末期がんと時間と闘う | 『幸せの種』           

『幸せの種』           

このブログは「続・幸せの処方箋」です。
  ~幸せの処方箋でみんなからもらった「幸せの種」を蒔き、大きな花を咲かせて実った果実を大好きなみんなにお返しできますように~

遂に、母がホスピスを紹介された。

今月11日の検査で
脳や肝臓にたくさん腫瘍ができていて
肝臓のダメージが進んだために腹水がたまり始めていることが分かった。

その日から、我が家はすったもんだの大騒ぎ。
頭の中もゴチャゴチャして
なんとも整理がつかない状態。

それでも、仕事しなきゃ。
それでも、子育てしなきゃ。
頭を整理する時間も、なかなか作れない。
こうしてブログで文字にすることで
少しだけ、整理できるかな。




今の母は脳の腫瘍のせいで、めまいが酷く歩行が困難。
家の中で少しは移動可能で
今まで、簡単な蒸し物などの調理は自分でできていた母だけど
もう、それも厳しい。

検査をした11日から、
毎日、実家に食事を届けたり
仕事の帰りに実家によって、調理をしたりしてきたけれど

ギャングを保育園へ迎えにいく時間を考えると
車で45分の道のりが とってももどかしい。


食事を届けるだけ
少し顔を見に行くだけ
きっと、心細いだろうから行かなきゃ

でも、
家庭があって
子育てをして
仕事をして
介護をしに毎日実家に通うって
やっぱり、シンドイ。
1日24時間じゃ、時間が無さ過ぎる・・・

「大丈夫、なんとかなるから」
そういわれても
家事のほとんどできない父と末期がんの母との生活は
想像が難しくない。

私が顔を出さない時は
トマトをかじるだけなんて日もあると知っているから。



ギャングを迎えに行き
帰宅途中で買い物を済ませ
急いで夕飯の支度と、お風呂の準備。
洗濯ものをたたんでいると、ギャングが手伝って邪魔してくれるけど
あっという間に寝かしつける時間。


今までよりも早く起きるようにした。
早く起きた時間で
仕事をして、昨日できなかった家事を少しでも取り返す。


まだ、今は食事が摂れたり、トイレに行けたり
会話ができる状態だけど
本当に、本当に最期の時が近づいたとき
わたし、どこまで頑張れるかな。


夫は「できる事とできないことがある。一人で抱え込みすぎや」と、言われるけど
でも、やらないっていう選択肢は私の中にはないんだもん。

あと、残された時間は1年、ないんだもん。

わたし、だって
介護福祉士の免許あるんだよ。
ホスピスでも働いていたんだよ。

それなのに、自分の親の面倒みれないなんて。
他人様の大事なお父さんやお母さんのお世話して、最期を看取ってきたのに
自分の親の最期を看取れないとか、そんなこと絶対イヤだもん。



もちろんね、私ひとりじゃ全ての世話をするのは無理だから
介護保険も利用しようと思ったら
父と同居していると、受けられるサービスって本当に少ないんだよね。

同居していると食事の支度もしてもらえない
掃除は寝ている部屋だけとか

父も健康に不安があるし
昔の人なので、家事なんてほとんどできない。

独居なら、お風呂の掃除から、食事の支度、買い物などなどサービス受けられるのにね。


いっそのこと、独居になってしまった方がいいのではないかと本気で思う。



でも、無理らしい。
経済的にも、年金暮らしのガン患者の老夫婦。
治療に毎月とてもお金がかかるのに
どこから家賃分のお金なんかだせるのか・・・


家賃を捻出するために私が、今の仕事をやめて
働きにでようかとも思った。

だけど、私は母を病院へ連れていったり
いろいろ自由に動ける方がいいと思い直してみたり。

またまたそこでも気持ちが揺れる。




そうしたら
やっぱり、私がやるしかないじゃない。
私が、頑張れば済む話じゃない。

やってやろうじゃない。

仕事と自分の家庭と、子育てと
実家通いの介護
やってやろうじゃない。



やってあげてるという つもりはない。
私がやりたいかた、やっているんだけども
でも、たまにね

それが重荷になることがあるのも事実。


そんな自分が悔しくて
どうしてもっと頑張れないのか嫌になる。


でも、やってやろうじゃない。



末期がんと闘う母
時間と闘うわたし

頑張ろう。
今を精一杯頑張ろう。
ただそれだけだね。