もううすぐ1年 | 『幸せの種』           

『幸せの種』           

このブログは「続・幸せの処方箋」です。
  ~幸せの処方箋でみんなからもらった「幸せの種」を蒔き、大きな花を咲かせて実った果実を大好きなみんなにお返しできますように~

去年の今頃は・・・

2回目の転移が分かって
実家からでは、放射線治療に通いにくいし
近頃は食事療法もしっかり出来てなかったから、私がウチで母の食事を世話したい。

できる事、もっとやりたい。
もっと一緒に過ごしたい。

父も一緒にこっちに来てもらってって思ったんだけど
父は自分の家を動く気はなくて
母だけが我が家に同居することになりました。

それが6月19日。


去年の今頃は、一緒に暮らしていたんです。


私がキッチンに立ち、キッチンやリビングから見える部屋に
母のベッドがあって。

保育園からギャングが戻ると「あーちゃん(家に)いる?」ってワクワクして
私に叱られると、あーちゃんの処に逃げて行って慰めてもらって

絵本を読んでもらって
一緒におやつを食べて



母の大好物
ビワ、スイカ、ソルダム、柿、栗

スーパーで見つける度に「もうこんな時期なんだ」って悲しみが込み上げる。




あの日、母のモルヒネの量を強くしてほしいと言ったのは私。
意識があるうちに、みんなと会えて
大好きなスイカとソルダムをパパに買いに走ってもらって
口にすることができたから・・・

もう苦しまなくていいよって思ったから
姉と父に相談して
看護師さんに「苦しくないようにしてあげてください」ってお願いした。

苦しくないけどウトウト状態が長く続くようにするか
もう会話はできないけど、死期は近づくけど、眠ったような状態にするか
どちらがいいか尋ねられた。

もう、頑張ったから、楽にしてあげて欲しいとお願いした。




夜になり、ギャングが眠たくなってきたために
ギャングを家で寝かすためにパパが連れてかえろうとすると
泣き始めたので、寝かしつけて急いで私だけ病院に戻ることになり
病室を出て・・・ナースステーションの前に行くと

看護師さんがバタバタしながらモニターを見ていた。
私も病院で働いていたので、それが何なのかは分かった。

戻った方がいい そう思った瞬間、姉から携帯に電話。


「あんたが部屋出た途端、機械が鳴り出したの! はやく戻って!」

部屋に戻ると、機械の音は鳴りやみました。

「かのんちゃん! いかないで! 側にいて!」
母にそう言われた気がしてなりません。


それから少しして母は、最期に大きな息を一つ履いて
旅立ちました。


右目に一粒涙がありました。



去年の今頃、ギャングの保育園で飾る七夕の短冊に願い事を書きました。

「あーちゃんが元気になりますように」

今年も七夕の短冊を描きました。

ギャングに願い事を尋ねると
キョウリュウジャーとあーちゃんに会いたいというので

「夢の中で あーちゃんとキョウリュウジャーに会えますように」と書きました。




ギャングは、夢の中でキョウリュウジャーとあーちゃんに会ったみたいです。
私も会いたいな・・・



もうすぐ1年。
お母さん、みんな頑張ってるよ
私も頑張ってるよ。
わたし、お母さんの娘だから。

だから夢の中に出てきて
いつものオドケタ表情で「流石 私の娘!」って言ってよ。

もうすぐ1年。
会いたいな。