ある会衆に移転した時の話です。
その会衆の長老は巡回区でも用いられ、それが会衆の誇りにもなっている会衆です。雰囲気わかるでしょうかね。
ただその会衆ではローカルルールが多く、また会衆の子供を小学生のうちにバプテスマを受けさせようと指導していました。
当然異議を唱えました。しかしおかげで完全に孤立しました。
親も受けさせたがってたんですね。その長老にそれがいいと言われて。
他の会衆から来た一人の姉妹がこういってくれました。
「会衆全体が桶兄弟の敵にまわっても私は味方よ。」
で、あんまりそんなこと言わないほうがいいですよ、と言いました。
私は自分が正論を言っていると思う限り孤立するのは平気なのです。
しかし私の味方をすることによってその姉妹が会衆で孤立してほしくなかったからです。
私は敵・味方で論じるのは知的でないから好きじゃありません。
しかし私を敵視する人が私に向かってくるのは結構嫌いじゃないのです。
それはこっちを試してくるわけですからね。
いい機会です。
変わっていると思われるでしょうが、私は応援するのもされるのもイマイチぴんと来ないのです。
いくら応援されても自分が間違っているなら自分の間違いを認めます。
応援ゼロでも自分が正しいと思っている限りは主張します。
応援の多寡で自分の主張を変えることはないのです。
ってか応援が多いとかえって態度を変えにくくなるのが嫌なんです。
野球で言うなら甲子園球場の大応援団がいようとも、閑古鳥が鳴く球場でも、
発揮する力が変わるようなことはないと思います。
甲子園で大応援団裏切ったらぼろ糞なんですよね。
井川はそれが嫌で阪神復帰しなかったらしいですから。