うだうだと生きているうち、いつの間にか、還暦を超え、気がついたら今の仕事に就いてから50年近くが経っていた、もう皆無くなってしまった過去の職業になってしまったが、思い出しながら少し書き残してみようと始めて見た、かなり曖昧な所もあるが、思い出せるうち残しておく、何か間違いがあったら指摘して下さい。もう今は消えて行った職人さん達のことものこせるかな?
そもそも何でこの業界に入ったかから始めると、高校1年の時に、訳有って母の親友の家にお世話になることになったのが始まりだった、たまたまそこの家が、画版屋さんだったことからである、画版屋さんには、先生と呼ばれる主人が居りその下に何人ものお弟子さんが働いている、現在で言う版下屋さんである。
当時はまだ写真製版が走りの頃で、オフセットの印刷物のほとんどが手書きの時代であった、そこでは、ジンク板と呼ばれる亜鉛の板にアラビアゴムを溶かした墨で文字や柄を書いて行く、ほとんどが太さの違う何種類もの丸ペンを使って指定された絵柄や文字を書き込んでいた、もちろん筆も何種類も使って、小さい物はマッチや箸袋、大きい物はチラシや包装紙まで印刷物の元判を書いて行く職人さんんお仕事場であった、グラデーションなどは小さな金網の上から筆で墨を飛ばし細かく散らした墨で濃淡を付けて行く、ここから網点という言葉が出来たのかも?
多色刷りの場合は色ごとに版を書いて行く、まずパラフィン紙に書くサイズに鉛筆で図案を書いて行く拡大縮小は元図案をトレースした後そこに格子状に線を入れ別紙に縮小した格子を書きそのマスごとに部分を書き入れるていく、コピー機の無い時代、モチロントレスコープなど存在しない時代である、すべてが手仕事、会社ロゴからイラストなどすべて手書きで書いて行くのである、その後、紅がらという粉を厚手の紙にこすりつけ、カーボン紙の様にその紙をジンク板に置きその上に下書きしたパラフィン紙を置き、先の尖った針状の物で線を擦って行き、ジンク板に下絵を写して行く、色数によって色ごとに何枚も同じ下絵を写し、その色の部分だけをかき分けて行くと分色した版が出来る、浮世絵の木版と同じである、書き終わったジンク板を腐食液を塗り腐食させると元版の出来上がりである、もちろんすべての版にはトンボが入っている、この版で校正刷りもする、本機に掛けるにはこの版から刷判をする、この版からチャイナと呼ばれる紙にゼラチン質の物を用いて印刷用の版に転写、面付け、柄の繰り返しの場合は何枚も作りトンボを基準に柄を作って行く、刷判も職人さんの腕が重要なポイントで印刷の出来上がりを大きく左右する大事な仕事であった、これもすべて手仕事、力仕事であった。