女優特集最後は吉永小百合さんです!! | yohei myblog(赤裸々ブログ)

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吉永 小百合(よしなが さゆり、本名:岡田小百合(おかだ さゆり)、1945年3月13日 - )は、東京都渋谷区代々木西原町(当時)出身の女優である。そのファンは、「サユリスト」と呼ばれる。吉田正(作曲家)の門下生として、数多くのレコードを出している。身長157cm。



経歴
1957年(昭和32年) - 渋谷区立西原小学校6年生の時、ラジオ東京(現 TBSラジオ)の連続ラジオドラマ『山犬少年』と『赤胴鈴之助』でデビュー。10月、ラジオ東京制作のテレビドラマ『赤胴鈴之助』でテレビデビュー。
1959年(昭和34年) - 『朝を呼ぶ口笛』で映画デビュー。
1960年(昭和35年) - 渋谷区立代々木中学校卒業、東京都立駒場高等学校入学。
1961年(昭和36年) - 精華学園女子高等学校(現 東海大学付属望洋高等学校)転入学。
1962年(昭和37年) - 高校在学中、『キューポラのある街』(浦山桐郎監督)にヒロイン役で出演。ビクターから『寒い朝』でレコードデビューし20万枚のヒット。橋幸夫とのデュエットで30万枚の大ヒットとなった『いつでも夢を』で「第4回日本レコード大賞」受賞。この頃から日活の清純派女優として浜田光夫とコンビを組む。同年3月31日からイタリアのミラノで開かれた「ミラノ国際見本市」の中で、4月15日から4月19日まで開催された『ミラノ日本映画見本市』のため、4月10日、清水雅(東宝社長)を団長として、川喜多長政、奥山融、そして、他の映画会社各社代表女優の佐久間良子(東映)、星由里子(東宝)らと共に日活代表女優としてイタリアへ出発。岸惠子が日本からではなく現地参加でミラノで合流している。吉永は星と共にヴェネツィアも訪れている。4月25日、帰国。当時はまだ海外渡航自由化の前で、貴重なヨーロッパ訪問となった。帰国時の写真が現存する。
1965年(昭和40年) - 大学入学資格検定に全科目合格は出来なかったが早稲田大学に高卒と同等以上の学力があると認められ第二文学部史学科西洋史専修に入学(俳優業多忙の為、精華学園女子は中退していた)。
1969年(昭和44年) - 多忙な中、早稲田大学第二文学部史学科を正規の4年間、しかも次席で卒業。日活を退社。
1973年(昭和48年) - フジテレビの岡田太郎ディレクター(のち、共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任)と結婚。15歳差だった。
1985年(昭和60年) - 『おはん』、『天国の駅』の演技で、「日本アカデミー賞最優秀主演女優賞」初受賞。以降、1989年(平成元年)、2001年(平成13年)、2006年(平成18年)と、最優秀主演女優賞を計4度受賞している。
1988年(昭和63年) - 『つる-鶴-』(市川崑監督)に主演し、映画出演は通算100作品となる。
1997年(平成9年) - 朗読CD『第二楽章』で「第39回日本レコード大賞企画賞」受賞。
2002年(平成14年) - 平和記念資料館(広島市)に導入された音声ガイドのナレーションをボランティアで担当。
2003年(平成15年) - 上記ナレーションや、同じくボランティアである原爆詩の朗読などの平和活動が評価され、「第15回谷本清平和賞」受賞。
2005年(平成17年) - 第56回NHK紅白歌合戦では、山梨県からの中継で原爆詩を朗読した。
2006年(平成18年) - 紫綬褒章、受章
2008年(平成20年) - 2月に主演映画『母べえ』がベルリン国際映画祭出品のためベルリンへ往く。
2010年(平成22年) - 文化功労者。
人物 [編集]
父の吉永芳之(鹿児島県出身)は、九州耐火煉瓦、外務省嘱託をへて、出版社「シネ・ロマンス社」を経営。飯島正、双葉十三郎らと映画ファン雑誌「シネ・ロマンス」を刊行するも、事業に失敗している。
母方の祖父は、英文出版社の大観社社長の川田友之。叔母に『婦人画報』編集長、「アムネスティ・インターナショナル日本支部」の創設メンバーであった川田泰代がいる。
「日活の看板女優」として、浜田光夫と共に1960年代の日本映画界に一大旋風を巻き起こした。従来の男性アクション映画路線がマンネリ化していた当時の日活にとって、吉永・浜田コンビの純愛&青春映画路線は、新たな日活映画ファンの獲得と支持を集めた。特に、『キューポラのある街』、ベストセラーを映画化した『愛と死をみつめて』などは話題となった。
ブロマイドが爆発的に売れ、1964年(昭和39年)、1968年(昭和43年)、1969年(昭和44年)と、年間売上実績で女性部門1位に輝いた。彼女と共に青春時代を歩んだ世代に「サユリスト」と呼ばれるファンが多い。有名人ではタモリ、野坂昭如らが有名である。
吉永主演映画の原作者でもある川端康成、石坂洋次郎といった大作家にも非常に気に入られ、川端は吉永に会いたいために山奥の伊豆の踊子のロケ現場を突然訪ね、石坂は吉永が演じることを想定して作品を書いた。
日本映画の衰退期と重なったこともあるが、結婚相手が15歳も年上の業界関係者で役柄のイメージに合わず、結婚に反対する両親との仲違いも報道されたりもした。1973年当時の邦画界には、ヌードも辞さず大胆に現代女性を演じる若手女優が多数登場しており、吉永が1960年代に演じ続けた「清純なお嬢さん」像は類型的で古臭い印象になってしまっていた。子役出身の俳優にしばしば見られるように、娘役から大人の女性への脱皮がスムーズに行かなかったともいえる。1975年(昭和50年)、『青春の門』で初めて「清純なお嬢さん」を脱する演技を披露した。
デビュー時代以外はテレビドラマには縁の無い印象であるが、映画出演の減り始めた時期に、「東芝日曜劇場」やNHK大河ドラマにも出演している。1981年(昭和56年)の『夢千代日記』(NHK)では、大人の女性としての情感を豊かに表現して話題となる。この時期から、評論家に演技力に難をつけられながらも、大女優の風格をもつ女優という評価を受け始めた。「サユリスト」復権も同時期であり、邦画冬の時代にも定期的に出演作が製作され、現在に至る。
広島を舞台にした『愛と死の記録』の出演や、『夢千代日記』(NHK)で原爆症に苦しむ主人公を演じたことをきっかけに、1986年(昭和61年)からボランティアで原爆詩の朗読会をスタートさせている。現在では女優としての活動のほか、反戦・反核運動をライフワークとしている。
最近のテレビ出演はほぼCMのみであり、映画中心に活動している。
確定申告手続で各社の取材を受けた際、同席していた当時の大蔵大臣に「この税金は戦闘機を買う費用に使ったりせず、もっと国民のためになることに使って欲しい」と釘を刺した。
西武ライオンズと早稲田大学ラグビー部のファンとして有名である。前者については、1996年オフの清原和博の読売ジャイアンツ移籍について、「あの時(1987年の対ジャイアンツ戦で日本一を決めた、日本シリーズ第6戦のこと)の涙は何だったの」とコメントしていた。この結果、清原ファンをやめている(西武ファンは継続)。また、清原も吉永のファンである。
夫から教わった将棋も趣味の一つとしており、将棋棋士の大内延介と交遊があった。また、1976年の「将棋会館」建設にあたって多額の寄付をしている。
『吉永小百合 街ものがたり』(TBSラジオ)の中で、鉄道ファンであることも告白した。
2005年、西武鉄道グループ(西武ライオンズを含む)の当時のオーナーであり、吉永のファンでもあった堤義明から軽井沢の別荘を格安で買ったと報じられた(週刊文春2005年3月10日号)。吉永は「通常の売買契約に基づき行っております」と弁明している。
健康維持のために水泳を永年続けており、常に水着を持参し、プールがあればどこでも泳いでいる。
特記事項 [編集]
吉永が歌った『奈良の春日野』(「♪フンフンフーン 黒豆や♪」の歌詞が特徴的)は、元々1965年(昭和40年)に発売されたシングル『天満橋から』(第16回NHK紅白歌合戦出場曲)のB面曲であったが、1987年(昭和62年)に明石家さんまがギャグとして取り上げたことから、レコードも再発売(A面を『奈良の春日野』に変更)されヒットした。
1970年(昭和45年)封切の松竹『青春大全集』では初のキスシーンを松橋登と演じた。
三波春夫の曲と思われがちの『世界の国からこんにちは』のレコードを、日本万国博覧会当時に出している(全部で7種類の歌い手による競作であった)。同博覧会開催の数年前に、この歌が初めてマスコミに発表された時も三波春夫ではなく吉永がその場で歌っている。また、松下電器産業が博覧会を記念して制作したタイムカプセルには、吉永が歌ったレコードが納められた。
早稲田大学での卒業論文のテーマは「アイスキュロスの『縛られたプロメテウス』におけるアテネ(アテナイ)の民主制について」であった。
和田アキ子と旅行した時に互いに写真を写し合いした際、和田の顔を見た吉永は「和田さんって私と似てますね」と言ったという(和田はそのことを他人に自慢しても信じてくれないと自虐ネタにすることがある)。
水島新司の漫画『あぶさん』にも、1993年シーズンの開幕戦に西武球場に観戦に来るなど登場する。
サユリスト [編集]
吉永のファンは「サユリスト」(『小百合』に『…主義者』や『人』を意味する英語の接尾辞『-ist』をつけた造語)と言われるが、「サユリスト」を自認する者は邦画ファンや一般大衆はもとより、芸能人や著名人にも幅広く存在している。

「サユリスト」を自認する、吉永と同じ年齢のタモリは、同じく「サユリスト」として知られる野坂昭如を指して「あの人は一時、山口百恵に走ったが、俺は小百合サマ一筋」と述べたことがある。タモリと吉永は早稲田大学に在学していた時期が重なっており、学生食堂で吉永が食事しているのを偶然に発見した際、吉永の食べ残しを食べようか迷った末、思いとどまったというエピソードがある。ちなみに、タモリが30年近く司会をしている『森田一義アワー 笑っていいとも!』の、通算6700回を超える人気コーナー「テレフォンショッキング」には、2010年現在において吉永はまだ一度も生出演したことがない。
やはり早稲田大学の後輩である小宮山悟も「サユリスト」の一人である。
漫談家の綾小路きみまろも「サユリスト」を自認する人物の一人。また、吉永も綾小路のファンであり、吉永の主演映画『まぼろしの邪馬台国』では、吉永の希望によって綾小路に出演依頼を行い、綾小路は「サユリストの1人としてぜひ」と快諾。なお、綾小路にとってはこれが実質的な俳優としてのデビュー作である。




映画
※太字の題名はキネマ旬報ベストテンにランクインした作品

デビュー作
朝を呼ぶ口笛(1959年、松竹大船)
主演(日活) [編集]
ガラスの中の少女(1960年)
1988年、後藤久美子と吉田栄作でリメイクされる
花と娘と白い道(1961年)
青い芽の素顔(1961年)
草を刈る娘(1961年)
赤い蕾と白い花(1962年)
あすの花嫁(1962年)
ひとりぼっちの二人だが(1962年)
若い人(1962年)
1977年、桜田淳子と小野寺昭でリメイクされる。
キューポラのある街(1962年、東野英治郎主演)
伊豆の踊子(1963年、高橋英樹主演)
1974年、山口百恵と三浦友和でリメイクされる。
泥だらけの純情(1963年)
1977年、山口百恵と三浦友和でリメイクされる。詳細は『泥だらけの純情_(1977年の映画)』を参照
青い山脈(1963年)
雨の中に消えて(1963年)
若い東京の屋根の下(1963年)
美しい暦(1963年)
波浮の港(1963年)
光る海(1963年)
愛と死をみつめて(1964年、浜田光夫主演)
こんにちわ20才(1964年)
こんにちは赤ちゃん(1964年)
潮騒(1964年)
風と樹と空と(1964年)
うず潮(1964年)
悲しき別れの歌(1965年)
未成年 続・キューポラのある街(1965年)
青春のお通り(1965年)
明日は咲こう花咲こう(1965年)
父と娘の歌(1965年)  
大空に乾杯(1966年)
青春のお通り 愛して泣いて突っ走れ(1966年)
風車のある街(1966年)
私、違っているかしら(1966年)
青春の海(1967年)
恋のハイウェイ(1967年)
君が青春のとき(1967年)
斜陽のおもかげ(1967年)
花の恋人たち(1968年)
青春の風(1968年)
だれの椅子?(1968年)
あゝひめゆりの塔(1968年)
花ひらく娘たち(1969年)
主演(日活卒業後) [編集]
幕末(1970年、中村プロ、お良役)
風の慕情(1970年、松竹大船)
青春大全集(1970年、松竹大船)
戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河(1971年、日活)
男はつらいよ 柴又慕情(1972年、松竹大船、渥美清主演)
戦争と人間 第三部 完結篇(1973年、日活)
男はつらいよ 寅次郎恋やつれ(1974年、松竹大船、渥美清主演)
青春の門(1975年、東宝、伊吹タエ役)
皇帝のいない八月(1978年、松竹)
衝動殺人 息子よ(1979年、松竹)
動乱(1980年、東映、高倉健主演)
海峡(1982年、東宝、高倉健主演)
細雪(1983年、東宝、蒔岡雪子役)
天国の駅 HEAVEN STATION(1984年、東映)
おはん(1984年、東宝)
夢千代日記(1985年、東映)
玄海つれづれ節(1986年、東映)
映画女優(1987年、東宝)
つる-鶴-(1988年、東宝)
華の乱(1988年、東映、与謝野晶子役)
外科室(1992年、東映)
天国の大罪(1992年、東映)
夢の女(1993年、松竹)
女ざかり(1994年、松竹)
霧の子午線(1996年、東映、沢田八重役)
時雨の記(1998年、東映)
長崎ぶらぶら節(2000年、東映)
千年の恋 ひかる源氏物語(2002年、東映、紫式部役)
北の零年(2005年、東映)
母べえ(2008年、松竹)
まぼろしの邪馬台国(2008年、東映、宮崎和子・卑弥呼役)
おとうと(2009年、松竹)




その他
まぼろし探偵 地底人襲来(1960年、新東宝 吉野さくら役)
龍の子太郎(1979年、東映動画 龍役)
手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ!美しく- (ナレーション/チャプラの母)




テレビ
ドラマ
赤胴鈴之助(1957年 - 1959年、KRテレビ)
まぼろし探偵(1959年 - 1960年、KRテレビ)
映像が現存し、DVDも発売されている。
SOSパリ(1959年 - 1960年、日本テレビ)
わが心のかもめ(1966年、NHK)
シオノギテレビ劇場(フジテレビ)
また逢う日まで(1966年)
その時、私は…(1967年)
愛情について 最終回「葉桜」(1967年)
はだしの太陽(1967年、NHK)
ナショナル劇場(TBS)
娘たちはいま(1967年 - 1968年)
はーいただいま(1968年)
日産スター劇場(日本テレビ)
夏みかんのような娘(1968年)
風の中を吹く(1969年、日本テレビ)
東芝日曜劇場(TBS)
24才 その7(1969年)
水ぐるま(1969年)
二代目(1970年)
二人の縁(1970年)
下町の女(1970年 - 1974年)
鶴は帰りぬ(1971年)
亜希子(1971年)
あだこ(1972年)
つゆのひぬま(1973年)
白い花匂う(1975年)
誰も知らない愛(1975年)
春のゆくえ(1976年、毎日放送)
乙姫先生(1976年、北海道放送)
白い闇(1977年)
張込み(1970年)
緑の炎(1978年、RKB毎日放送)
不断草(1980年)
小ぬか雨(1980年)
愛ある限り(1969年、フジテレビ)
銀河ドラマ(NHK)
混戦模様(1969年)
樅ノ木は残った(1970年、NHK)
春の雪(1970年、フジテレビ)
女人平家(1971年 - 1972年、朝日放送)
はーい ただいま(1972年、TBS)
国境のない伝記 クーデンホーフ家の人びと(1973年、NHK)
愛をください(1974年、TBS)
寿の日(1975年、TBS) TBS開局20周年記念番組 若尾文子・浅丘ルリ子・中村勘三郎・尾上松録と共演
風と雲と虹と(1976年、NHK)
新・座頭市 第14話「雪の別れ路」(1977年、フジテレビ)
海は甦える(1977年、TBS)
南十字星 コルネリアお雪異聞 わたしの山田長政(1978年、朝日放送)
鮎のうた(1979年 - 1980年、NHK)
夢千代日記(1981年 - 1984年、NHK)
一死、大罪を謝す(1981年、フジテレビ)
茜色の坂(1981年、朝日放送)
吉田茂(1983年、関西テレビ)
春までの祭(1989年、フジテレビ)




その他
スター千一夜(フジテレビ) - 司会、ゲスト
NHK紅白歌合戦(NHK)
ミュージックフェア(フジテレビ) - ゲスト
日本歌謡大賞(フジテレビ) -1972年度司会
FNS歌謡祭(フジテレビ) - 司会
今夜は最高!(日本テレビ) - ゲスト
徹子の部屋(テレビ朝日) - ゲスト
吉永小百合ショー(1966年、日本テレビ)
YOU「青春プレイバック」(1983年9月24日、NHK) - ゲスト
この人吉永小百合ショー(1985年6月6日、NHK)
ミツコ 二つの世紀末(1987年、NHK)
おしゃれカンケイ(1996年1月6日、日本テレビ) - ゲスト
祈るように語り続けたい(1997年・1999年・2000年、NHK-BS2)
NNNドキュメント「チンチン電車と女学生 2003・夏・ヒロシマ」(2003年、広島テレビ) - 語り
特別対談番組「吉永小百合 石井ふく子 34年の絆」~山本周五郎生誕100年記念によせて~(2003年、TBSチャンネル)
戦後60年特別企画「ヒロシマ」(2005年8月5日、TBS) - 朗読
Dのゲキジョー(2006年1月13日、フジテレビ) - ゲスト
言葉で平和を紡ぎたい(2007年8月9日、NHK)
週刊ブックレビュー(2008年4月12日、NHK-BS2) - ゲスト
吉永小百合 被爆65年の広島・長崎(2010年8月6日、NHK総合)





ラジオ
ドラマ
山犬少年(1957年1月 - 2月、ラジオ東京)
赤胴鈴之助(1957年1月 - 1959年2月、ラジオ東京)
まぼろし探偵(1959年2月 - 1960年10月、ラジオ東京)
人の知らない花(1962年8月 - 9月、TBSラジオ)
お父さん!大好き(1962年9月 - 1964年3月、ニッポン放送)
小百合は大学一年生(1964年4月 - 1965年1月、ニッポン放送)
白鷺の飛ぶ日に…(1965年4月、NHK第1)
二十歳(1966年1月、NHK第1)
斜陽のおもかげ(1967年、文化放送)
銀のしずく降る降る(1983年6月、NHK第1)
マディソン郡の橋(1993年12月、ニッポン放送)




その他
お早う吉永小百合です(1967年 - 不明、文化放送)
吉永小百合 街ものがたり(1997年4月 - 2004年3月、TBSラジオ)
今晩は 吉永小百合です(2005年10月 - 、TBSラジオ)




CM
桃谷順天館 「明色アストリンゼン」
カルピス
トヨタ自動車 「トヨタ・クラウン」(1973年 - 1983年)
リコー 「マイツール」
JR東日本 「大人の休日倶楽部」
日本生命
公共広告機構(現:ACジャパン) 
シャープ 「AQUOS」(液晶テレビ、ブルーレイディスクレコーダー)、太陽光発電システム
カゴメ 植物性乳酸菌「ラブレ」、野菜ジュースほか ※雪印時代から出演



三井ホーム
音楽CD
吉永小百合ヒットソング(1962年)
小百合ちゃんの夢のピアノ・アルバム(1965年)
吉永小百合リサイタル~詩人~(1966年)
吉永小百合ベストヒット 愛の世界(1967年)
吉永小百合とともに(1967年)※ライブ・アルバム
ふるさとのおもちゃの唄(2007年)
吉永小百合映画歌謡曲(日活編)(2008年)※日活映画に残した歌声を映画音源から収録(全67曲)。
NHK紅白歌合戦出場歴(歌手として) [編集]
第13回 (1962年12月31日、東京宝塚劇場)…『寒い朝』
第14回 (1963年12月31日、東京宝塚劇場)…『伊豆の踊子』
第15回 (1964年12月31日、東京宝塚劇場)…『瀬戸のうず潮』
第16回 (1965年12月31日、東京宝塚劇場)…『天満橋から』
第17回 (1966年12月31日、東京宝塚劇場)…『勇気あるもの』
このうち、第14回・第16回・第17回は吉永の歌の映像が現存する(第16回はカラー映像)。
そして、第15回は吉永の歌のラジオ中継の音声が現存する。




朗読CD
第二楽章(1997年) - 広島の原爆詩を朗読
第二楽章・長崎から(1999年)
第二楽章・沖縄から「ウミガメと少年」(2006年) - 野坂昭如の戦争童話集を朗読
『第二楽章 : ヒロシマの風』(男鹿和雄画、角川文庫、2000年)
『第二楽章長崎から : 画文集』(男鹿和雄画、講談社、2000年)がある。




書籍
著書
『夢の続き』(世界文化社、2007年)
『Sayuri 吉永小百合アルバム』(マガジンハウス、2004年)
『吉永小百合街ものがたり』(講談社、1999年 / 講談社+α文庫、2003年)
『旅に夢みる』(講談社、2003年)※紀行エッセイ
『夢一途』(主婦と生活社、1988年 / 集英社文庫、1993年)※自伝
新版「人間の記録122」(日本図書センター、2000年)



共著
『憲法を変えて戦争に行こう - という世の中にしないための18人の発言』(岩波ブックレット:岩波書店 2005年、ISBN 4000093576)
井筒和幸・井上ひさし・香山リカ・姜尚中・木村裕一・黒柳徹子・猿谷要・品川正治・辛酸なめ子・田島征三・中村哲・半藤一利・ピーコ・松本侑子・美輪明宏・渡辺えり子と共著。
のち九条の会に賛同。




伝記ほか
片岡義男 『吉永小百合の映画』(東京書籍、2004年)
関川夏央 『昭和が明るかった頃』(文藝春秋 のち文春文庫) - 日活時代が詳しい。



ではきょうのブログは御開きことで10:30よりキャサリン商店を聞きましょう~~~


では皆さんおやすみなさい~~~~~~



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