株式投資は非聖書的? | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

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「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

今回は普段JW関係ブログであまり話題にならないことを一つ。


JWは賭博を禁止しています。射幸心をあおるということで宝くじもそうです。

それ自体は納得できるのです。宝くじのほうはどうかなと思いますが。


しかし・・・


株式投資はどう考えているでしょうか。

「博打みたいなもんや。」と言って賭博と同じ扱いをしているJWが多いですが、

私は同列に置くことはできないと感じています。


私は故あって商法を勉強したことがあります。

商法は資本主義社会に住むものであるなら知っておいて損はないものです。

さてその中で株式会社について学びます。

そうするといかにそれが道理にかなったものであるかを知ることができます。

そして会社が上場する意味も学びます。

私たちが日常使用する製品のかなりの部分は上場会社製品です。

お世話になっている銀行も上場会社がほとんどです。

経済社会はそういう仕組みで運営されています。


そういう会社のほとんどすべては自社株はもちろんほかの会社の株も持っています。

ではお尋ねします。その会社は博打をしているのですか。

そうではないはずです。私はここでの論点は一つ。

株式を所有することは博打ではないことです。

また会社によっては保有株を売買して運用益を生み出します。

それは自分の持っている商品を得る利益です。

商品を売って利益を売るのが博打ならば、すべての商売は博打です。

「しかし株とは90%は損をし、得をするのは10%だけだ、」と論じる人もいますが、

それは株式投資が博打かどうかという問題とは全く無関係で答えようがありません。


考えてください。

そもそもたとえばある人が弁当屋を始めるというのは博打ですか。

商売はすべて博打的要素がありますがそれはあくまで言葉のあやで

いわゆる世間一般でいう賭博とは違いますね。

「でも失敗するリスクもあるじゃないか。」

仮に台風が近づいているのに大量の食材を購入して大損こいたときに

それは博打に負けたのでしょうか。いいえ、ただのあほです。

世界の状況を見極め株を一つの商品とみなした場合その売買は決して博打ではないでしょう。

それをしないで大損こいて博打だと叫ぶのは愚か者です。


っていうか、経済国家に住んでいながら経済が全く分かっていないのです。


商法を学んだあとで、世界本部には投資部門があることを良心の危機で知った時にさもありなんと思いました。

ただ世界本部の場合は信者が投資に使われているとは知らずに寄付したお金を投資に回した場合、

ある種の横領というか、少なくとも善管義務違反に問われてしかるべきだと思います。

それと投資先が軍需関連企業というのも責任が問われるべき問題ですね。