子供やペットの思い出の写真 ブログネタ:子供やペットの思い出の写真 参加中


2015・8・03私の大切な大切なタカラモノが旅立ってしまった。


こんな風に笑ってる日もあれば・・・


こんなところに挟まって寝ている日もあった。



逝かないでってギュッと手を握っても・・・


食べられなくなったから大好きなケーキをあげてみても。






行ってしまうなら置いて行かないで。


そう願っても彼は旅立ってしまった。






私の使ってたクッションを枕にしたり。



大好きだから一日も欠かせなかったおやつ。



片付けをしている時に捨てたいのにわざわざ乗っかるいたずら。



妹ぶんのヒッピーとおやつをねだる姿。



新年早々左目に出来た腫瘤を切除する手術も頑張ったのにね。



いつも下からじーっと見つめて。仕事に行くのに置いていくのがつらくなる顔して。



ちょんまげにしようねって伸ばした髪。




私の帰りが遅くってふてくされたようにソファーで待っててくれたね。




君と一緒に見た虹。



君と一緒だから気づけたこんな空も。



もう一緒に見ることは叶わない。



おいでって呼ぶよりもバイバイって言うと何を置いても走ってきてた。


でも病気が判ってからはその習慣もバイバイなんて言うことできなかった。


だって、足がパンパンにむくんで立つことすらつらくなってたのに君は私がちょっと動くと


一生懸命に立ち上がろうとして着いてきてくれてたから。


トイレに行くことすら申し訳なかったくらいに。


もしかしたら君は解ってたのかもしれないね。自分の期限を。


君の病気が判った翌日から私は24時間ずっとそばに居ようと決めて


仕事も遊びもなにもかもキャンセルして1階に降りることも極力避けて


とにかく部屋で2人でいたから・・・


きっと・・・


おかしいな。僕病気なのかな。だからこんなに体が重くてお姉ちゃんもずっといて・・・


時々お風呂に入りに行って僕のもとに戻ったお姉ちゃんはいつも目が真っ赤で・・・


そんな風に伝わってしまったのかも知れないね。



たった8年。NOAHの犬生はそれしかなかった。


他の何を犠牲にしても守りたかったノアが


本当に本当に支えで居てくれたノアが


もういない。


2015年は私にとって悲しすぎるなんて言葉じゃ表しようもない絶望感を知った年になった。


もうホントに神様なんて存在しない。そう思った年になった。


でも、一緒に過ごしてきた8年を思い出すとホントにホントに幸せでホントにホントに楽しかった。


思い出にしがみつくしかないけど


ノアを想って泣く日ばかりだけど


やめるつもりはない。


私はもう心から笑えないだろうけどそれは当たり前のことで。


あまりにも突然に大きな病気になってしまって・・・


定期的に検査もしていたのに・・・


若いと進行が速い。もう大嫌いな言葉だよ。


今年がもう終わるけど


私の中では今がいつなのかさえ正直どうでもよくって。


ただただ1人になってしまったこの部屋が


家を新築して君の過ごしやすいように作ってもらったこの部屋が


君ナシでつらすぎて


キミのものばかりで溢れてたことに1人になって気が付いて。


あー


寂しすぎるよ。


代わりももちろんいないし。


紛れることもない。


自分でもびっくりするくらいに撮りためていたキミの写真も


見たいのに見ると涙が止まらないから


思い出の存在になんてなって欲しくなかった。


ごめんね。守ってあげれなくて


ごめんねずっとそばにいてあげれなくって


ごめんね1人にしてしまって


いつものように待ってて欲しい。必ずいくから。


1人が大嫌いで、とにかく私がいないとダメだったもんね。


心配だよ今でも。


1人で寂しいんじゃないかって。私がこんなに耐えられないからきっとノアも同じだと思うし


一緒に叶えたかったことがたくさんあったのに。


その目標さえももう必要なくなっちゃった。



2015年。


今年は大嫌いで一生忘れることのできない年になっちゃった。


Christmasの記事を書こうにも・・・


今年の自分を振り返るとやっぱりノアしかないわけで。


来年から新しいノアとの1ページはもうないから


自分的日記のつもりで残すかな。


大切な一般的にはペットと呼ばれるけど『家族』を失った人へ


私も尋常じゃない喪失感に押しつぶされそうです。


でも自分がいることで旅立ってしまった子は記憶の中で生きていける。


記憶の中だけでも生きていて欲しいから


存在し続けましょう。


もうそれしかやってあげられないのだから。



幸せだったわたし。バイバイ。

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