以前の私は、ひとつの物の見方でいろんなものを見ていました。
わたしなりの解釈の問題だと思うけど
今とは違う視点だったようで
幸せだったけど
振り返ってみるとちょっと不自由でした。
(でももっと前はもっともーっと不自由でした(^^;))
当時は
「上から目線」
をいう言葉が自分のことに当てはまるなんて
思ってもいなかったのです。
でも、今は、
ああ、あの時の私のことだったか、と納得しちゃいます。
別の見方を手に入れてみると
それは、決して新しいものではなく
ごくごく普通のあたりまえの見方だったことに
気が付きます。
ここのところ、わたしなりの受け入れ態勢が整って
しばらくの間狭めていた視界を
少しずつ広げています。
毎日気づくことが多くて
「またちょっとラクになった」
「またちょっと柔軟になった」
「またちょっと賢くなった」
「またちょっと新しいことを学んだ」
すごく大きなことを成し遂げているわけではないけど
と肩のチカラがちょっとずつラクになっていきます。
まだまだ気付くことがあるので、
少しずつ進んでいけたらいいな。
では、またねー
わたしなりの解釈の問題だと思うけど
今とは違う視点だったようで
幸せだったけど
振り返ってみるとちょっと不自由でした。
(でももっと前はもっともーっと不自由でした(^^;))
当時は
「上から目線」
をいう言葉が自分のことに当てはまるなんて
思ってもいなかったのです。
でも、今は、
ああ、あの時の私のことだったか、と納得しちゃいます。
別の見方を手に入れてみると
それは、決して新しいものではなく
ごくごく普通のあたりまえの見方だったことに
気が付きます。
ここのところ、わたしなりの受け入れ態勢が整って
しばらくの間狭めていた視界を
少しずつ広げています。
毎日気づくことが多くて
「またちょっとラクになった」
「またちょっと柔軟になった」
「またちょっと賢くなった」
「またちょっと新しいことを学んだ」
すごく大きなことを成し遂げているわけではないけど
と肩のチカラがちょっとずつラクになっていきます。
まだまだ気付くことがあるので、
少しずつ進んでいけたらいいな。
では、またねー