ある日のセッションの感想と師から起こる言葉 | i.n.d.のブログ

i.n.d.のブログ

無為自然

どうやら・・ たぶん


自ずと


もともとそうである




それは、その本性により、自ずと自らに戻るもの。
自らに気づくもの。
自らに帰するもの。

               無空さんより






makoさま

感想ありがとうございました。

> 無空 さま
>
>
> セッションをありがとうございました。
> どうやら、たぶん元に戻った感じです。
> だんだんです。
> それを、少し超えたと現すのかもしれません。

戻ると超える。

それは、無限性そのものでもあるそれ(真我・在る・愛・純粋意識・空)、
ただひとつのすべてであるそれ、
その中で、それ自身に起こる同じひとつの動き。
そのひとつの動きにも、無限の側面、無限の質が在る。
そこにすべてが在る。
ただひとつのすべてであるそれが動くとき、全体が動き、
その動きの中にすべてが在る。

それは、その本性により、自ずと自らに戻るもの。
自らに気づくもの。
自らに帰するもの。

それは、その本性により、自ずと自らを超えていくもの。
自らを更新していくもの。
成長し、深化し、拡大し、無限に増大していくもの。

それは、その本性により、ただ在るもの。
ただそれ自身であるもの。
在るがままであるもの。
自然であるもの。
それはそうあることで、絶対不変不動(絶対安心、絶対安全、絶対大丈夫)のまま、
常に自らに戻り続け、自らに気づき続け、
そして、自らを無限に超え続け、自らを無限に更新し続けていく。
いつも新しい自己に出会っていく。

真の自己。

自分自身。

存在。

それは、いつも懐かしく、

そして、いつも普通、自然、当たり前。

でも、いつも新しい。

既知であり、未知であるもの。

既知を更新し、未知へ戻っていくもの。

無限に留まり、無限に進んでいくもの。

とても新鮮で、

とても馴染みのある

これ。

それ。

奇跡的で、

これ以上ない普通。

自然。

それはもともとそうであるもの。


> とてもとても大きすぎる、とてもとても微細な何か・・・
> 領域でもない・・・があり
> わからないの無限・可能性
>
> それと共にあり、それに溶け、それに自然。
> もともとそうであったよう。
> とても静かです。

とてもいいですね。


> ご報告で。
> 美容室での問答無用に「ベリーショート」が起こったお話をしました。
> 無空さんから「決めていかないのですか」との問いに
> いつも髪型とか決めずにそこに行きそこで決まり
> そして、美容師なのに美容師と思っていない自然な方と
> そこで決まることをそのままにとお話する。
>
> 何気ない会話がとても楽しいです。
>
> 日常もそんな感じです。
>
> それから、久々にボスに怒られましたのご報告。
>
> 披露宴の準備の際、ボスの作業の後を、ほんの少し引き継いた内容。
> それがきちんとできていなかったのをボスが発見しました。
> けれども、おそらくそれは、ボスが行っていた部分だと気がついていましたが
> そう思い込んで、しばらく怒りが起こり、しばらく「なぜこういうことが起こったか知りたい」と
> そこでそれは、ボスがされたところだからと言っても、火に油をそそぐだけと見ていました。
> どっちでもいい話しですし、ただこの詰問が長いが起こりました。
> それから「なんでそうなるかの知りたい」何回も繰り返されてしまい、
> 何か言わざるおえない状況で「私は少し作業をしたのですが・・」と伝えると
> 「やっぱり、だから速いと思ったのよ」と、とことん詰問が起こりました。
>
> 間(空)が詰まっているが起こっていました。
> 辛いなぁとマインドも起こっていました。
> 同僚に話しをして、どうしようもないことではあるけど、なんともと話しをするが
> 起こりました。それから、披露宴や仕事を終えるまで、どよーんとしたままでおりました。
> マインドでとりこむ隙もありません。帰宅してからもしばらく続いていました。
>
> それから、ふと、間(空)の拡がりを感じ、戻っていることに気がつき、それから
> 「ボスは誰に起こっていたのだろう」
> そして、「誰が誰に起こっていたのだろう」
> 最後に「えっ、何もおこっていなかった」が起こりました。
> この終わり方のきれいさがふと見えました。

雷を鳴らせ、雨を降らせ、その後も曇天にしていた雲がただ晴れていったかのようですね。
それはとても自然、ただ自然。
すべては自然現象。
そこに誰かがいると、様々な問題が起こることがあります。
誰もいなければ、そこには、あるがまま、起こるがままの美しさがあり、
問題は何もなかった、本当は何も起こっていなかったという原初の本質的な美しさがありますね。
在る(実在・真我)そのものが美であり、そこから起こるもの、そしてその自然な起こり方、移り変わり方、
消え方もまた、すべてが美しいですね。


>
> 距離感が、はっきりとあります。
> 待つという感じに、待つ感がありません。


待つそのものですね。


> 随分、また自然となっている感じがしました。
>
> 元に戻る力も勝手に自然に起こりました。
>
> ふと、気づいたのですが、起こることより
> 前回の「秘めた思い」を無空さんにお話しすることが起こってから
> 静けさだけが残っている感じでした。
> そしてただ在るだけ、気づきだけで。
> より気づきの力が大きいなぁと感じたり、気づき在り方の丁寧さを感じていました。
> 視点、感じ方、距離、在り方、自然さの更新を感じています。

いいですね。

>
> そしてただあるだけです。

はい。


>
>
> 第69回目(3/16)セッションの感想です 
>
> 共鳴
> 「自明」
>
> と浮かびました。
> 前と違うのは、言葉が在るの中で起こっています。

それは、それ自身の中で起こるより直接な認識とも言えるかもしれませんね。

>
>
> 言葉の意味を調べてみますと・・
> 自明 (じめい)とは、 証明 や 説明 、 解説 をしなくても、
> それ自体ではっきりしていると判断されること。
> ただし、必ず正しいことが保証されるものではない。
>
> とありました。

唯一の実在であるそれ、純粋な主観性そのものであるそれ、
絶対的な存在であり、相対の正誤を超えているそれに、
正しいかどうかの保証は必要ありません。

それはただ自らであることで、明らか(正しい)です。

>
>
>
> アイコンタクト
> すでにそうである
>
> 「ですぎた釘」
>
> 思考の世界では、「ですぎた」はなろうとする
> でも、ですぎた釘は元々なく  真我のみ

はい。

>
>
> それから・・
> 大きすぎるところに寛ぎ・とどまる

成熟すると、
そしてまた、それに溶け、それそのものであると、
それ自身に寛ぎ、とどまることができますね。


>
>
>
> 瞑想
> もともとそう
> 現れも、もともとそう

すべてはもともとそう
ただそう。

>
>
> ハートの共鳴
> うーん
>
> 立場をかえて
> 風は、いつもすぅーっと
>
>
> 立場なし
> 境地ではない
> 超えて大きいの大きい 無限
> 大きすぎるし、それは微細

それはただそのようなものですね。

>
>
>
> 共鳴から立場なしまで、全て
> 無空さんも私もいない
> ただ、今
>
> 今は未知 風はすぅーと 間・・
> 全部です
> 全てです
> 日常もそう
> ただそうである
>
>
> 以上です。
>
>
> 来週もどうぞよろしくお願いします。
>
> あるがままに
> ただ感謝
>
>
> mako

こちらこそよろしくお願いします。

無空