「ふ」組、講座最終日

テーマ:

今日は山本ふみこ先生のエッセイ講座の最終回だった。

 

この講座に通っていたみんなの中でこの講座に対する想いがそれぞれあったのだなと改めて感じた一日だった。

 

今日の日をいつかどこかでふっとそれぞれが思い出す日がくるのだろう、そんな予想がずっとあって講座を受けていた。

そこには少しの寂しさと悲しさとそれぞれのこれからのあり方をみるような、再生の気持ちも微かに芽生えた不思議な感情だった。

 

課題の「てぶくろ」を書きながら私は自分のなかで折り合いをつけていた。

書いている時の気持ちというのはその時の感情に突き動かされてしまう、どうしても……。

 

先生の最後の青ペンには、だから

 

後半、もう少しさりげなく。少し濃度があり過ぎるようにも思えます。

 

とあった。(実際の今日のエッセイ

 

そう、書きながら私のこころは泣いていた。自分の気持ちに折り合いをつけるために書いた文章。課題のテーマなんてどっちだってよかったのだ。

講座がなくなると聞いてから、長く受講していた受講生の誰もが同じ気持ちであったろう。

それが、網棚の手袋を見た時にふと、結びついただけのことだ。

 

先生への感謝もさよならも言いたくなかった。そんなことでは私の中は済まなかったから。

 

私はまだ、受け容れられずにいたのだ。

 

この講座がなくなっても書き続けようと決めていた。それが、教えてくれた先生に対しての礼儀だと、恩義だと勝手に思ったから。

 

そして今日講座で次回の講師の発表があった。

 

中上健次を父にもつ中上紀さんという方。

私はこの本が好きだ。

中上健次を凄い書き手だと思っている。

その方のお嬢さんだというので、さっそく本屋に向かった。残念ながら今日は単独の書籍は品切れだった。
そのかわり中に一文書かれている本をみつけた。それはもうひとつの習い事である、国際カウンセラー協会の初詣で訪れることになっている高野山のことが書かれている本であった。

 

色々な点同士が繋がって、一本の線に繋がっているように感じられる。

やはり人生は偶然のように装いながら、全て決められているのだろう。そう思わずにはいられない今日だった。

 

 

 

 

AD