古今亭志ん輔 日々是凡日 -1232ページ目

焼きどうふ

「おめでとうございます」「はい、おめでとう」着飾った十世馬生師匠の三姉妹が迎えてくれる。馬生師匠のおせち料理は、治子夫人の手料理。中でも・・・「あら、ご苦労さま」そう言って馬生師匠のお内儀さんは勝手口から顔を出した「暑いのに、大変ねえ」「いつも、お世話になってますから」「お中元、何軒回るのか知らないけどね、いいのよ、無理しなくっても」「お内儀さん、あの、正月のおせちの焼きどうふ」「ああ、煮浸し?」「ええ、あれ旨いですよねえ」「あら、ヨイショ?」「いえ、マジマジ・・あれ、どうやって作るんですか?」「なに、本気なの」「美味しいですよ、あれ」旨かった。焼き豆腐を煮て冷やした、ただそれだけなのに、なんだか豆腐らしからぬ、どちらかといえば、たまご焼きの風情があった「そう、ありがとう。あれねえ、こうして煮たら落し蓋したまんま、一晩玄関の所に置いとくの」「玄関がなかったら?」真面目に聞いていた「バカねえ、何処でも良いのよ」「冷蔵庫でも?」「冷蔵庫はダメ、うちもやったことがあるんだけれど、全然駄目、なにかが違うのよ」「そうかあ、じゃあ、暮れまで待たなくっちゃ駄目なんだ」「この時期じゃねえ、あんた、今すぐ飲みたいんでしょう」「はい」「じゃあねえ、煮奴にしてみたら」「ニヤッコ?」「そう、作り方はおんなじ・・焼き豆腐じゃなくって普通の豆腐にしてね、小鍋に入れたらコトコトやってさ、ワーッと来たら、ねぎをのっけて、多めにね。カツブシ掛けてさ。カツブシがウワッっとなって・・暑くっても、汗かきながら、ビール飲んでご覧、美味しいよ」よだれが出て来た・・・確かに売れない二ッ目にとって、盆暮のお付き合いはかなりな負担だった。やめようと思ったことは、一度もなかった。

入船亭扇遊

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先々代の文治師匠の告別式は晴れていた。二ッ目になって間もなくのことだった。帰る道々二人は話した「ねえ、このまんま、毎日飲んでてもしょうがないんじゃない」「そうかなあ、なるようにしかならないんじゃない」取越苦労の人間と現実主義の二人だった「いや、会をやろうよ。やった方が良いよ」「でも、お客さんが集まんないんじゃない」「集めるんだよ」「無理だよ」「・・・」二人とも不安だった。「兎に角、会場を探そう」「いつ?」「これから」「・・・」池袋に着いていた「あるじゃない、ホールの看板が」東口を出て間もなくの所、左側に『タカムラホール』と書いてあった「知ってんの?」「知らない」「いいの?」「いいよ」・・・「そうですねえ、うちは小唄の会なんかに良く使ってもらってますよ」説明を受けた。座敷が広く取ってある、誰も知らないだろうなあ、こんな所。なんでも一級を望む時期だった。『志ん輔・扇遊の会』は今回で77回24年目を迎える。

桂 才賀

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「エッ、こりゃ今度、ウチに入った馬鹿野郎でゲス」そう言って、先々代の文治師匠は新入りの前座を紹介した。文治師匠と正蔵師匠は隣同士の長屋住まい。稲荷町のこの二人は、良くも悪くも一緒だった。弟子の名前は文太、隣のよし蔵は正蔵師匠のお弟子さんで同期だった。弟子同士はまるで兄弟、いや従兄弟かな?そんな風に育って行く。羨ましかった。下町の、稲荷町の、師匠同士の、隣り合わせの、他人が、噺家の弟子になったことで、そんな関係になっている「いいなあ」そうとしか思えなかった。二人は、師匠の芸風を見事に受け継いだ。なんの欲も感じさせない、今流行っている押し付けの噺ではない、サラッとした芸風になった。文太は才賀に、よし蔵は時蔵になった。才賀さんは踊りや、最近では『金庫破りの源蔵』という創作物を、時蔵さんは、正蔵師匠ゆずりの珍しい噺を引っ提げて動き始めた「こんな人達が寄席には不可欠なんだろうなあ」そういう二人になっていた。浅草の煮込みは、時間をかけて食い頃になった。

柳家禽太夫

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「なんだかそこに、すぐそこに見えて来たんです」「そうか」「それが何は上手く言えないんだけど・・・」「うん・・俺もなんだか分からないけど、分かるような気はするよ」真打昇進の決定を辞退した禽太夫さんだった。一刻も早く真打になりたいのが当り前の落語界だった。芸や腕はそっち退け、兎に角早くなりたい、どんな手を使っても・・・こんな人間が多くいる中の決断だった。そして、再び禽太夫に真打の話が戻ってくることは無い、そんな時間が経っていた「成れる時に成っときゃ良かったんだよ」「そうそう、協会の決定なんだから」そんな楽屋雀のさえずりが、方々から聞こえて来た。そして、雀の声さえ聞こえなくなった『小のり改め柳家禽太夫真打昇進披露興行』が行われたのはずっと後だったが、後輩達と居並ぶ禽太夫さんの顔には、確固たる自信と確信が漲っていた。

林家時蔵

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一升瓶を抱えた男が独り、黙々と飲んでいた。居酒屋には似合わないピンクレディーの歌が、有線から流れて来ていた。瓶から茶碗に注いではグビリ、グビリ、と飲んでいた。その静かな勢いに、口まで運ばれた酒は、潔く男の腹へと入って行った。飲んでも飲んでも酔態にならない。毅然として仲間を見守っている。その内に、仲間同士で口喧嘩になった。よくあることだった。喧嘩している二人は、その男よりかなり先輩だった。声が段々大きくなった。なかなか喧嘩を止めない二人を見かねた男は口を開いた。そして静かに言った「止めな」先輩の二人は喧嘩を止めた。通夜のような宴会が続いた。その男の飲み方は依然としていた。