お父さんとお母さんは、明日朝、一度家に帰ることになった。
それくらい、ゆいの状態は落ち着いていた・・・
考えてみれば、ゆいはすごく手のかからない子だった。
生まれた時からそうだった。
私は、ゆいが初めての子だけどそう思う。
泣き声も小さかったし、泣いても抱っこすればすぐ泣き止む。
お菓子もおもちゃも「ちょうだい」っていうと、すぐに「どうぞ~」ってあげる
優しい子だ。
私は、こどもは規則正しい生活をするのが当たり前、こどもはこうでなくちゃいけないと結構私の型にはめた育て方をしてたと思う。
入院してからは、病気のせいで眠れなくて、でもそれ以外で困ったことはない。
いい子になんてならなくていいのに、もっともっとわがまま言えばいいのに、
ゆいは小さいながらもまわりをよく見て、親にも気を使ってたんだと思う。
それなのに私は、
「ゆいは抱っこして指しゃぶりさえできれば満足なんです!」ってよく言ってた。
1才の子がそんなんで満足するわけない。
それで、満足するしかなかったのに・・・
もっとなんか自由にすればよかったな・・・
17時、酸素3リットルで安定してたのに、時々SPO2が92を切って警報音が
鳴るようになった。
そのたびに、酸素を4リットル5リットルに上げたりして、SPO2が戻れば
また3リットルに戻す。
それをくり返していた。
5リットルのままにしておけばいいのかもしれないが、5リットルって小さい
マスクから結構すごい勢いで酸素が出てる。
それが逆に苦しそうで・・・
心拍は少し下がって170前後。
モニターを見ながら、なにかおかしい・・・って思った。
ゆいは変わらず目を閉じたまま、全身を使って一生懸命呼吸してた。
部屋には、ゆい、私、父ちゃん、旦那のお父さん、お母さん、義姉がいて、
みんなゆいを見ていた。
そこに、看護師Oさんたちが来た。
Oさんたちはこの4月に入った1年目の新人看護師さん。
担当してもらうことはなかったけど、Oさんは若くて、かわいくて、真面目で
よくいじめてた。(笑)
今月、病棟の忘年会で1年生恒例の出し物をしないといけないって前々から
話を聞いていた。
小児科病棟の新人看護師さんは6名。
「絶対今年はAKBじゃろ~「会いたかった」とか海坊主教授の前で歌ったら喜ぶで~」って話してた。
「踊りが完成したら、ゆいと私が採点するけん見せてね~」ってえらそうに
言ってた。(笑)
「AKB ゆいちゃんとお母さんに見てもらおうと思って・・・」って、
こんな時にすみません・・・って感じだった。
「お~~完成したんじゃ~踊って!踊って!」
曲はAKBの「ヘビーローテーション」
今日日勤だった新人看護師さん3人で歌って踊ってくれた。
それがみんな恥ずかしがらず踊って、見てる私たちが恥ずかしかった。(笑)
お父さんとお母さんはかなりびっくりしてた・・・(笑)
でも、すごい楽しかった。
ゆいが最後に聞いたのはこの曲だった。
歌ってる最中は心拍が少し上がったような・・・
だから、AKBはあまり知らないけど、「ヘビーローテーション」は好き!!
ありがとう!Oさんたち。
18時30分、ゆいも落ち着いてるので私は病棟のお風呂に入った。
なんとなく胸騒ぎがして、急いで部屋に戻る。
私が戻って少ししてから、再びSPO2が92を切るようになる。
酸素を上げるがなかなか戻らない。
今日の夜勤の担当看護師さんはMさんだった。
Mさんが聴診器で胸の音を聞く。
肺に空気が入ってない・・・
左肺の上の方だけなんとか少し聞こえる・・・
体位を変えてみようっていろいろ試してみるが、SPO2は上がっても93.
すぐに警報音がなる。
抱っこしてみても同じだった。
布団を丸めて囲んで座位にすると、なんとかSPO2は94で止まってくれた。
酸素は5リットル。
ゆいはイスに座った社長のようだった。
おかしい・・・
今までとは何かが違う・・・
ゆい、がんばれ・・・
お兄ちゃんが来た。
ゆいの姿勢を見てびっくりしてる。
20時30分ばあちゃんが来た。
ばあちゃんが
「ゆいちゃん、ばあちゃんきたよ。
ゆいちゃん、リキちゃんどこおる?」って声をかけると、
「ウ~ン、ウ~ン」って必死に手を動かしてその方向を指さそうとしてる・・・
それから急に、SPO2が下がり始める。
まるでばあちゃんを待っていたかのように・・・
すぐにナースコール。
Mさんがゆいの様子を見て、先生を呼びに行った。
私は、ベッドに上がっていつのまにかゆいを抱っこしてた。
主治医T先生が来て、聴診器で胸の音を聞いた。
「酸素全開にして!」ってMさんに指示してる。
ゆいは目を閉じたままうなり声をあげていた。
酸素全開にしてなんとかSPO2が90で止まってる・・・
どれくらい時間がたったんだろう・・・
家族みんながベッドの回りを囲んでる。
今まで、動きもしなかったのに、手を一生懸命動かしてる。
「いや、いや」って感じで手をふってる・・・
私が、手を握ってもそれを振りほどこうとする。
研修医N先生が来た。
手を握って何か言ってる。
ゆいの担当看護師Hさんも来た。
連絡をうけて急いで来てくれたみたいで、ハァーハァーと息づかいが聞こえた。
Hさんも手を握って何か言ってる。
私は「みんなおるよ、ゆい、だから・・・」って言ったと思う。
ゆいは、N先生も、Hさんの手も振りほどこうとする。
私が、また手を握ると、やっぱり振りほどこうとする。
「いや、いや、死にたくない」って訴えてるようだった・・・
父ちゃんが、手を握った。
すると、それを待っていたかのように手を動かさなくなった。
ゆいは父ちゃんの手を握ってた。
「ちゃーちゃんは抱っこしてるでしょ。だから手は父ちゃんがいい」
と思ったのかな。
体は力なくダランってしてた。
上体を起こそうとするが、むずかしい。
心拍はあっという間に90を切った・・・
さっきまで全力で走ってたのに・・・
ここまで一生懸命全速力で走って、もう限界だ・・・
SPO2も下がりだし警報音が鳴ってる・・・
酸素全開(10リットル)はすごい勢いだった。
父ちゃんがもう1つの手でマスクを持ってた。
ゆいは吸えないのに、すごい勢いで酸素が出てるマスクをあてられ、何度も
「ウエッ ウエッ」ってなってた。
その顔を見て、私は父ちゃんに「酸素マスク離して!」って言った。
離した途端、SPO2はどんどん下がっていく・・・
私は、父ちゃんが持ってたマスクを奪い取ってゆいの口にあてる。
離したり、あてたり、そのくり返しだった・・・
「ちゃーちゃんから離れてどこ行くん?」
ちゃーちゃんいないと泣いてばかりなのに・・・
ご飯も食べれないのに・・・
寝ることもできないのに・・・
1人で何もできないのに・・・
ずっとずっと一緒だったのに・・・
ちゃーちゃんいないとダメじゃん!
「どこ行くん?」
こればっか言ってたと思う。
でも、これは違った。
私がゆいがいないとダメなんだ。
ゆいがいないと何にもおもしろくない。
楽しい悲しいそんな思いもわかない。
日々の生活何も感じない。
それをあの日からずっと今も実感してる。
SPO2は85
心拍は50を切っていた。
ゆいは涙を流してた・・・
お兄ちゃんが、「○○も○○くんもゆいにちゃんと何か言ってやれ!ちゃんと
ありがとうって言ってやれ!」って言ったが、
私も、旦那も何も言えなかった・・・
ありがとう・・・ちがう、ありがとうなんか言いたくない。
死なないでくれ これだけだった。
モニターの警報音がうるさいので、看護師Mさんがモニターを切った。
亡くなる直前10秒か20秒かゆいは、歯を食いしばって顔を真っ赤にして苦しんでた。
その姿を見て、「ごめん ごめん」ってこんな時でも私は抱きしめることしかできなかった。
腕の中のゆいは、全身を硬直させ苦しんでた。
今もその感覚ははっきり覚えてる。
絶対忘れてはいけない。
固まった体がまたダランっとなった。
主治医T先生が聴診器をあててる。
それからすぐにこんな言葉が聞こえた。
「ゆいちゃん 午後9時58分 天国へ旅立たれました。」
9時58分・・・
最近寝るのが遅くなってだいたいこの時間になってたな・・・
いつも寝ていた時間に永遠の眠りについた。