おはようございます。
みなさん、こんなことを考えていませんか?
「人様に迷惑をかけない範囲で、自分の好きなことをやっていい。」
もしくは、
「やることさえちゃんとやっていれば、自分の好きなことをやっていい。」
僕はね、めっちゃ思っていましたよ。
人に迷惑かけなければ好きなことをやっていいって。
でも、ある時それ自体が大間違いだったことに気付いたんです。
何が大間違いだったかというと、「人様に迷惑をかけない」ということ自体が不可能なんです。
今、世界の人口は約73億人です。
こんなにたくさん人がいる世界で誰にも迷惑をかけないで生きるなんて不可能です。
DASH村男
「うぉい!おらは一人無人島で自給自足生活を始めて40年だ!見事に誰にも迷惑をかけねーで40年生活してるっぺよ。うそこぐでねーぞ。」
例えば社会と共存せずにいるこの男性、本当に誰にも迷惑をかけていないのでしょうか?
若い男性が40年、社会と共存して生きていたら、様々な可能性を生み出すでしょう。さらに結婚して子供を産めば、その子供がものすごい社会貢献をする可能性も、新たな発明をする可能性もあるわけです。
つまり、新たな文明の発展という視点から見たら、そもそも社会から離脱して大昔のような生活をされていたら、「迷惑」であり「損失」なのです。
そして、例えば、
この男の住んでいる無人島に、例えば何も知らない29時間テレビのディレクターが、
「おーい、来年の企画は全部この島でやろう!そのためにこの一番見晴らしのいいところに宿舎をつくるぞ!」
と言い出して、トンテンカンテン工事を始めたら、きっとDASH村男はこういうでしょ。
「なーにやってんだ!俺は誰にも迷惑かけずに40年ひっそり暮らしていたのに、この生活を邪魔すんじゃねー!誰にも迷惑をかけてない俺に迷惑をかけるんじゃねー!」
と。
そうです。
「ワタシは誰にも迷惑をかけていません。」という思い込みを前提で生活をしている人は、誰かに迷惑をかけられると無性に腹が立つ。許せない、という状態に陥ります。
逆に、
B-DASH村男
「わしはたくさんの人にきっと迷惑をかけて生きてるんだろうけども、それでもこの無人島生活が好きで好きでやめられなくて、40年も住んでます。本当にありがたや、ありがたや。」
こう思いこんでいる男性の島に、34時間テレビのディレクターが、
「おーい、来年の企画は全部この島でやろう!そのためにこの一番見晴らしのいいところに宿舎をつくるぞ!」
と入ってきたら、B‐DASH村男はこういうでしょう。
「まぁ、40年も好き勝手に生きてこれたんだから、文句言っちゃなんねーべ。いやー、いい生活ができたべー。次は何を生きがいにしようかねー。」
そもそも前提が違うだけでこれだけ視点や見方が変わるのです。
誰にも迷惑をかけないように生きる前提の人は、人に迷惑をかけられると腹が立つし悲しくなる。
「自分はこんなに一生懸命生きているのになんでよ!」と。
逆に、
どんなに気を付けていてもどこかで誰かに迷惑をかけているんだろうなという前提で生きている人は、人に迷惑をかけられても腹立たないし、悲しくならない。
「この人も一生懸命生きているんだろうな。」と。
僕たちは生きているだけでたくさんの人に迷惑をかけています。
今日もきっと誰かに迷惑をかけるでしょう。
明日もきっと誰かに迷惑をかけるでしょう。
今日もきっと誰かに迷惑をかけられるでしょう。
明日もきっと誰かに迷惑をかけられるでしょう。
どうせ、どんな生き方をしたって必ず誰かに迷惑をかけてしまうのです。
それならいっそ好きなことに徹底的にのめり込んでしまってもいいのではないでしょうか?
前提を変えるだけで、人生が豊かになりますよ。
だからといって、わざと迷惑をかけるような人はいないと信じて・・・。
ということで今日は、「そっか。私も誰かに迷惑をかけてしまっているのね」と言いながらポチ!いつも応援ありがとうございます。