経済の勉強の一環として、ほんの少々であるが、日本株を持っている。


「会社情報」をよく読んで投資するほどではなく「新聞記事やニュース」を見たり、聞いたりするうちに「これ」と思った銘柄を買ってみるという程度だ。


 例えば、女性が働くことが当たり前になってきた昨今、乳児を持つ女性が働く時間を確保するためには、「紙おむつ」を上手に使うことも重要だと考えて、そうした銘柄の値動きに注目したりしている。


 自分の予測があたっても、最低単位を数種類持つ程度なので、人に言うほど大儲けはしていないが、予測が当たれば嬉しいし、お小遣にもなる。


そういう目で新聞を見たり、ニュースを聞いたりしていると、予測どうりの変化が現れる時もある。

  世の中の動きに敏感になりすぎるのも良くないが、お客様との話題に使えることもあり、FPとしてご相談の入り口になることもある。


 生命保険も扱える立場なので、金融商品としての話題に入りながら「資産形成」+「死亡保障」の二面性を解説することも、自分の役目だと思っている。

  
 大学を卒業して53年になるが「就職氷河期」と言われた中で得た「生命保険の営業職」の立場を現在も続けていられることの「ご縁」を思う。


 

 上野公園にある東京都美術館で、2年ぶりに「都展」が開かれることになり、
先日、業者に依頼して80号の油絵を搬入してもらった。


 1年近くかかって、3日前にやっと完成したが、当日の朝にハタと気がついて、慌てて「サイン」を入れた。
 搬入業者さんが来るまでに、乾いていないと大変。


 「午前中」というだけで、集荷時間も確定しない。

 「早ければ午前9時半、遅ければ夕方、世田谷区をどの順番で集荷してゆくか運転手さん次第」とのこと。

 油絵の具の「赤」でローマ字表示にしたが、すぐ乾くわけもなく、一瞬焦った。


 2階の自宅からエレベーターで下ろし、トラックに載せたり、会場の近くで下ろして、展示するまでは地下倉庫に保管するであろうから 乾いていなかったら、こすれて消えてしまうか、他の作品を汚してしまうか いずれの場合も大変困る。


書き入れて30分位してから、二枚重ねのテッシュペーパーをソッと上から押し付けて様子を見る。

 文字は、油とともに吸い取られて少し薄くなったが、何とか読める。
 三回吸い取って、まあまあ良かろうと思った。

 
 その日の自分の予定では、10時半からの勉強会が台東区入谷である。


 出展を申し込んだはがきの返信部分を入れた封筒を、作品の裏の木組みにくくりつけて玄関の外に出した。


 入谷での勉強会というのは、「自分の終末に備えて」後の人に、「自分の意思や資産や、死を知らせたい人」を書き残す「ラスト・プランニングノート」を書いておこうという趣旨のものだ。


 NPO法人「ら・し・さ」を、FP仲間と2004年に立上げて以来、世の中が大きく変化してきた。


 「生まれた時には自分の意思は示すことはできない」が「死ぬ時は、自分の意思を書いておく」ために仲間と作成した「ノート」が、世の中に認知されてきたのだ。


 その日の勉強会も参加者が30名近くになり、「ら・し・さ」の会員の一人が、近親者の実例を交えながら講師を勤め「ラスト・プランニングノート」記入の必要性をページに沿って説いていった。


 終了後、講師を含めた仲間と昼食をとり、解散した。


 家に着くと作品は集荷され、集荷担当者のメモが無事完了を伝えてくれていた。



高3の時のクラスメート8人で、夏の終わりに一泊で箱根旅行を楽しんだ。

何回目なのか分からないが、だいぶ永く続いているようで、私はつい最近の参加で、4回目ぐらい。

高卒後22歳で大学を出て保険会社に就職し、夫と一緒に地方へ転勤していた私は、早く死んだ夫に代わって、都内に戻ってからも仕事を続けた。


子育ては、実家の母に助けてもらい、姑には夕飯をつくってもらった。

働くことは好きだったから、仕事は楽しく、やればやるほど、実績も挙がるし、収入も増える。


生命保険営業員の社会的な地位も、世間の認知度も上がり、カタカナのグループ名を付けられた大卒女子の各社営業員が、銀座を肩で風を切って歩いていた。、

2歳違いの長男、次男も社会人になり、それぞれ結婚して、私の責任は果たしたことになる。

姑も亡くなり、高校時代の繋がりができるようになった。


考えてみれば、たった3年間一緒にいた50年も前の同級生達だ。今や全員が75歳(76歳もいる)。

中には既に亡くなった人もいる。

                                    
ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-箱根旅行  4

1日目は午前11:30分に、箱根湯本駅に集合。

女子4人、男子4人だ。箱根登山鉄道で彫刻の森駅へ。


近くのお蕎麦屋さんで昼食。私は天丼。ビールが

おいしい。天気快晴。駅前からポーラ美術館まではバス。


この美術館の展示品は全て、ポーラ化粧品本舗

創業家二代目の、鈴木常司氏の収集した個人の

工芸コレクション約1万点の美術品の中のもので

あるとのこと。


西洋絵画、日本の洋画、近現代の日本画、版画、彫刻、東洋陶磁、ガラス工芸と、美術史の流れに沿った体系的なコレクションの由。


藤田嗣治の愛らしい少女等の作品や、ゴッホの「アザミの花」が展示されていた。ジックリ見て展示室を出ると、一緒に来た彼女等は、素敵な空間でお茶をしていた。


私も甘いきれいなデザートとコーヒーを注文する。


エスカレーターも天井部分はガラスの屋根。最上階の雰囲気は、森の中にいるような感じ。

三つくらいの停留所を経て、「仙石原 はたご一の湯」に着く。



ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-箱根旅行 2

 2階建てで、江戸時代の旅籠(はたご)の感じ。部屋の名前は、東海道の宿場の名前。「一の湯グループ」が、塔ノ沢、強羅、仙石原、芦ノ湖に、8軒ある様子。


 男女4人づつなのでちょうど良く、二部屋に落ち着き、屋内風呂、露天風呂にそれぞれ入る。露天風呂の周りは緑の木立に囲まれていて、森林浴の気分。



女性4人のうちの一人が「一の湯グループ」の会員だそうで、一泊二食で、7000円ぐらいだった。


二階の広い角部屋が食堂で、我々の他に家族ずれが三組あって、皆、湯上りの顔をほてらせて、ビールや、ジュースで乾杯している。


山海の料理が、おいしく、金目鯛の煮物が特に     
ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-箱根旅行 1

おいしかった。


今回参加できなかった友達の消息から始まって、

高校3年間はクラス換えもあって、同じ中学から来た

それぞれの親しい人達の様子も含めて、

多くの知人が話題に上った。


翌朝の朝食も同じ場所。おかずが沢山。

宿の玄関で写真を撮って、歩いて3分ほどの湿生花園へ。



                                        
                                    
     
ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-箱根旅行  3


          

コーチングの勉強で同級生となったTさんは、私が尊敬する方々

の中のお一人で、ここ10年ほど交流を保っている。


初めはFPとして不動産の事で相談相手になり、
ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-大室山 1

当時は横浜で教師をなさっておられた。


その後、ご両親の居られる長野県松本へ戻られて、

S大大学院の修士課程を終了なさった。


お互いに独り者の気軽さと、何か魅かれるものがあって、

年に1回は一泊旅行をご一緒するようになった。


旅行先と、宿はいつも彼女が素敵な所を探してくれる。

私が捜したのはこれまでにたった一回だけ。

今回もTさんのご案内である。


彼女からメールが届き「8月9日・伊豆高原駅15:20」の文字と素敵な2階建てペンションの写真の添付。

おおよその都合の良い日程は打ち合わせてあったので、後は全てお任せの私。

最近視力が落ちているので、本屋に有った「ポケット版文字でか時刻表・夏号」を買う。

当日は好天。「踊り子7号」に乗り、ゆったり座席につけば、ビールも「おつまみ」も売りに来る。


伊豆高原に15:08分に着いて、間もなくTさんも到着。

タクシーでペンションの「Peacoock Hill」へ。



ペンションを経営するのは、お料理上手の旦那さまと、

かってTさんの教え子だった奥様のお二人で、

上手にプロの手を借りて切り回しておられる由。



斜面の中腹に南向きの二階建て。
ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-大室山 2

お部屋は2階に全部で6室。


1階は、広めで素敵な食堂や室内風呂。

庭の南側と東側には、木立に囲まれての

露天温泉風呂が一つづつあり、昼・夜・翌朝と

三つ全部入った。。


お盆まえの平日でお客は、我々の一組だけ。

夕食のお料理の美味しい事。ビールもすすんで大きなグラスでの2杯。

彼女も「飲める口」なので、二人で遠慮なく美味しく飲む。

「明日はなでしこジャパンの決勝らしい」と言いながらも、朝日が部屋に射してからの目覚め。


朝の光の中で、ゆっくり入る露天風呂の爽やかな事。

朝食もビールで始まる。目にも舌にも素敵な洋食。ゆっくりのコーヒーを、ポットごと楽しむ。

10時ごろ良いお天気の中、奥さんが自分の車で「大室山のリフト乗り場」まで送ってくれた。既に多くの観光客がリフトを前に並んでいる。



ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-大室山3
リフトは循環していて、10分も並ぶと乗る番になった。

5分くらいではや頂上。二人の写真が綺麗に写っていて 一枚ずつ買う。

 頂上は、真ん中が陥没していて、

平に整地した底の方ではアーチェリーの試合らしい。


 陥没した底を見ながら山の縁を一周できる。




爽やかなかぜに吹かれつつ、数ヶ月前に彼女が参加したスエーデンでの社会制度研修旅行の様子を聞いた。


そしてその経験等を、長野に帰ってどのように報告し、同時にそれ等をどのように日本の中で生かして行けるのかと。

                          
           ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-大室山3









守衛さんは言う「もともとの本能寺は此処ではなくて、(信長の死後)秀吉さんが、当時の京都のお寺をそのあたり(下本能寺前町)に移転させたんですよ」


「では、本能寺が元あったところは何処ですか?」


「良くは分からない」




ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-7

というので、向かい側の「本能寺会館」へ行った。


会館へ入って東側は「本能寺ホテル」の受付になっている。


支配人らしき男性がいたので聞いてみた。



「信長が討たれた(元の本能寺)の場所はどの辺だったのか知りたいのですが」と聞いたら、その男性は、私の持っていた地図の上にボールペンで○を書いてくれて、
「お寺は無いけれど、元の本能寺という石が建ててある」と教えてくれた。


 いま居る処から西南に当たる方向で、地下鉄東西線「京都市役所前駅」から一駅西の「烏丸御池駅」で烏丸線に乗り換え、一駅南の「四条駅」で降りて

西に向かって四条通を行き、4本目の通りを北へ行き、一本目の錦小路通り
にぶつかる辺りらしい。


折角京都まで来たのだからと、地下鉄に乗った。

四条通を日傘をさしてしばらくして、西でなく東へ歩いたと気付き、戻る。


北に曲がって「この辺り」と思っても石碑など見当たらない。


 角のタバコ屋さんに聴くと、もう一本北の道の角に石碑があるとのこと。本能寺の跡地は今、養護老人ホームなっていると言う。

暑さにあえぎながらもホットした。


 石碑があった。 道路に面した二方のうち一方は、幅10センチ、厚さ1センチ高さ150センチぐらいの木の板10数本で囲まれた、約一平米ぐらいの、小石を敷き詰めたような所に10センチ角ぐらい、高さ1メートルぐらいの石柱が立っていた。

彫ってある文字は「此附近本能寺跡」。



ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-8

地図を開いてみると、南北に通る「油小路



通」と交差する「蛸薬師通」と「六角通」の

辺り南北の町名が、南から北へ

「元本能 寺南町」、「元本能寺町」、「本能寺町」となっている。



 石碑を通り過ぎて「油小路通」を北にみて西側に大きな建物が建っていて、運転手さんが送迎用の車を水で洗っている。


 車体に「京都市本能特別養護老人ホーム」と書いてある。


 建物の入口の右側には、そのほかに 京都市本能老人デイサービスセンター・社会福祉法人京都市福祉サービスセンター・本能老人デイサービスセンター・本能在宅介護シエンセンターとある。


 本能寺の跡地は、京都市の所有するところとなり、いまは老人のための各種サービスの拠点になったのだ。


 帰りにもう一度石碑を見て、堀川高校の北側を通って堀川通りに出てバスに乗り、京都駅に着いた。


 帰りの新幹線の時間まで、駅構内のレストランでゆっくりビールを飲み、食事をして、京都を離れた。




ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-4
7月の16・17日に、JR東海のツアーに加わり、京都の祇園祭り「山鉾巡行」を見に行った。


往復は新幹線で、16日は高山寺(鳥獣戯画を所蔵)見学後、昼食の川床料理や、他2箇所の見学と四条通りの散策。


明日の巡行準備の山車を見て廻り、大阪のビジネスホテルで一泊。


翌日は、午前10時に京都市役所が面している御池通の桟敷席に座った。




ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-5





ツアーで一緒の人達が、最前列に並んでいる。

お池通りの北側と南側に桟敷席が作られており、東は河原町通から、西は烏丸通りまでの間を埋めている。


お天気の良いのはいいのだけれど、日射しが強く、暑い事この上ない。


半そでの服を着ていたので、腕時計の跡の白さを残して、二の腕はすっかり真っ赤の焼けてしまった。

                             

                              
ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-祇園まつり
    
ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-5                    


先頭の「長刀鉾」から33台の山車が通り終わったのは2時ごろ。


あまりの暑さに見物人は、通りのレストランに入り、食事しながら通りに向いた窓から見物する。


外の桟敷席(といっても畳めるパイプの椅子)に座っている人は、誰も居ない。



私は京都市中心地図を見た。


山車が河原町通の南から曳かれて来て、御池通りに突き当たり、90度廻って御池通にはいる。


北側の京都市役所を地図で見た。地名が「上本能寺前町」と書いてある。


「エッ、本能寺って信長が明智光秀に討たれたお寺よね!」


御池通りを隔てた向かい側はホテルである。「本能寺ホテル」と書いてある。


地図には本能寺会館とあり、その建物の後ろにお寺の記号の卍があり、赤い字で「本能寺」と書いてある。


町名は薄青色で「下本能寺前町」とあり、御池通りを挟んで「上かみ」と「下しも」本能寺前町である。


御池通りを行き、広い前庭の砂利を踏んで京都市役所に行く。


建物の入口は、数段の階段の上にあり、守衛さんらしき男性が立っている。


私はコンクリート階段を上がって自分の持っている地図を守衛さんに見せながら聴いた。


「此処に乗っている本能寺は、信長が死んだところですか?」

                                     (続く)


6月に第5回展覧会を行った後、今日はファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと

「木の実会」最初の
お稽古日。


展覧会には、21人の会員全員が大作、小品あわせて


ほぼ3点づつ出品したが、今日のお茶の時間は、鈴木


実先生の「お客さんはどんな感想でしたか?」で始まった。





ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-先生と会員 「レベルが高い」。「良かった」と言われたなど

概ね好評だった様子。


「小品3点が全部売れた(規定により、売値の5%が


「会」に寄付された)」などなど概ね好評の様子

であった。


これまで「2年に1度」のペースで展覧会を行ってきた


が「毎年行うか?」との先生のご提案があったが「今のペースが

い い」 となった。


会計報告も「会員がふえたので余剰金が大分ある」とのことで「忘年会を、これまでの節約ムード


でなく、レストランの一室」を使おうときまった。


今取り掛かっている各自の作品は、それぞれ出品先を決めている。 


日展、(東京)都展、来年の示現会へと、皆さん挑戦している。



また、自分の画風だったら何処の展覧会が評価してくれそうなのか、先生に相談したり、皆さん


「出展」したいところの情報を集めたりしている。


私の場合は「何処に出展するか」は、これまでどうり「都展」であって、関心は自分の作品の「出来


栄え」にある。


「次作は何を描こうか?」これが決まらないと描けないのだから。



                          ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-作品




第5回 「木の実会展覧会」
 
今月20日から24日まで、三軒茶屋駅から地下道で繋がっている世田谷区の建物

「キャロットタワー」4F展示会場で、私が所属している「木の実会」が、油絵の展覧会を開催した。


23日、私は午後1時~4時まで生命保険修士会の会議に出席した後、
会議に出た仲間達を展覧会に誘った。


仲間達は興味を持ってくれたらしく、有楽町からの地下鉄組、私の他に
4人と、車を運転して三軒茶屋に帰ってくるGさんに同乗しての計5人の
合計9人が観に来てくれた。


私を含め「木の実会」の会員20名が全員、3点~4点展示した会場を、ゆっくり案内した。

私は「50号のベニスⅠ」、「10号のベニスⅡ」と「8号の庭の花束」を出している。

観てもらった後、当番の仲間がお茶とお菓子を出してくれ、一休みして帰っていった。


「木の実会」に初めて入会したのは、世田谷区に引越してきた昭和63年。


9階建てマンションの2階の一室に入居。入口側の隣は都の水道局、反対側のベランダから見える隣は世田谷区の「太子堂区民センター」。


その区民センターを会場にしている「油絵教室・木の実会」の案内チラシを見て、会場が近かったから。


平成12年、勤務先の千代田生命が破綻し、お客様の対応に追われて、一時退会。

5,6年して再入会したが、明らかに下手になっていた。


ヤット50号を描くようになり、今は、今年の都展に出品すべく80号に取り組んでいる。


指導して下さる鈴木 実先生を慕って新会員が増え、大作が並ぶ。 

2年に1度の展覧会で、今年で5回目。2年後にはもっと上手になっていたい。




私は映画が好きで新聞の映画評を読み、スティーブン・スピルバーグ監督の「戦火の馬」を有楽町へ行ったら見たいと思っていた。 

先日上映開始時間から5分後だったが、
ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-uma3

仔馬が産まれる所から、暗い場内に滑り込んだ。


イギリスの丘陵地帯、牧場で仔馬が産まれる処を

見ていた少年アルバート。


父親が農耕馬を買うよう妻に頼まれながら、サラブレッド

の血が入った馬を大金で買って帰ってきたが、小作料も

払えないと妻と言い争いになる。


アルバートは、かつて、産まれるところから見ていた牧場の馬だと分かり、「農耕馬としての訓練をし、荒地を耕作するからと」両親に約束する。



小作料が払えなければ、農地は勿 論

馬 も取り上げると農場主はいい、アルバートは「ジョーイ」と名付けた馬に優しく馬具を付けさせる。

雨の中、大勢の村人の見る前で、石ころだらけの土地を「ジョーイ」と鋤で耕す事に成功するアルバート。ジョーイとアルバートの絆はより深くなる。

だが、立派に荒地に育った蕪は、嵐にやられて収穫できない。




ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-馬1









丁度その頃、第一次世界大戦が始まり、出征兵士を送り出す村の広場で、アルバートの父親は「ジヨーイ」を、イギリスの将校に売った。

父親は、「ジョーイ」の代金で、辛うじて小作料を払う。

「ジョーイ」に乗ったイギリス軍将校は、ドイツ軍との戦いで戦死。「ジョーイ」はドイツ軍の兵器を運ぶ軍馬に。

過酷な使役に、軍馬は次々に倒れてゆく。


                                   
ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-uma2

19歳になったアルバートや、同じ村の若者達も出征し、

フランスの戦場へ。



対峙する塹壕の両軍、砲撃と突撃と毒ガス。



砲撃の時、頸木(くびき)から離れた「ジョーイ」は

、敵・味方の戦場を「放れ馬」として駆け抜けるが、

幾重もの鉄条網に絡み取られ、横倒しになる。





ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-uma4
           








            

                                        



一瞬、戦火は止み、両軍から、状況を察知した近くの兵士が一人ずつゆっくりと馬に近ずく。         

                                  

一人は「ペンチ」持ち、馬体に絡まる鉄条網を切る。どちらの馬にするかを、持っていた銅貨の「賭け」で、イギリス軍のものに決まり、自軍に曳いてゆく。


アルバートは毒ガスでやられ、目を布で覆っている。


後方に曳かれてきた「ジョーイ」の脚の傷を見た軍医は射殺を命じるが、様子を伝えた友人に励まされた

アルバートは、「ジョーイ」を呼ぶ時の口笛を吹きながら近づく。


「ジョーイ」の反応は大きいが、アルバートの目は覆われている。


目印になる足の白い毛と、額のひし形の白い毛を言うが、真っ黒く汚れきっている。

アルバートに連れ添った戦友が、バケツの水と布を差し出し、前足を洗い 額を拭うと、白い毛が顕れる。


軍医は認め、射殺はとりやめる。大勢のそこに居た兵士達の感動のどよめき。

そして間もなく終戦。

夕焼けを背景に、馬と馬上の青年の黒いシルエットが、故郷の家へと続く丘の上の道をゆっくり辿ってゆく。

麓の家から駆け出してゆく母親。




                    
ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-uma6









3月14日
昨日は「バレンタインデイ」にチョコレートを貰った男性が、お返しのチョコを女性の贈る「ホワイトデイ」だとか。

その日はたまたま私の誕生日だった。


チョット前に、友人二人と私と三人で「ランチを一緒に」と言うことになっていたが、銀座のホテルの1階レストランで落ち合ったところで、可愛い綺麗な花束を頂いた。

何かの機会に私が自分の誕生日を言っていたらしい。


                               
ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-3・14
                   











 良く晴れて、明るい日射が差し込む  窓側の席は快適だった。

 予約してくれていたIさんにお礼を言いつつ、Yさんが選んでくれたピンクの 

 カーネーション、薄紫、赤紫のグラジオラス、青緑の葉の素敵な花束に感謝。


                       



レストランのお料理は、味も良く、メニューも豊富で、そのうえレストランから「誕生日の人への細いローソクを立てた可愛いケーキ」までがプレゼントされた。


Iさんに尋ねると「ホテル・レストラン・誕生日のケーキ・ランチ」等と文言をいろいろ入れて検索して見つけたとの事。


会計をすると、私は、お二人より数百円の割引値段だった。




                              

  夕方5時頃、19:30来宅予定の 
ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-3/4,,,4  コーチングのクライアントさん(30代
 の女性)にTELする。
                                                          勤務終了後に見えるので、仕事の状況などを


                         

聞いてみた。  予定通りで大丈夫らしい。                                                  彼女のコーチングセッションは電話でなく、

対面でのやりとりである。

応接間を暖め、お花を飾っておく。


クライアントさんが見えた。

何と何と沢山のチョコレートの御土産を出す。

                              10包み以上あってビックリしてい

                              ると、IT技術者として働く彼女は、


                              人間関係を良くするために、1ケ

                           

                            月前のバレンタインデイに、いくつ

                              ものチョコレートを、職場の男性

                              に渡したとの事。
ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-3/4,,,5
                                

そして今日、沢山のお返しが来て、コーチのところに置いてゆきたいと言う。


「お客さんのお茶菓子に使ってもらおうと思って」との事。持って帰る分はここにべつにしてあるし、今以上体重を増やしたくないのでと言う。


                     では頂きましょうとなり、この文を打ちながら今、

                      つまんでいる。 


今朝、北海道の岩見沢からお花が届いた。     

                             
ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-3/14  ,,,2

次男のお嫁さんから昨日電話があって


「北海道から都内まで、荷物が届く日数が

良く分からなくて、一日遅れで届きます。」

との事だった。


「誕生日でなくても、お花を頂くだけで凄く

嬉しいわ」と御礼を言ったそのお花が届いたのだ。






                       

ファイナンシャル・プランナー&コーチ・・・・マダム美枝子のひとりごと-3/4,,,3