国松警察庁長官狙撃事件はオウム真理教によるものと断定しながらも犯人を捕まえることなく時効が成立した。多くの謎があり、オウム以外の様々な犯行説があったものの、結局真相は暴かれないまま世間一般は「よくわからないけどやっぱりオウム?」程度の認識しかされていない。私もその類だった。本書を読むまでは。

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ポイントは2つ。この事件はオウムが犯人と決め付けて公安が中心となって初動捜査が行われたが、見込み違いに早い時期から気が付いていたにも関わらず、警察幹部のメンツを保つために正しい捜査がなされず、敗北に至る迷走ぶりと、それであるから故に自ら「私が狙撃犯です」と主張するも警察の都合で黙殺される中村泰という老人の圧倒的な存在感である。


この本を読めば中村泰あるいは彼の同志「ハヤシ」のいずれかが真犯人である蓋然性が非常に高いと確信する。真犯人しか知り得ない事件現場の情報や使用された特殊な弾薬357マグナムナイトクラッド弾や銃器の入手法など、彼の供述は刑事部がしっかり裏をとれているのだ。


この中村泰という人物の経歴がすごい。


昭和5年生まれ。幼少期を満州ですごし、昭和15年に帰国、5.15事件に参画した愛郷塾に出入りする。東大の理科ニ類に進学するが、そこで共産主義に共鳴し、極左的思想をもつようになり、反ファッショ革命を起こすための資金源としてちょこちょこ犯罪を犯し服役。出所後、昭和30年頃からは武力闘争に必要な銃器を入手し、その資金を得るために金庫破りを独学で習得、農協や信金の金庫破りを繰り返し、さらに銃器を購入するも、警官に職質されて射殺してしまう。結局逃げ切れずに20年間服役。

平成14年に名古屋のUFJ銀行で現金輸送車を襲撃、警備員に発砲しているが、捕まっている。


昭和52年に仮出所したあとの足取りはあまり詳細に語られないが、左翼的思想は変わらず、キューバ革命のチェ・ゲバラに心酔し、ニカラグア革命防衛戦争に義勇兵として参加を志願。当時50歳を過ぎて若い兵士と同じには戦えないのでアメリカに渡り、軍事訓練やスナイパー(狙撃手)の訓練を受けるが、そうこうしているうちにニカラグアの情勢が混迷したため、断念。帰国し、同志「ハヤシ」とともに「特別義勇隊」の設立に動く。この「特別義勇隊」は打って変わって右翼的な側面から動こうとする、武装集団で、北朝鮮の日本人拉致とか、オウム真理教による松本サリ事件などに対抗できない、日本の官憲に代わって具体的行動を起こすことを目的としていた。


オウムが地下鉄サリン事件のような大規模なテロを起こすに至っても動こうとしない警察に業を煮やした彼らは警察のトップである国松長官を暗殺することで、オウムの仕業と見せかけて警察がオウムの捜査に本腰を入れる起爆剤としてこの暗殺を思い立ったのであった。


読んでいると中村泰のすごさがわかる。全然勉強しているそぶりを見せないまま東大に合格する天才的頭脳、実弟の証言によれば、敗戦前から「日本はAボム(atomic bomb:原爆)で敗ける」といっていたという(そんな一般民間人が知りようのない第一級の秘密兵器の情報をどこから仕入れていたのか?)情報収集能力、機械いじりが得意で果てには金庫破りまで習得し、後には一流のスナイパーになるが、その金の出所も金庫破りで得た資金を先物取引で増やしたというのだから凄い。



彼等「特別義勇隊」は国家転覆を目論む集団ではなかったようだ。オウム主導による事件が悪質化、表面化する中で、中村は警察のオウムに対する捜査動向がどうなっているかを調べるために警察庁に潜り込んで諜報活動を行っていたのである。埼玉県警のOBを装って警察に侵入し、ピッキングなどであちこち探っているうちに偶然警察官僚の住所録をたまたまみつけていたのだ。


この工作員は一体何物だ?読んでいるうちに思い当たるものが。


そう「陸軍中野学校」だ。「ジョーカーゲーム(過去記事参照 )」を読んで「陸軍中野学校」に興味を持った私は「陸軍中野学校の真実 諜報員たちの戦後」という本も読んでいた。


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「ジョーカーゲーム」のD機関そのまんまの組織が存在していたのだ。「あと10年早く中野学校ができていれば日本は敗戦しなかっただろう」といわれるぐらい洗練された諜報機関であったらしいことが窺い知れる本だった。戦後も中野学校のOBはいたるところで陰に日向に活躍していたようだ。


中村という男はまさに陸軍中野学校の生徒としてうってつけの存在。昭和20年に終戦しているので、東大進学後の彼が中野学校で学ぶことはありえないが、その関係者が「Aボム」のことなどを教えていたかもしれない。


中村が銃器を密輸するために取得した偽のIDの取得法や密輸のノウハウなど、いかに頭が良くても簡単に思いつけるものではない。彼が行った方法はプロの手口である。指南したものがいたのではないか?

「ハヤシ」という謎の同志は彼より若いらしいが、彼こそ中野学校の血脈を受け継ぐ者ではないのか?


中村はのちに時効成立ぎりぎりになって刑事告訴されるも、結局嫌疑不十分で不起訴となっている。本人が「私がやりました」と自白しているにもかかわらず。検察は警察のメンツがつぶれないように大きな貸しを作ったたのだ。今度自分たちの不祥事があったときに穏便にすましてもらうために。


不起訴となった理由の一つに目撃情報や襲撃現場の硝煙反応から中村の身長は低すぎて実行犯と合致しない点が挙げられている。

ちょっと待った。中村がこの狙撃事件の犯人としてクローズアップされるきっかけとなったUFJ銀行襲撃事件では、「シークレットブーツの中敷きを入れ、160センチしかない身長を170センチにみせかけていた」という。


国松長官の狙撃犯は身長170センチ前後とされているが、中村はその時もシークレットブーツを履いていたかどうかは本書では描かれていない。これだけしつこい取材をしている筆者であるから、当然その質問をしたかもしれないが、とにかくこjの本ではその点は明らかではない。


しかし、身長が目撃情報と違って低いからと言ってこれだけの「秘密の暴露」や証拠があるにも関わらず不起訴となったウエアには真犯人は中村よりも背が高い捜査情報で上がっている謎の「ハヤシ」が実行犯である可能性も否定できないからだ。自白しているものの主張を証拠として受け入れないというのも相当おかしい。


その一方、「やっていない」といっている人を冤罪で死刑にする司法。最近の事件でいえば、村木厚子・厚生労働省元局長冤罪事件や小沢さんの秘書石川知裕の調書ねつ造など日本の司法機関は腐りきっている。


 また別の「特別義勇隊」が立ち上がってくれることを期待したい。


440ページの本だったが4時間ほどで一気に読んでしまった。中村という人物をもっと堀下げた本をぜひとも出してほしいものだ。読むべき価値のある本だった。これとは別の観点で書かれている"時効捜査 警察庁長官狙撃事件の深層"も面白いらしいので今度読んでみることにする。