続あしながおじさん  | アグネス・チャんこの世界

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私の好きな本に 『続あしながおじさん』 があります。


これはもちろん『あしながおじさん』の続編であります。


前編であしながおじさんと見事に結ばれ、


経済力や社会的地位を獲得した元孤児の主人公ジュディーが


自分が生まれ育った孤児院の再建を学生時代の親友サリーに


託すところからこの物語は始まります。


この物語はすべて、サリーと孤児院再建に携わる人との手紙で


構成され、孤児院再建をめぐって沸き起こるハプニングや


その中で芽生えるそれぞれの愛情が一人称で語られてゆく形に


なっています。手紙形式の文体で読む者の共感を引き起こすところが、


この作品の魅力の一つだと個人的には思います。





でも私が思うこの作品の一番の魅力は『裏がある』という事です


現在日本で発行されている『続あしながおじさん』はだいたい編集カットバージョンなのです。


活字にしてしまうと都合の悪いことがあるからなのです。


『あしながおじさん』・『続あしがおじさん』の書かれた19世紀後半のアメリカにおいて女子の高等教育は


危険視されていて、まだまだ女性が自由に教育を享受できる時代じゃなかったのです。


そんな時代に書かれたこの作品は女子の高等教育の正当性を訴えるフェミニストを応援するために


書かれた、そもそも大人な世界が満載な作品なのです。


それが日本では児童文学の枠に振り分けられている以上


多少のカットがある事は当然っちゃ当然なのですが、


そのカットされている部分の内容の過激さが何でも規制の時代に育った私には刺激的なのです。


そしてさらに過激な思想を物語に埋め込ん作者、ジーン・ウェブスターの人生もなかなか

面白いです。






前置きがずいぶん長くなりましたが、


カット部分の内容はつまり


『優生学』にまつわる部分です。


優生学とは1800年代にアメリカ・ヨーロッパで流行った一種の学問で


一言でいえば「遺伝子絶対論をよい社会づくりに役立てよう」と言う事です。


どうゆう事かと言うと、この学問の前提として遺伝子の情報が絶対だという思想があります。


よってアル中患者にはアル中の遺伝子があるゆえに、アル中患者な訳であり、


またその子供もその遺伝子をついでいるので、必然的にアル中になる。


よってアル中患者が多くの子供を作ると、それだけアル中者が社会に増え、


社会衛生上良くない。一国家の繁栄にもかかわる一大事となる。


だからアル中者には子孫を残すことを遠慮してもらおう、


もしくは遺伝子レベルでの矯正ができるような徹底した再教育の方法というものを国をあげて


研究、実用化してゆかなければならない、という当時の一般的に信じられていた思想です。


とはいえ遺伝子レベルでの矯正という方法はやはり難しく、なお当時は遺伝子に対する恐怖が


大きすぎた故に、はやり結局は凶悪犯罪、精神異常など当時考えられていた


劣遺伝子保持者に対する、婚姻の禁止、去勢などが1800年代アメリカでは


当たり前とされていました。





そしてこの『優生学』が『続あしながおじさん』のなかにどう表れているかと言うと


孤児院の子供たちにはいろんな家庭の事情があってそこにいるわけで、もちろん


親の問題のためにそこにいる子もいて・・・・・・


孤児院の児童を愛するサリーは子供たちのバックグラウンドがどうであれ、子供には可能性が


あると信じ立派な人生を歩んで欲しいがため良い孤児院づくりに奔走するのだけど、


親の顔すら見た事のない児童が、精神異常、アルコール、盗み、等の


親と全く同じ悪癖を表し始めたことで思いつめたサリーは


自分がどんなに頑張っても無駄なのではないか、


むしろこんな不幸な子供を次の世代に増やさないためには


この子たちはいっそのこと死んでしまえば良いのではないのか、とそこまで言い出すほどに


悩んでしまいます。




そのくだりが今の児童文学にカテゴライズされてしまった


『続あしながおじさん』で編集カットされている部分です。


大学生のときにアメリカから原作そのままの『続あしながおじさん』を取り寄せ、


その力づよい現在なら出版禁止バリの表現に圧倒され気合いの入った文学だと思いました。




そしてこの作品を作者、ジーン・ウェブスターの人生とリンクさせてみるともっと面白い事がわかります。


じつは『優生学』が流行った要因として、アメリカ・ヨーロッパにおけるアル中患者の多さ、があります。


それだけアル中の問題が深刻で、また『続あしながおじさん』でも親譲りのアル中の子供にサリーが


胸を痛めている描写もあることから、この物語を書いた作者はアル中、


そして遺伝子情報の恐ろしさを良く理解している事がわかります。



しかし、面白いのが、7年にもわたる交際期間を経て作者ウェブスターが結婚を果たした彼が


筋金入りのアル中だったことです。


彼は妻子持ちの資産家で弁護士でしたが、


重度のアル中によりサナトリウムに入退院を繰り返す生活をしていました。(彼の母親もアル中患者)


彼はまともに仕事は出来る状態ではなく7年間作者ウェブスターは彼を支え続けました。


(彼には妻がいたのですが、その妻もまた訳ありで精神異常者なのでした。ですから作者ウェブスターは妻に代わり、彼を支えました。また彼の妻との間の一人息子も精神異常で不幸な死に方をしました)


作者ウェブスターはアル中の遺伝子の恐ろしさを知りながらも、彼の子供を産む決断を下し


娘を出産しましたが、その翌日に息を引き取りました。


 作者ウェブスターは学生の頃から孤児院でのボランティアや福祉関係の活動に精をだす


 他人に対する情の深い人でした。


 その情が深かったからこそ孤児院の子供を救いたい一心で孤児院ものの文学を書いたのです。


 それなのにアル中で自立もままならない夫の元に娘一人だけを残し


 天国へ旅立ってしまい、最終的に自分の最愛の娘を孤児のようにしてしまいました。


 本末転倒なところがとても残念ですね。



 そもそもウェブスターの情がいけないのだと個人的には思います。


 情が深いから妻子持ちのアル中ダメ男に対し7年間内助の功を発揮し続け、その結果がこれです。


 情が深くなければ、さっさとアル中ダメ男に見切りをつけて


健全な遺伝子を持つ頼れる男性を探したのではないのでしょうか?


 そして自分がたとえ死んでしまったとしても、しっかりした父親の存在を


愛する娘に残してあげられたのではないのでしょうか?


 『人生情だけで突っ走ると必ず転ぶ』

 

 という私の信念をより頑なにさせてくれたのが、この作品と作者の人生でした。


 そして


 『人間は必ずしも合理的な動物ではない』


 と言うこともこの作品から学びました。 


 アル中の遺伝子危ない、後世にその遺伝子残さない方がいい、とわかっていながらもなんだかんだ


 正当化してアル中者の子供を産んでしまう・・・・・



 そういえば、大学時代に地球環境についていつも熱く語るイギリス人の先生(かなりぽっちゃり)が、


 みな冷風に凍えているにも関わらず、

 

 「勝手にクーラーの設定温度あげるな!勝手にみんな共用の空気の温度を変えるなんて独裁者だ!」

 

 とキレだした事もありましたね。


 

 

 とはいえ、私も太ると分かっていてもついついハイカロリーな物を食べすぎてしまいます。

 作者ウェブスター・大学時代の先生を笑えませんね。


 

 人間はみな合理的じゃないんですよね。