どうやって「その日」を過ごそう・・・ | 『幸せの種』           

『幸せの種』           

このブログは「続・幸せの処方箋」です。
  ~幸せの処方箋でみんなからもらった「幸せの種」を蒔き、大きな花を咲かせて実った果実を大好きなみんなにお返しできますように~

暗い内容です。
嫌な方はスルーしてください。




近所のお庭などにもこいのぼり鯉のぼりがはためくようになりましたね

わが家は残念ながら、マンション住まいなので
鯉のぼりはありませんあせる


保育園の目の前のお宅が
立派な鯉のぼりを5月一杯飾ってくれるので
それで我慢してもらいましょうあせる


そんで、我が家はこれ。

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母の友人に頼んで作ってもらった 兜です兜6

鯉のぼりと、ふくろう(不苦労)、菖蒲付キラキラ



そして、昨年、保育園で作ってきた
鯉のぼり・・・


これ、あーちゃんに見せたくて
あーちゃん家持って行ったね。

ギャングは 口に咥えたり、投げ散らかしていたけど
ちゃ~んと、あーちゃん大事に飾ってくれてたね。


その時の写真は、まだ苦しくて見れないけど
あと、何回か この時期が来たら見れるようになるのかな。



今ね、ちょっと情緒不安定なのかも。

去年の今頃は・・・
「めまいがする」って言ってた母
「もしかして、脳にいってるかも」そう口にした母。

髪の毛が伸びてきたから切ってくれる?と言われ
サンルームでチョキチョキハサミ
髪の毛がついてるからシャワー浴びくると言って戻った母のお腹は
手足の細さに不釣り合いな出方をしていて
もう、すでに腹水が溜まっていたんだよね。


5月の母の日。
食事療法をしていた母でも食べられそうなレストランを見付けて
みんなで食事に行ったんだよ。

5月は母が我が家に療養にきていて
保育園のお弁当の日を忘れていた私が慌ててキャラ弁を作る様子を
キッチンが見える和室のベットから見ていたんだよ。

そして、6月11日。
仕事中の私の携帯に母の元気のない声の留守電。
転移が分かった日。

その日から、毎日母に会った。
15分でも30分でも顔を見せたかった。
一緒にごはんを食べたかった。

6月17日。
これからの生活を考えて、母がウチへ同居することになって


会いたがってたお友達の家に連れて行くことがでいた。
行きたがっていた ギャングの保育園の送り迎えに一緒に行くことができた。
大好きだったシュークリームを食べることができた。
お風呂で背中を洗ってあげることができた。
手足のマッサージをしてあげることができた。
一緒に泣くことができた。
一緒に思い出を語ることができた。
一緒に未来を想像して笑うことができた。


母に思いを伝えられた。
母からの言葉も貰えた。
大好物のスイカ、パパが買いに走ってくれて
スイカも味わえたね・・・


7月10日。他界。



もうすぐ、母と過ごした最後の思い出の日々が来る。
そう思うと・・・ね・・・


わたし、どうやってその日を過ごしたらいいんだろう・・・