖ヨセフ」を思わせます。


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眠り猫の うとうとブログ   ラトゥール「大工の聖ヨセフ」

眠り猫の うとうとブログ  ラトゥールの「大工の聖ヨセフ」(部分)




冬の射撃訓練の場面はブリューゲルの「雪中の狩人」のようです。


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                                             ブリューゲルの「雪中の狩人」
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この画像はちょっと違いますが、家の中でレースのカーテンが風に舞うシーンがありました。


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それは下のワイエス「海からの風」を思い出させます。


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なにより気に入ったのは、森の情景一つとっても、倒れて白アリに蝕まれる樹木、物が捨てられ水が汚れた放棄された井戸など陰りのある美しさが慈しみ深く描かれていると思えるのです。日常スーパーなどで手にするパック詰めされた野菜の神経質な清潔さとは対極的な、虫が食い、腐り、熟しきって朽ち、次の生命のために消えていく生命のはかなさ。記憶が薄れていく遠い日の母の笑顔。そんな忙しさに紛れて見逃してしまうものをちりばめている映画でした。

私はこの映画好きです。




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ストレス発散的な面白さはない映画です。
でも見るためにそれなりの対価を支払い、真摯に向き合おうとする人にとってはかけがえのない映画です。

アナという主人公の少女はとても可愛いけれど、6歳の年相応の可愛らしさだけで魅了するのではありません。
なまなましく目の前にではないけれど、常に映画に漂う色濃い死の気配。
現実に理解する前から死は幼い大きな黒い瞳のなかで顔をのぞかせていて、突然彼女はずっと前から自分の間近に死が隣り合っていたことに気づきます。
美しいこの映画は、用心深く反戦を訴えるというより、もっとなにかやむにやまれぬ自然発生的な印象を受けます。
この映画は俳優というにはあまりに幼い、アナという少女の資質なしには成立しなかった奇跡のようなものだと思います。

子供らしい突飛さはあるものの深く内省的な彼女の存在は、ユトリロの風景画にあるような古いスペインの建物の白い壁、流れる雲の影がゆったりと草原の色を染めていく神秘的な風景と相まって、映画に静謐な印象を与えています。




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エリセ監督は、父と娘の関係に何か特別の思いがあるようにも見えます。
物語に込められたもう一つの物語、フランケンシュタインの物語。
一人の無垢な哀れな男と幼い少女とその父、パラレルかつ対照的にちりばめられた二組の登場人物たち。
精霊や夜の森、井戸と廃屋、みつばちや父の時計など、小道具の象徴的・重層的な意味づけによって、極限を超えて削られた少ない台詞は補われ、ミステリアスな詩情溢れる世界が広がります。
それはたぶん制作者の意図さえ超えて、つたない私にはこんなに言葉にしたいのにできませんが、限りなく貴重な、本質的な何かをささやくように語りかけているのです。



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GWってなんて時間がたつのが早いんでしょうと思われませんか?
香り立つ緑の中を散歩していると、ほんと幸せな気分ではありますけれど。



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上野の国立西洋美術館で開催中の「レンブラント 光の探求/闇の誘惑」展に行きました。
さすがに連休中で、午前11時には入場制限15分待ちでした。


レンブラントはいうまでもなく17世紀を代表する世界的なオランダの画家です。
「光と影の魔術師」などと呼ばれ、集団肖像画などでもドラマティック・象徴的に光の効果を駆使したことで有名。
 この展覧会は、初期から晩年の約110点の版画と約15点の油絵、素描と、アムステルダム国立美術館、大英博物館、ルーヴル美術館などが所蔵する作品で構成されています。


それでは気になった作品をいくつかご紹介します。
今回は版画といえどもサイズは小さめですがどれも本当に素晴らしくて、実際に美術館に行かれたら、「よりによって、なんでこれを外すの?」と思われる作品が数十点もあるのではないかと心配です。




《オンファル》
1645年 エッチング・ドライポイント


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オランダ語の動詞「オンファレン」 は「倒れる」という意味だそうです。画面左側の大きな木が枯れているのと関連するのでしょうか。
よく見ると枯れ木の中に恋人たちが隠れています。


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《3本の木》
1643年 エッチング・ドライポイント・エングレーヴィング


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何となくさびしげな風景は、その前の年に妻サスキアを亡くしたせいでしょうか。




《病人たちを癒すキリスト(百グルデン版画)》
1648年頃 エッチング・ドライポイント・エングレーヴィング


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版画でありながら暗い闇の中に墨絵のようにほのかに柔らかく浮かび上がるキリストの表情。
とても高度な技巧が当たり前のようにさりげなく用いられています。




《書斎の学者(ファウスト)》
1652年頃 エッチング・ドライポイント・エングレーヴィング


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謎めいた作品です。

カタログによれば窓にかかる奇妙な文字盤の中央の4文字はキリストを意味するそうです。




《ヘンドリッキェ・ストッフェルス》
1652年頃 油彩・カンヴァス


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モデルはレンブラントの最後の女性です。
こぼれそうなつぶらな瞳が彼女の性格までも映し出すようです。



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とてもやさしくて、ちょっとおどおどした感じ。

レンブラントよりたしか20歳くらい若かったのに先に亡くなってしまったそうです。



今回は家が狭くていつも我慢しているのに、迷わずカタログを買ってしまいました。
期間中にもう一度行きたいです。





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世界中の女の子の憧れる金の糸のようにつややかな長い髪。
つるんとしたバービー人形のような顔、
きらきら、くるくる動く大きな目。


男の子も喜びそうな
元気で明るい活動的な女の子、ラプンツェル。
悪者とも勇敢に戦う。
でもイケメンのフリンの前では可愛い女の子。


ペットが犬とか当たり前なものではなくて
ちょっとマイナーなカメレオンだというのも変わってていいな。
優秀な軍馬マキシマスも、可愛いラプンツェルにだけは甘いけど
他の人にはガツンと容赦なく、性悪に抜け目なさそうなところが最高~。


広い世界に飛び出し
洪水やいろいろな困難に会うけど
金色の髪を輝かせて歌い踊り、
閉じ込められていた18年の長い歳月を愛しい人に出会って乗り越えていく。


洪水は先頃の悲しい地震と津波を思い起こさせるかもしれないけど
夜空に飛ばされるおびただしい灯りは
いなくなった人を悼んで私達の心を癒そうとしてくれているかのよう
でもまだ本当に私達の傷は深くて
癒され再生するにはきっとまだ長い時間がいるのだ


今悲しみの水の上で
無邪気な若い二人に何かが始まり
やがてかけがえのない本物に変わっていく・・・。
美しい光りの中で。




こんにちは。

皆様よい休日をお過ごしでしょうか。



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静謐な映像美と細やかな女優の描写で知られる成瀬巳喜男監督の代表作とされている作品です。
ただ、他の多くの成瀬作品は、思わず微笑みたくなるような温かみ、ユーモアがあって、

社会の暗い隙間に落ちていくようなこの作品はやや異質とする見解も。
原作は底辺の庶民の生活を丹念に描いた作品で知られる林芙美子。
初めての成瀬映画で比較できないけれど、
原作のほの暗い要素を、高峰秀子が溢れる生命感と繊細に表情が変化する美貌で払拭し、素晴らしい出来栄えだと思います。


戦時中のインドシナの神秘的な光と影に満ちた森の中で、妻ある渋い中年男は清楚な白いワンピースのコケティッシュな赤い唇に魅了される。


戦後の廃墟のような日本へ戻り、逞しく生活する人々に混じって、道ならぬ恋人達はお互いの他の男女関係のしがらみもあってどこか虚無的。
でも軽蔑している元彼とおいしそうにうどんを啜るシーンを、大女優高峰秀子は力強くリアルに見事に演じる。
手書きの怪しい文字が躍る張り紙が風にはためき、混乱し雑然としているけど空気は澄んでいて、どこか懐かしい戦後の街並。
壊れかけたボロ屋の雨漏りのバケツに落ちる僅か一滴が、心に大きく響く。
一時外人相手の妖艶な娼婦にまで身を落とした女は、客の金で必死に男に酒を買い与える。
次から次へ女を変える相手の自堕落さに、嫉妬に苛まれながらも別れることができない。
鄙びた温泉宿の風呂場へ手をつないで向かう急な石段。
ついつい気になる女に手を出し、女を苦しめるしょうもない男。
成瀬監督はそれでも立ち直ろうとする彼の小さな良いところも冷静に描いて行く。
ところが、やっと見つけた、二人で新しい生活を始めるべく降り立った小島で、女は男に見とられながら・・・。



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青白く痩せた頬、血の気の失せた唇。
体調を崩し、生への欲望さえ諦め、純粋な男への愛を、高峰秀子は今までよりさらに一段洗練された神々しいまでの美貌と、涙の宿る鮮烈な眼差しだけで演じていく。
最後まで愛と表裏一体の疑いに、激しく身を焦がされながら。


「楽園への歩み」のユージン・スミスや、レンブラントのエッチングやドライポイントを想わせる、

精密で劇的な激しい美しさ。
嵐の前に千切れ飛ぶ暗灰色の雲とその切れ目からさっと差し込む光のような。




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去年までと変わらない、ゴールデンウィークの頃を感じさせる
さわやかな日曜日でしたね。
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あたりは生命力溢れる新緑に満ちています
もうすぐ散りつくしてしまおうとしている桜に混じって
盛りを迎えようとしている八重桜。



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最後一枚だけテーマは違います
ずっと撮るのが少しこわかった
でも桜と同じ生命感に溢れてる
先週行った室蘭の海です



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皆様お元気でいらっしゃいますか


店には空のままの棚があり
大きな余震もあったりして
まだまだ落ち着きませんが
よく見ると木々にはさわやかな薄緑の若葉が芽吹き
確かに穏やかな春が・・・


そして桜。
毎年賑やかな花見の風景の中
幾人かは静かに、やさしく花びらを見上げる人たちがいて
今年は特に
そんな人が目につく気がします。


名所へ出かける余裕がなく
近所の桜ですが
ぽつりぽつりと控えめに咲いていても
なんと癒されることでしょうか。



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何かのんびりと気持を引き立てるようなことを書こうとすると
こんなこと書いてていいのかな
この非常時に、
という気持ちになりますが


毛布や灯油、物資は被災地でまだ足りないと思うけど
被災地で何がどれだけ足りないのか
モノ送ることについて的確なことはできないから
自分の仕事をして義援金を送ることにしたいです。



阪神大震災のときは死者6000人超、
最初の2週間で164億、総額1792億
https://www.jicpa-knk.ne.jp/download/image/syako_typhoon23_gien.pdf
と、大災害は集まる義援金の総額は多いけど
死亡見舞金10万など一人一人に配分される額は少ない。


例えば死者15人の新潟県中越沖地震では
義援金は第1次の配分計画時点で総額約42億円であるが、
死亡見舞金は一人当たり20万円配分されている。

http://www.pref.niigata.lg.jp/HTML_Article/705/581/okigienkin1,0.pdf


今回の東日本大震災は、
阪神大震災よりさらに被害が広範囲で甚大だから、
今のところ最初の2週間の募金額は466億円超と
http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0326/san_110326_2066212533.html
過去最高のペースでも
おそらく一人当たりに配分される額はさらに少ないと予想すべきなのでしょう。


テレビのニュースで関東では節電のため出社を控える様子もうつされていました。
そうすべきなのかもしれないけど
ゆるされるなら節電できるところはするから
毎日働いて
募集が終わるまで少しづつ義援金を送って
被災者の方々のことを思い暮らしたいと思います。


そして音楽や娯楽なども
ときには敵視せずに
こんな時こそ心を癒すものとして必要だと思うから


先週やっと郵便局で
義援金振り込みをしました。
手数料とれないのに郵便局の職員さんは
とっても親切に対応していました。


・・・4月の最初の繁忙期をのりきったら

きっと希望を感じられるようなブログを描いていきたいと思います。


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悲惨な映像がニュースでながれ、悲しくて何も手に付かない気がします。

東北地方太平洋沖地震で被災された皆さまには心よりお見舞い申し上げます。


まだときどき起こる余震におびえながら土日を過ごし

今日月曜日仕事に行こうとしたら

JRの郊外の在来線はいきなり運休になっていました。

計画停電、駅員さんの確保ができない。

どれも理解はできます。


私鉄も時間運休&徐行運転。

乗客は半ば唖然として、苦笑しつつも

辛抱強く電車が動くのを待っていました。

声をからして情報をくれ、乗客に対応してくださる駅員さん。


帰宅時の京成上野駅では駅についてからホームに入るまで1時間、

普段往復3時間の通勤時間が今日は7時間半かかり、

職場にいられたのは4時間でした。

緊急にやるべきことは山積みなのにこの現実に呆然とします。


でも明日はもっと早く起きて頑張ります。

このくらいの困難は乗り越えないと。

今自分にできることを一つ一つしっかりとやっていきたいです。








昨日都内は交通機関が止まり、私は帰宅難民になって

生まれて初めて職場に泊まりちょっとショックでした。

(日常的に夜勤してるかたがたには笑われてしまいますね)


先に職場を出した人たち、無事に帰れたかなあ

昨夜は結局電車が動かず戻ってきた人が多かったです。

一夜明けてから、数時間たって戻ってこなければ

大丈夫だからと近所に住む職員に言われ

事務所に鍵をかけて帰りましたが

ずいぶんたってから事務所を出たのに電車が遅れて混んでいるだけでなく、

ホームへの入場規制などでやはり大変でした。


携帯は電池切れ、自宅は停電で電話がつながらず

やっと家族やほとんどの知り合いの安否が確認でき一息つきました。


携帯の充電用品を準備しようと強く思いました。


昨夜はほかにすべもなく仕事をしましたが、いろいろ心配しつつやったのでちょっとミスってるかも。


直接の被災地の皆様を想うと胸が痛みます。

いつも素敵なブログを拝見させていただいてる皆様、大丈夫なことをお祈りします。